第26話 お隣さんと新年を③
「年越し蕎麦、めっちゃ美味しかった。サンキューな、美澄」
「そう言っていただけると、作った甲斐があるというものです」
シンクで食器を一通り洗い終えたので、ソファーでくつろいでいる美澄の左側に腰掛けた。
「そういや、新年明けたらすぐ三学期始まるな。お前に取ったら転校初日ってわけだが」
「ですね。お友達が出来るか心配です」
「安心しろ。お前に友達が出来ないわけがない」
「確かに。もう津城君がいますもんね」
「んっ……いや、そういうことではなく。お前、間違いなくすげー人に囲まれるぞ」
「へぇ、そんな著名な方がいらっしゃるんですね」
「お前わざと言ってるだろ。すげーってのは立場じゃなくて、人数の程度だ」
まったく、と俺が呆れながら呟くと、美澄は俺なら突っ込んでくれるとわかっていたようで、可笑しそうに笑う。
俺はそんな美澄の横顔を尻目に、現在時刻を確認するためにポケットからスマホを取り出す。
午後八時半。
ベランダに繋がる窓に掛かったカーテンのちょっとした隙間から外の景色を覗けば、とっくに日は姿を消している。
ここからでは見えないが、比較的晴れた今日の夜空には少し太った半月が浮かんでいることだろう。
残念ながらここは住宅街で各家庭の生活の明かりが多く灯っているため、ハッキリと星を見ることは出来ない。
美澄の地元の田舎なら、もしかすると満天の星空が見えるのかもしれない。
正直一度くらい行ってみたいとも思うが、美澄が地元でどんな生活を送っていたかを知っている身としては、複雑である。
「あ、奏……?」
俺の永遠マナーモードのスマホに通知が来ていたので、メッセージを確認すると、今日の昼実家へ帰った奏からだった。
隣で美澄が奏の名前に反応している。
「あー、美澄。奏がお前の連絡先知りたいって言ってるんだが……どうしよ?」
「奏さんが? 別に構いませんよ」
「んじゃ、教えとくな」
俺が視線をスマホの画面に戻し、美澄の連絡先を送信しようとしたとのとき、隣から「あっ」と鈴を転がしたような声が聞こえた。
「どうした?」
「や、やっぱり条件を付けさせてください」
「まぁ、良いけど?」
「条件を聞く前に承諾するんですか」
「お前のことだからそんな無茶な条件は付けてこないだろ?」
そう確認すると、美澄はどこか気恥ずかしそうに視線をさまよわせたあと、コクリと一つ頷く。
「んで、条件って?」
「そ、その……奏さんみたいに、私のことも名前で呼んでくれませんか……?」
「あぁ、そんなこと」
美澄は俺が恋愛漫画の主人公みたいに恥じらうことを期待していたのか、「そ、そんなことっ?」と俺の反応に若干動揺している。
しかし、別に呼び方なんてどうだって良いものだし、恥ずかしがる要素は何一つない。
「じゃ、これからは紗夜で?」
「……」
「おい、俺は要望通りにしたよな? なぜ半目を向けられている。そしてなぜ殴られた……」
美澄はいかにも不満といった面持ちで、軟弱な左ストレートを俺の肩に繰り出してきた。
「私だけ恥ずかしがってるみたいで不公平ですね」
「みたいじゃなくて、実際お前だけだ」
「ずるい……貴方にも私の気持ちをわからせてあげます」
「え?」
俺の肩にあった美澄の握り拳が、キュッと服を摘まんだ。
そして、恥ずかしさと不満感が入り混じったような表情のまま、美澄が上目を向けてくる。
「……颯太君」
「お、お前な……」
それこそずるいだろうと不満を言いたかった。
ただ名前を呼べばいいものを、そんな顔で、服まで掴んできて、さらには拗ねたような口調で言われては、ドキッとしない男子などいないだろう。
下手したら、女子ですら魅了されるかもしれないレベルだ。
今どんな気分ですか? とでも言いたげな視線なので、俺は諦めてため息を一つ。
「……悪うございました」
「よろしい」
してやったりという顔をしているので、どうやら謝罪は受け入れられたらしい。
俺はまだ若干高鳴っている鼓動を何とか意識の外に置こうと尽くしながら、奏に美澄――もとい、紗夜の連絡先を送信した。
俺が既読したのは早かったのに返信が遅かったので、奏から『おっそい!』と送られてきたが、この状況を説明出来るわけもなく、ただ一言『悪い』と謝っておいた。
そんなとき、ふと冷静に疑問に思った。
何で名前で呼ぶことを条件にしたんだ?
確かに名字で呼び合っていると心理的な距離を感じなくもないが、それでも不便はない。
強いて問題を挙げるなら、紗夜の祖父も含めて三人で会話するとき、名字呼びではどちらの美澄か判断しづらいというところだ。
しかし、今までも紗夜のことは『美澄』で紗夜の祖父のことは『爺さん』で通っているので、特に不便というわけではなかった。
あと、いまだに紗夜の爺さんの名前を知らないことに気が付いた……。
「なぁ、みす――じゃなくて、紗夜?」
「……早く慣れてくださいね。それで、何ですか?」
「何で名前呼びを条件にしたんだ?」
「えっ……そ、それは……」
口籠った美澄は、微かに頬赤らめて横に垂れる髪を指で巻き取って弄る。
「ほ、ほら。つし――颯太君は奏さんのことは『奏』って呼ぶのに、私のことは『美澄』って……」
「お前も早く慣れろよと言いたいのを取り敢えず我慢するとして、奏は妹だぞ。逆に名字で呼んでたらおかしいだろ」
「い、言いたいのを我慢出来ていませんよと突っ込みたいのはさておき、扱いに差を感じるという点を主張したいですね」
「そろそろ発言の前置きで本音漏らすの止めようぜって伝えたいのは置いといて、妹とお隣さんで扱い違うのは自然だろ」
「わかりましたそろそろ止めましょうかと私が了承したのは良いとして、私は颯太君の隣人です。同程度に扱ってください」
「お前の中で隣人っていう立ち位置は血縁関係に匹敵するというのか」
「偉大な隣人様ですよ」
「まぁ、確かに。お世話になってる隣人様ではあるな」
そう言って互いに向き合い、クスクスと小さく笑う。
「ま、来年も良い付き合いをしていきましょうということですよ、颯太君」
「それならこちらこそだな。来年もよろしく、紗夜」
「まだちょっと早いですけどね」
「確かに」
まだ、新年が明けるまでは少し時間がある――――
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