第17話 お隣さんの勘違い①
「……マジか。不用心にもほどがあるだろ」
午後五時過ぎ。
眠りから覚めた俺が発した一言目はそれだった。
きちんと食事を取り、薬を飲んでゆっくり休んだお陰で、身体のだるさはほとんどなくなっていた。
まだ若干の頭痛がするものの、短時間でここまで良くなったのは、やはり美澄の手厚い看病のお陰だろう。
そんな美澄には感謝しかないのだが…………
「おい、美澄。こんなところで寝るな」
「んぅ……」
頭の下に両腕を敷き、ベッドを支えにして寝息を立てている美澄の姿があった。
手入れの行き届いた黒髪に、長いまつ毛。無垢な寝顔は幼さを感じさせるほどに愛らしく、無性に頬を突いたり頭を撫でたりしたくなる……ので、ここで寝ないでいただきたいものだ。
看病で疲れさせてしまったのは申し訳ないと思うが、それなら自分の家に帰って寝るべきだ。
異性の部屋で無防備な寝姿を晒す――ましてや、それが美澄のような美少女であれば、なおのこと危険だろう。
「美澄」
俺は美澄の肩をゆすって、まどろみの中に漂っているであろう美澄の意識を現実世界に引っ張る。
すると、「うぅん……」と喉から声を漏らしながら、美澄がゆっくりと顔を持ち上げ、手で目を擦ってから目蓋のカーテンを開く。
その奥から現れた榛色の瞳を何度か瞬かせて、俺を見る。
「あ、津城君……?」
「ああ。津城君だな」
「起きたんですね。体調はいかがですか?」
「美澄のお陰でだいぶ良くなったよ。まぁ、それは非常に感謝してるんだが……」
思わず俺の口からため息が零れ出てしまったが、美澄はなぜ俺が呆れているのかわかっていないのだろう。
「美澄。異性の家――それも二人っきりの部屋で無防備に寝付くなんてしない方が良いぞ」
「えっと、それは身の危険……という意味でのことでしょうか」
「それ以外にないだろ」
自分で言うのも何だが、俺はかなり理性が強い方だと自負している。
そんな俺ですら、先程の無防備な美澄の寝姿を見て手を伸ばしそうになったのだ。
もし、有象無象の思春期男子達だったならば、理性は地平線の彼方へと吹っ飛び、美澄の身体に飛びついていてもおかしくない。
だというのに、美澄は不思議そうにパチクリと瞬きしていた。
「では、津城君は私に手を出しますか?」
「……え?」
「出しますか? 出しませんか?」
「何だその意味のわからん二択。まぁ、出さないけど……」
「なら何の心配もないじゃないですか」
「いやいや、お前の危機意識狂ってるぞ。俺が手を出すか出さないかの話じゃなくて、美澄に異性の部屋で無防備になるのは危険だという意識を持ってほしいだけなんだが」
「異性の部屋と言っても、津城君の部屋ですし」
「あの、一応俺も男なんですが……」
異性として見られていなくてショックを受けたと言えば、別のニュアンスに受け取られるかもしれないが、実際そんな感じだ。
そこに恋愛はなくとも、実際異性であるのにそう見られていなかったのだと思うと、男としては微妙な気持ちになる。
逆もまたしかりだろうが。
「あ、えっと、津城君はちゃんと男の子ですよ? そんなことはわかっています」
「……何だろう。変なフォローをされたみたいで悲しい」
美澄は慌てたように「そういう意味じゃなくてですね」と、両手をぶんぶんと振る。
「私だって誰とも知らない異性の部屋で無防備になったりしません。でも、津城君は信頼していますし……そういうこともしてこないってわかってますから」
違いましたか? と小首を傾げて確認を取ってくる。
俺は改めて、なぜそこまで信頼されているのか疑問に思いつつも、「違わないけど」と答える。
すると、美澄はその返答に満足したのか、淡く微笑んで静かに立ち上がる。
「ん、帰るのか?」
「はい、一旦。夕食を作って持ってきますので」
食欲はどんな感じですか、と聞かれたので、一応あるにはあるからそう答えたが、やはりここまで手厚く面倒を見てもらうとなると、感謝のほかに申し訳なさも生まれてくるというものだ。
「言ったでしょう津城君? 隣人同士困ったときはお互い様だと。気にしないでください」
「そう、だな。うん。ありがとう、美澄」
「はい。どういたしまして」
満足そうな笑顔を浮かべた美澄は、部屋のドアノブに手を掛け、開けようとしたところで僅かにこちらに顔を振り向かせた。
チラリとしか顔が見えていないので何とも言えないが、微かに頬が赤くなっているような気がする。
「その……津城君は信頼しているので、身の危険の心配はしていません」
「えっと、さっきの話か?」
美澄は一度コクリと頷く。
「ですが、その……寝顔を見られるのは恥ずかしいので、やっぱり寝入ってしまわないようには気を付けたいと思います」
「恥ずかしがるような寝顔じゃなかったけどな」
可愛かったし――とまでは言わなかったが、美澄がそれで少しでも警戒心を身に着けてくれるというのであれば、俺としては願ったり叶ったりだ。
恥ずかしいものは恥ずかしいんですっ! と今度こそ見紛うことなく顔を紅潮させた美澄が、半ば逃げ出すように部屋を後にした。
俺はほんの少しの間、しまった部屋の扉を呆然と眺めてから、改めて身体を横にする。
認めたくはないが、美澄がこうしていなくなってしまうと、何だか物足りないというか静かというか、さびし――――
「だ、誰ッ!?」
俺は玄関の方から聞こえてきたそんな声に、閉じかけていた目蓋を大きく開く。
聞きなれた少女の声ではあるが、美澄のものではない。
俺と関わりの深い女子なんて、美澄以外にはアイツしかいないのだ――――
「
まだ少しだるさの残る身体に鞭打って、急いで玄関に駆け付け、家を出ようとしていた美澄と鉢合わせになっている少女の名を言う。
驚いてしまって僅かに声が裏返ったのは仕方ないことだ。
美澄がおどおどしながら俺の方に振り返って「どういうことですか……」と尋ねてくるが、俺も何が何だか。
背丈は僅かに美澄より小さいだろうか。
しかし、そのハンデを感じさせないほどに対面する少女の存在感が大きいのは、やはり綺麗に染め上げられた金髪のせいだろう。
硬く精緻に整った顔に、ゆったりとした服越しにもわかる均整の取れたプロポーション。
誰がどう見ても陽キャ中の陽キャ。
一見俺なんかとは何の関りもない別世界の住人のようなその少女は、俺の――――
「か、彼女さん、いたんですね……」
どこか寂しそうな表情を浮かべて、美澄が確認を取るようにそう呟いた。
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