第二章~一年三学期(学校生活開始)編~

第30話 お隣さんの初登校(前日)

 一月四日。


 紗夜と共に初詣に行ったあの日から、早くも四日が経過していた。


 その間、食費折半で紗夜に料理を振舞ってもらっており、俺の食生活は大幅に改善され、明らかに今までより健康状態が良好になっている。


 スーパーやコンビニの総菜、弁当に頼りっぱなしの頃は本気でそれで良いと思っていたが、こうして紗夜の料理の味を知ってしまった今では、もうごめんだ。


 誤解を招く表現ではあるが、もう紗夜のいない生活には戻りたくない。


「ど、どどどどうしましょう颯太君っ! 明日から学校が始まってしまいますっ!」


「おー」


「は、反応が薄いですね……」


「まぁ、俺はお前と違って、ただ冬休みが終わって三学期が始まるってだけのことだからな」


 ちなみに、宿題は三分の一程終わっていなかったりする。


 ただ、こんなことを実際に口にすると、真面目な気質の紗夜のことだ。絶対突っかかってくるに違いない。


 なので俺はそんな事実を胸の内に秘めながら紗夜の家で夕食を食べ終わったあと、いつものようにソファーに座ってお茶をすすっていた。


「そんなことより、俺すっかりここに入り浸ってんな……」


 そう呟く俺の右隣に並んで腰掛けてきた紗夜が、寂しそうに肩を落とす。


「そ、そんなこととは何ですか。私がこんなにも明日のことでうずうずと緊張を感じているというのに」


「そう言ってもな……こればっかりは俺もどうしようもない。クラス違うし」


「そ、そうでした……私は二組で颯太君は一組……」


 近いようで遠いですね、と紗夜は意味深なことを呟きながら、湯飲みに玄米茶を注いで静かに口に含む。


「まぁ、今悩んでも仕方ないですもんね……それより、颯太君は何時頃登校するつもりですか?」


「ん? えぇっと始業時刻が八時半だから、その少し前くらいに着くように――って、紗夜もしかして一緒に行こうとしてるのか?」


「え、逆に一緒に行ってくれないんですか?」


「え?」


「え?」


 俺と紗夜の間に不思議な沈黙が流れる。


 紗夜はパチクリと何度か瞬きを繰り返し、呆然と俺を見詰めてくる。

 とは言っても、この距離ではハッキリと俺を視認出来てはいないだろうが。


 ただ、そのいかにも懐疑的な心境は伝わってくる。


「いや、もちろんお前の目のことを考えれば付き添いたいのは山々だが、生徒の誰かに一緒に登校してる姿なんて見られてみろ。いらん噂で持ち切りになるぞ」


「別に目が見えないから付き添ってほしいという意味ではなかったんですけど、それは置いといて……いらない噂とは?」


 それ本気で聞いてるのだろうかと、紗夜の表情を見るが、どうやら本当にわかっていないらしい。


 俺はこういうことを自分で口にする気恥ずかしさを紛らわせるために後ろ頭を掻きながら、ため息混じりに答える。


「『何だよお前~。アイツと付き合ってんのか~?』みたいな」


「そのわざとらしい口調には嫌味を感じますが、ただ一緒に登校してるだけで、その……こ、恋人と見なされるんですか……?」


 後半になるにつれて気恥ずかしそうに自分の指を絡めながらもじもじする紗夜。


 おまけに頬を微かに赤くさせる辺り、反応が初心うぶすぎて笑ってしまいそうになるが、演技の一切ないその仕草は妙に可愛らしいので心臓に悪い。


「都会の人の恋愛意識というのはそうなんですね……」


「いや、都会とか田舎とか関係なく、お年頃の問題だと思うぞ」


「それなら私達だって、そのお年頃じゃないですか」


「俺は恋愛に興味ないし、お前も似たようなもんだろ? 俺達みたいなのは少数派だと思うぞ」


「べ、別に私は恋愛に興味がないわけでは……」


「ん、なに?」


「あっ、いえ何でも」


 何か呟いたような気がしたが、たいして重要じゃない内容だったらしい。


 俺はテーブルに置いていた湯飲みを取り、まだ温かな玄米茶を喉に流し込む。


「でも、そうですか……颯太君は私と一緒に登校したくないんですね……」


「か、勘弁してくれ。そのあからさまに演技掛かった口調でも、心に来る……」


「だってそういうことでしょう?」


「違うって。お前と登校するのが嫌とかではなく、妙な噂が立てばお前が困るっていうか」


「私が困るかどうかを判断するのは颯太君じゃないですよ」


「ド正論ありがとうございます……」


 グイッと距離を詰めてこられたので、俺は後退るようにソファーの上で仰け反る。


 確かに紗夜の言っていることは正しいのだ。


 だが、もしここで紗夜が「私は困らないので、問題ないですね?」と聞いてきても、俺は首を縦に振らないだろう。


 ということは、俺が紗夜と一緒に登校するのを拒む理由は紗夜にあるのではなく、俺自身にあるのだ。


 紗夜のことが嫌いなのか。


 否だ。


 ではなぜ拒むのか――その理由は単純明快。


 自分を中心に恋愛事情のネタで周囲が盛り上がるのが怖いからだ。


 俺と紗夜が恋愛関係はないと言っても、周囲は真実よりも面白い話題を優先する。


 紗夜は美人で可愛い。

 学校でも間違いなくカースト上位の存在になるだろう。


 そんな紗夜と俺が――――


『アイツ、美澄と付き合ってんだって~』

『嘘だろ!? あんな奴がぁ?』

『美澄さんかわいそ~』

『どうしてお前なんだよ~』


 あぁ、そうやって指を差される光景が目に浮かぶ。


 中学のときに見たその光景がまた目の前に再現されるのかと思うと、ただ、怖いんだ。


 そして、あの女にまた――――


『なに本気になってるの~? 罰ゲームに決まってるじゃん』


 紗夜はそんなことは言わない。


 わかってる。


 でも、“そんなこと言わない”は、当時の俺もあの女に思っていたことだ――――

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