第36話 お隣さんの学校生活②
今日も紗夜はクラスメイト達に何かと理由をつけては放課後一人になる。そして、俺と紗夜は待ち合わせ、人目を避けつつ下校――という何とも苦労の絶えない帰宅をする。
俺は一度自宅に帰って制服から簡易な部屋着に着替えたあと、紗夜の家にお邪魔していた。
そして、夕食のご飯が炊き上がるのを待っている間、俺と紗夜はソファーに並んで座っていた。
「そういえば今日、廊下ですれ違いましたよね」
「え、気が付いてたのか」
「はい。間違いなく颯太君の声でしたから」
「よく廊下にいる生徒の声なんか聞き分けられるな……」
紗夜の姿を見に来る生徒は減ったものの、休み時間の廊下だ。トイレに向かう者もいるし、他クラスへ足を運ぶ者もいる。
そこそこ人数がいて割と騒がしい中から、特定の人物の声を聞き取るのは結構難しいのではないだろうか。
「別に聞き分けられてるわけではないですよ? 颯太君の声だから気が付いただけです」
悪戯っぽく笑みを浮かべて「特別ですしね」と付け加えてくるが、勘違いさせるようなことを言わないでもらいたいものだ。
「単に聞き慣れてるだけだろ」
「それが特別なんです」
「いや、それだと別のニュアンスが混ざって聞こえるから……」
「へへぇ、一体どんなニュアンスに受け取ったのか聞きたいですね~」
「聞かなくてよろしい」
俺がピシャリと断ると、紗夜が「良いじゃないですか~」と少し甘えたような声色で再度聞いてくるが、俺は無視を決め込んだ。
答えてもらえなかった紗夜は一瞬不満げにムッとするが、「まぁ、いいです」とあきらめてくれたようだ。
「それよりも、颯太君は誰とお話していたんですか?」
「えっと、周のことかな?」
「めぐる、さん?」
「綾川周。クラスメイトで俺の後ろの席なんだ」
「男性ですか?」
「あ、あぁ……一応?」
ふと周の姿が脳裏に浮かび、曖昧な返答になってしまう。
すると、紗夜が「何だか煮え切らないですね」と訝しげに眉をひそめた。
「いや、男子であることは間違いないぞ? 多分」
「多分なのか間違いないのか、どっちなんですか」
「うーん……間違いない?」
「間違いないなら疑問符をつけないでください」
「まぁ、そうなんだけどさ。外見的に女子と言われても不思議ではないというか……」
「中性的な顔なんですか?」
「中性……いや、かなり女性寄りだけどな」
「そ、そんなにですか? じ、実は女性なのでは?」
「俺も何度も疑ったが……まぁ、そうじゃないだろ。体育のときも男子更衣室で着替えてるし、そのとき見た感じでは胸もなかったし――ういっ……何で突かれた?」
少し強めの肘鉄砲を脇腹に喰らい、一瞬鈍痛が走る。
わけがわからず紗夜の方へ目をやってみれば、紗夜もこちらを見返してきていた――ジト目で。
「女性かどうかを胸で判断しないでください」
「い、いや、確かに無粋ではあったかもだが、判断材料として適当なのは事実だし……」
「ぜ、全然適当なんかじゃありませんよっ。その……な、ない。あまりない方だっているんですからっ」
「“あまりない”と“まったくない”はかなり違うと思うぞ」
「見たことないでしょうに知ったような口ぶりですね」
「な、何となくわかるだろ……」
こんな話をしていると、紗夜の顔に向けている俺の視線が無意識のうちに三十センチほど下に落ちてしまいそうなので、そうならないように明後日の方向に目を向けておく。
そして、半ば無理矢理に話題を変える。
「あ、そ、そうだ! 周情報なんだが、お前、学校では女子以外に身の回りのこと手伝ってもらわないらしいな?」
「周さんがそんな情報を一体どうやって入手したのかは気になるところですが、そうですね」
「やっぱ、男子に変な勘違いされるのが嫌だからか?」
「それもあります。でも、やっぱり事情があるとはいえ、異性に無防備になったりするのは止めておこうと思いまして」
「……あの、俺も男なんですが」
「そ、それは前にも言ったじゃないですか。颯太君は信頼に足る人物ですから、良いんです」
「単に男として見られていないだけの気もするが」
「安心してください。女性も男性も区別なく見えてないですから」
「そういう意味じゃねぇよっ」
たまらず紗夜の冗談にツッコミを入れてしまったが、本人はクスクスと可笑しそうに笑ってくれているので、まぁ、良しとしておこう。
少しして笑いを押さえた紗夜が、「うーん」と唸りながら視線を宙にやる。
「そうですね、颯太君が男の子なのは重々承知していますが」
「いますが?」
「私、割と颯太君の前では無防備とまではいかなくても緩いじゃないですかー」
「も、もったいぶるな」
「なのに、これまで颯太君から下心を感じたことがないというか……良く言えば絶対的な安心感を覚えますし、悪く言えば本当に颯太君男の子ですか? 意気地なしですか? ってなりますね」
「下心なんて持って接してたらキモいだろ」
「でも、普通そういうものではありませんか? お近付きになればワンチャン――なんて」
「ワンチャンのあとの言葉は想像しないことにするとして、お前の口からワンチャンなんて言う単語が飛び出すとは思ってなかったぞ」
「クラスメイトの方が話していたので真似してみました」
使い方あってますよね、と確認されたので、俺は頷いておく。
「まぁ、それはともかくとして……俺は、そういう不純な気持ちで人と接したくないな」
「誠実ですね。そういうところが颯太君の美徳だと思います」
「ん、うぅん……」
「でも、それも行き過ぎると私の方が不安になってきます。私には女性としての魅力が足りないのではと……」
「いや、それ大多数の女性に取ったら嫌味だからな?」
「そんなことはないと思いますが」
「そんなことしかない。お前ほどの美少女そうそうおらんぞ」
「び、美少女とかやめてください……くすぐったいです」
本当のことだから仕方がないだろ、と言ってやってもいいが、紗夜は自己評価が低いのか、自分のスペックを理解出来ないところがある。
「ま、お前に女性としての魅力がないなんてことは天地がひっくり返ってもあり得ないから安心しろ」
「だ、だったら一つ本音で答えてください」
「ん?」
「その、もし颯太君の目に魅力がある女の子として私が映っているなら、えっと……何かないんですかっ!?」
「質問の肝心な場所を“何”にされたらわからんぞ」
「だから、その……」
――このあと、紗夜から出た衝撃の言葉に、俺は息を詰まらせて咳き込んだ。
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