第34話 お隣さんと下校も一苦労②
物置きの裏に隠れてカップル誕生の瞬間を目撃してから五分弱。
いちゃついていた新生カップルの声が聞こえなくなったので、どうやらやっと去ってくれたようだ。
「やっと帰れるな……って、どうした紗夜?」
「……ッ!?」
紗夜が火でも噴き出すのかというくらいに顔を紅潮させていた。
片手は胸の前で握り締められ、視線は斜め下へと逃がされている。
どう見ても恥じらっているその様子を見て、俺は改めて現状況を確認する。
当然人気のない場所。
物置きの裏の壁に紗夜を押しやったことによって、俺はそれに覆いかぶさるように立っており、紗夜を避けるように壁に突っ立てた腕に体重を預けている。
俗にいう“壁ドン”というやつに酷似している。
強いて違いを挙げるなら、何せスペースがほとんどなかったため、通常の壁ドンよりかなり密着してしまっている。
「そ、颯太君……そのっ……」
「あ、ああすまん!」
俺は反射的に紗夜から距離を取り、物置き裏から慌てて出る。
紗夜も少し遅れて出てくるが、恥ずかしそうに横の髪をくるくると指で巻き取って弄っている。
「強引なのは嫌いではないですが……時と場所を考えてください……」
「ち、違う違う! 人がいたから――」
「――ふふっ、冗談ですよ。わかってます」
「心臓に悪い冗談はやめてくれ……」
紗夜の悪戯心にはため息しか出ない。
それに、さっきまで出来立てカップルのイチャイチャを目の当たり――実際には目では見ていないわけだが――したのもあって、紗夜の冗談に現実味が出るのが質が悪い。
文句の一つでも言ってやろうかと紗夜を見てみれば、いまだにその顔からは火照りが消えていなかった。
もしかすると先程の冗談は、恥ずかしさを隠すためだったのかもしれない。
だったら、それに突っ込むのは無粋だろう。
「まぁ、いいや。帰ろう」
「スーパーに寄るのを忘れてませんか?」
「あ、そうだったな」
しっかりしてくださいよ、と紗夜が淡く微笑みながら俺の右腕に自分の手を掛けてくるので、俺は適当に「へいへい」と答えて、もう完全に把握した紗夜の歩幅に合わせて足を踏み出した――――
◇◇◇
予定通り、俺と紗夜はマンションを過ぎて少し歩いたところにある最寄りのスーパーにやって来ていた。
「そういえば紗夜、今まで買い物とかどうしてたんだよ」
ほとんど目の見えない紗夜にとったら、買い物ですら一苦労なはずだ。
隣人同士困ったときはお互い様と言っているのだから、もっと俺を頼ってくれても良いんだが。
「ああ、それならご心配なく」
「ん?」
「あらぁ~、紗夜ちゃぁ~ん」
カゴをカートに乗せて自動ドアをくぐると、店員と思われるおばあさんが小走りにやってきた。
「藤田さん。こんにちは」
店員のおばさんは藤田さんというらしい。
一体紗夜とどういう関係なのかは知らないが、取り敢えずは知り合いらしい。
「あら、その制服凛清の? あぁ! 今日から新学期だものね~」
「はい。今日が初登校でした」
少し紗夜と藤田さんなるおばさんの会話に取り残されていると、紗夜が最初の俺の質問に答えた。
「颯太君。こちら藤田さんです。買い物をするときは、大体藤田さんに手伝ってもらっていました」
「ああ、なるほど」
あくまで心の中で、俺は手をポンと叩く。
すると、紗夜からそんな紹介を受けた藤田さんが、俺と紗夜を交互に観察し、意味ありげな笑みを浮かべる。
「そうねぇ~。今日も手伝うつもりで来たけど……うふふ、今回は彼氏君が一緒だから大丈夫そうね」
「「……え?」」
微妙な沈黙のあとに、俺と紗夜の声が重なった。
「でも、紗夜ちゃんこっちに来てまだそんなに経っていないでしょう? もぉう、見掛けによらず随分と手が早いのねぇ~。あ、でも紗夜ちゃんほどの美人さんだったら、引く手数多かしらね!」
「い、いえ藤田さん。私と颯太君は別にそういった関係では――」
妄想に拍車をかける藤田さんに訂正を試みようとする紗夜だが、藤田さんはすべて理解しているような顔を浮かべてその言葉を遮る。
「――もう、隠すことないのにぃ。でも、わかったわ。あまり知られたくないのね?」
予想通りというべきか期待通りというべきか。
やはり、藤田さんはまったく理解出来ていなかったようだ。
「ち、違いますって!」
「うふふ、もしかして何か訳アリかしら? でも良いわ。わかった。二人は恋人じゃない……そういうことにしておいてあげるわね」
しておいてもなにも、本当に付き合っていないんだが、藤田さんを納得させるのは無理なようだ。
紗夜はあたふたしているが、藤田さんはそんな紗夜の姿にすら微笑ましいものを見るような視線を向けている。
そして、藤田さんが去り際に俺の肩に手を置き、そっと耳打ちしてくる。
「(大切にしなさいよ~?)」
「ちょっ――違いますって!」
「うふふ」
藤田さんは一度ひらりと手を振って、店の奥の方へ姿を消していった。
あとに残された俺と紗夜は並んで立ち尽くす。
「……あれ、間違いなく誤解されたままだよな?」
「……そうですね」
この空気。
非常にいたたまれない。
というか、こういっちゃあ何だが、藤田さんの感性を疑ってしまう。
どう見たらこんなパッとしない男な俺と、清楚可憐な美少女である紗夜が恋人関係だと思えるのか。
天と地、月とすっぽん、ダイアモンドと道端の石ころレベルに釣り合っていないだろうに。
「だが、紗夜には申し訳ないな。俺なんかとそういう関係だって勘違いされるとか」
「えっ? いや、全然大丈夫ですよ!? というか、俺なんかって自分を卑下しないでください」
「いや、客観的な――」
紗夜が少し不機嫌そうな瞳をジッと向けてきていたので、これ以上口にすると怒られそうだ。
いや、何で俺が俺を悪く言うだけなのに紗夜が怒るのかは意味不明だが、それでも紗夜の機嫌は損ねたくない。
「颯太君は……自分の美徳に気が付くべきです……」
「あればいいなぁ」
「あるから言ってるんですぅ~」
まったく……俺の隣人はどこまでも優しいらしい。
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