第29話 お隣さんと初詣③

 参拝を終えた俺と紗夜は、人込みから少し離れた場所にあるベンチに腰掛けて少し休んでいた――――


「はいコレ。自販機であったかいお茶買ってきた」


「あ、ありがとうございます」


 前に紗夜が黒豆茶が好きだと聞いていたが、流石に自動販売機のラインナップにそれはなかったので、三百五十ミリリットルの緑茶を選んできた。


 二本買ったうちの一本を手渡すと、美澄が「いくらでしたか?」と巾着の中から自分の財布を取り出そうとするので、俺はそれを制止した。


「良いよこれくらい」


「ですが」


「参拝の礼儀作法を色々教えてもらったお礼ってことで」


 別に何かをしてもらわなくても紗夜に飲み物を奢るくらいどうということはないのだが、こうしてお礼という形にした方が、紗夜は気楽なのだろう。


 そんな俺の気遣いが見抜かれたのか、紗夜は何度かパチクリと瞬きをしたあと、「何かと理由をつけるのが上手ですね」と小さく笑った。


「では、ありがたくいただきますね」


「ああ」


 ピキピキッ、という未開封のペットボトルを開ける音。


 飲み口を口許に持っていく紗夜の左隣に腰掛け、俺も温かい緑茶を口に含む。


 ほろ苦さと、緑茶独特の風味が鼻を抜ける。


「それにしても、少しだけ妙な気分です」


「何が?」


 膝の上にペットボトルを置いて一息吐いた紗夜が、どこか寂しそうな視線を虚空に向ける。


「本当なら私は、参拝しに来る側でなく迎え入れる側だったはずなんですよ」


「紗夜……」


「確かに嫌なことが沢山ありましたけど、私は巫女という神職に誇りを持っていましたし、やりがいも感じていました」


 そう言って紗夜は静かに立ち上がり、数歩分距離を置くと、俺の方を向いてペットボトルを逆さまにして右手に持つ。


 そして、呼吸と精神を整えるように一度深呼吸して、思わず見入ってしまうほどの美しい所作で右手を持ち上げ、手に持ったペットボトルを手首のスナップで震わせる。


 シャン、と鈴の音がアンサンブルしたような気がした。


 もちろん、実際にはペットボトルの中に残った緑茶がジャバッと跳ねる音がしただけなのだが、幻聴でだとしても確かに俺の耳には一人の巫女が鳴らした神楽鈴の音色が聞こえたのだ。


