第24話 お隣さんと新年を①

 さて、美澄の視力が戻った要因があったとされる日に何があったかを思い出してみよう。


 確か、美澄が制服を取りに学校に行くというのでそれについていき、帰って羞恥で死にそうになりながら美澄のスカート丈を合わせ、そのあと……


 美澄の過去を聞いた。


 美澄が視力を失うに至った経緯、その理由。


「うぅん……わからん。何が視力を取り戻すことになったんだ……?」


 美澄には心当たりがないのだろうかと、チラリと横目で見てみれば、「やっぱりあれかな……」と小さく呟いていた。


 その言葉を聞いたほぼ同時、俺もあれしかないなと思い至った。


「制服かッ!?」


 嫌なことを思い出させることとなった美澄の地元での話は絶対に違うはずだ。

 となれば、あとは美澄が初めて制服を着たという出来事くらいだ。


「え……つ、津城君?」


「美澄。そういえばお前、制服を着られて嬉しそうにしてたよな?」


「まぁ、それは地元の学校には制服がなかったので、新鮮ではありましたが……」


 それがどうかしたんですか? と美澄が首を傾げる。


「制服が着られて嬉しかった。それが美澄の視力が戻った要因に――」


「――なりません」


 はぁ、と呆れたため息を吐かれてしまった。


「そんなことで戻るなら苦労しませんよ」


「まぁ、確かに……」


「ほら、あるじゃないですか。その日一番の出来事というか……」


 気恥ずかしそうに上目遣いで「あれですよ、あれ」と無言の視線で訴え掛けてくるが、まったくわからん。


「な、何かあったっけ……?」


「……」


 美澄が向けてきていた瞳が、徐々にジト目に変わっていった。

 そして、ついにはプイッと顔を逸らされてしまった。


「み、美澄?」


「わからないなら別に良いです」


 どうやら俺は、美澄の機嫌を損ねてしまったらしい。


 しかし、制服じゃないとなると他にあった出来事と言えば学校に行ったことと、美澄ご自分の過去を話してくれたことくらいだ。


 まぁ、しばらくお茶したりはしたが、そんなことで視力が戻るならとっくに戻っているだろうし、学校に行ったことが要因だとは思えない。


 では一体――――


「――はぁ、まだわからないんですか?」


 病院を後にしてしばらく。

 街の手近な店で昼食を取ったあと、バスに乗って帰路についていた。


 そんなとき、俺の隣に座る美澄が呆れた口調で尋ねてきた。


「病院を出るときも昼食を取っているときも、心ここにあらずといった感じでしたよ?」


「あ、バレてた?」


「まぁ、私のことで悩んでくれているんですから文句も言いにくいですけどね」


「いやぁ……すまん、結局わからんかった」


 美澄は半目でこちらをジッと見詰めてから、フッと口許を緩めた。


「まったく。津城君は津城君ですね」


「あの、俺の名前を何かの形容みたいに使うの止めてもらって良いですかね」


 何が可笑しかったのかわからないが、美澄は口許を手で隠してクスクスと笑う。


「まぁ、良いです。教えてあげますよ。あれしかないのに……」


「あれとは?」


「津城君が、私の話を聞いてくれたじゃないですか」


「えっと、地元での話……だよな?」


 はい、と美澄は首を一つ縦に振る。


「でもあれは、お前に嫌なことを思い出させてしまったというか……だから、お前のストレスが緩和される要因には……」


「わかってないですね、津城君。確かに地元でのことを思い出すと辛いです。でも、津城君はきちんと私と向き合ってくれました。そして、私のせいではないと言ってくれました。そして――」


「っ……!?」


 美澄がグッと距離を近付けてくる。


 こんな状況に既視感を覚えると思ったら、初めて美澄と出掛けた日――あの街案内をした日の帰りにも、美澄が俺の顔を覗き込んできたのだ。


 しかし、あのときよりも、目の前の大きな榛色の瞳は俺の姿を捉えている気がする。


「幸福を見付けていこうって、津城君が手伝ってくれるって言ってくれたんですよ? それがとっても――」


 美澄が微笑んだ。


「――嬉しかったんです」


「――ッ!?」


 心臓が大きく跳ねた。


 美澄の笑顔が眩しくて、温かくて、否応なしに俺の体温を上げていく。


 バスが揺れて車体が軋む音も、エンジン音も、乗員客の話し声も聞こえなくなった無音の空間で、ただ俺の鼓動の音だけがかしましく響く。


「だから津城君、ありがとうございます」


「ま、まぁ……隣人同士困ったときはお互い様だからな」


 俺は少し気恥しくなって、顔を背けた――――



◇◇◇



 バスを降り、俺と美澄はマンションに帰るため住宅街の道を歩いていた。


 特にこれといった会話は生まれていなかったのだが、エントランスについた辺りで美澄が何かを思い出したように服の端を引っ張ってきた。


「どうした?」


「あの、津城君。今日の夕食は何にするか決まっていますか?」


「あっ……完全に忘れてた」


 そんなことだろうと思いました、と呆れ口調で言ってくるが、どこか嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。


「では、家に来てください。ご馳走しますから」


「いや、でも悪いし……」


「ふふっ、隣人同士困ったときはお互い様ですよ」


「マジか……」


 美澄には勝てないなと、心の底から思うのだった――――

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