「こういった行事のときは、私も神楽を舞っていたんですよ」


 わざわざ街の方から見に来てくれる方も結構いたんですよ? と自嘲気味に笑って、少し恥じらうように両手で持ったペットボトルを胸の前に持ってくる。


「あそこにはもう戻りたくないという思いと同じくらい、また巫女服を身に纏いたいっていう気持ちもあるんですよね……」


「そっか……まぁ、前にも言ったかもしれんが、俺も紗夜の巫女服姿見てみたいんだよな」


「な、何だかそう言われると恥ずかしいです」


「んじゃ、拝みたい?」


「そ、そんな大層なものではありません」


「では目の保養に……」


「それはちょっと、いやらしいです……」


 紗夜が表情を硬くして自身の身体を抱く。


 流石に引かれたので、俺は「ごめんごめん」と平謝りしながら、よっこらせと立ち上がる。


「どうする? そろそろ帰るか?」


「颯太君、今年の運勢を占わずに帰るんですか?」


「あぁ、すっかり忘れてた」


 そういえば、まだおみくじを引いていなかった。


 しかし、引かなくても今年の運勢は――いや、今年の運勢もなんとなくわかるのだ。


 俺には一つ特技というか特殊能力みたいなものがあり、それはおみくじで吉を引き当てること。


 それ以上でもそれ以下でもない、毎年必ず吉。


「では行きましょう、颯太君」


「ま、やってみるか」


 俺は紗夜に腕を貸し、再び人込みの中でも層の薄そうなところを通って、おみくじのところまで来る。


「百円百円――あ、紗夜のも入れようか?」


「ありがとうございます」


 流石にこういうのは自動販売機と違って俺のお金で紗夜のおみくじを引くのはナンセンスだ。


 紗夜から百円玉を受け取り、代わりに賽銭箱に入れる。


 隣で紗夜がシャカシャカとおみくじの番号が掛かれた串が出てくる筒を振っている姿を横目に、俺も百円支払って――いやいや、百円を納めてから筒を振る。


 すると、俺が十五番で紗夜が二十一番だったので、俺は最初に紗夜の代わりに二十一番の引き出しから、中身を見ないようにして紗夜に渡す。


 ありがとうございます、という紗夜の感謝の言葉を聞いてから、俺も自分のおみくじを確認。


「さてさて、今年は……」


 ――吉。


 ……いや、もういつものことすぎて特に驚くこともなければ、書いてある内容もまぁ吉に相応しい大したことないものだった。


「紗夜はどうだった――って、どうした?」


 紗夜の方に振り向けば、渡したおみくじを顔の前に持ってきている。


 まぁ、紗夜の視力ならそうしないと読めないのはわかるが、それ以前に両目をそんなに強く瞑っていては読めるものも読めないだろう。


「少し、知るのが怖くなってしまいました……」


 そう呟く紗夜のおみくじを握り締めた両手をよく見てみれば、微かに震えているのがわかる。


「私が呪われているわけではない、私が不幸を呼び寄せてしまっているわけではないことは颯太君が教えてくれました……でもっ……」


 もしこれで大凶などが出ようものなら――――


 恐らくそんなことを紗夜は思っているのだろう。


 俺は紗夜の正面に立ち、手頃な位置にあるその小さくて可愛らしい頭に軽く手を乗せる。


 すると、紗夜は驚いたように瞳を大きく開けて俺の顔を見てくる。


「何が出ようと、おみくじの結果に科学的根拠なんてない。それはお前が一番わかってるだろ?」


 ニヤリと口許を釣り上げて見せる。


 果たして俺の表情がどこまで見えているのかはわからないが、小刻みに震えていた紗夜の手がピタリと止まっているのは確認出来た。


 紗夜は俺の言葉にしばらく呆然としていたが、少しすると呆れ半分といったような表情で笑った。


「まったく颯太君は……それは、神社の人に言ったら一番困ってしまう言葉ですよ」


「かもな」


「……でも、ありがとうございます」


 紗夜はふぅ、と一度息を吐くと、恐る恐る手元のおみくじへ視線を移す。


 すると――――


「あっ……」


 そ、その反応は……何が出たんだろうか。


 俺はひたすら紗夜の表情の変化に注視する。


 すると、徐々に榛色の瞳が大きく開かれていき、キラリと澄んだ輝きが過った気がした。


「大……吉……」


「お……おぉおおおッ!」


 自分でも信じられないといったような表情で俺を見上げてくる紗夜。


 先程おみくじには科学的根拠なんてないといった張本人ではあるが、俺は紗夜より喜んでいるかもしれない。


「そ、それで何が書いてあったッ!?」


「え、えぇっと――」


 おみくじの内容をかなり至近距離で読んでいく紗夜。


 すると、仄かに頬に色が付いた――気がする。


 そして、嬉しそうに「えへへ」とはにかんだので、「じらさずに教えてくれよ」と再願すると、おみくじで口許を隠しながら上目遣いで答えてきた。


「素敵な出逢いが、あるそうですよ」


「えっと、それは待ち人来る的なやつか?」


「ああ、それも書いてありましたけど……それとは別件です」


「な、なんだろう」


「ふふっ、何でしょうね」


 このあと、紗夜が教えてくれることはなかったが、引き当てた大吉のおみくじは記念に持って帰るようだった――――

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