第14話 お隣さんの泣き顔②
美澄はほとんど視力のないその瞳で虚空を見詰めているが、確かに今、美澄の瞳には地元の風景が映っているのだろう。
地元の景色を懐かしんで、温かい思いに浸れるわけでないことは、美澄の儚げで今にも消え行ってしまいそうな横顔を見ればわかる。
「実は、私の両親はとっくにいないんです。身体が弱かった母は私を生んですぐに、父は私が十歳のころの冬、車のスリップ事故で……」
だから、母の顔は写真でしか見たことがなくて、と美澄が息を溢すように呟く。
「私が生まれてから、私の周りでは不幸がよく起きるようになってしまいました。両親のこともそうですが、日常の些細な不幸も私の周りではよく起こるので……次第に神社関係者だけでなく、近隣の住民達からこう呼ばれるようになりました――」
美澄が自身の脚の上に置いていた手に、ギュッと力が入る。
「――《呪われた巫女》、と」
美澄の地元は田舎だ。
人の噂などは瞬く間に広がっていくだろう。
そして、田舎だと一括りにしてはいけないが、古い慣習や偏見が根付いている場所というのは確かにある。
美澄の両親が亡くなってしまったということで美澄に不幸だという視線が向けられ、美澄=不幸という意識が根付く。
そして、美澄の周りでたまたま起きた小さな不幸が、もしかして美澄に起因しているのではないかという考えに至る。
誰かのせいにしたがるというのは人間の性なのかもしれないが、そんなのはあまりにも酷すぎる。
「神様に仕える者でありながら、呪われている。そんな者が巫女だなんて、神様への冒涜だ。そんな言葉を何度聞かされたか……」
それでも、と美澄は続ける。
「私は神社の娘としての責務を果たそうと努力したつもりです。学校から帰ったら神楽舞の練習。家事も教えられた通り出来るように頑張りましたし、もちろん勉学を疎かにしたこともありません」
「美澄……」
「それでも、周囲の人の視線が変わることはありませんでした。唯一私を庇ってくれたおじいちゃんも二年ほど前に体調を崩して倒れてしまい、津城君も知っての通りこの街の大きな病院へ……」
どうせその不幸も、美澄のせいということにされたのだろう。
美澄の性格からして、言い返すこともできないはずだ。
ただ言われて、指を差されて、それに無言で耐える。
そんな環境にいて、ストレスが溜まらない方がおかしいというものだ。
「そして一年前、ついに溜め込んだモノが目の症状として出てしまって……街の病院で診断してもらったら過度なストレスによる視力障害だと言われましたが、周りの人は呪いが悪化したなどと言って、説明しても聞く耳を持ってくれませんでした……」
僅かに美澄の声が揺れたかと思ったら、肩が小刻みに震えていた。
瞳にじわじわと浮かび上がってくる涙を堪えようと、美澄は天井を見上げるが、止まることを知らない涙は目尻から頬を伝い、重力に従って落ちる。
ポツポツ、と零れ落ちた涙が美澄のブレザーの胸元を濡らしていく。
「どうせならっ……」
必死に喉から絞り出された声が、静かな部屋に強く、そして悲しく響いた。
「耳も聞こえなくなればよかったのに……ッ!」
そんな声が、俺の心臓をギュッと締め付ける。
「みんながどんな視線を私に向けてるかなんて見たくないっ……私のことをどう言ってるかなんて聞きたくないっ……何も見たくないし聞きたくない。私が生まれなきゃお母さんが死ぬこともなかったなら、私のせいでお父さんが死んで、おじいちゃんが身体を悪くしたならっ! 私なんて生まれてこなければ――」
「――美澄ッ!」
気が付けば俺は美澄の言葉を遮っていた。
こうして女子の手を掻っ攫うように取ったのも初めてだ。
美澄は驚いたように濡れた瞳を見開いて、何度か瞬きを繰り返しながら俺を見る。
「お前の母さんは、お前にそんなことを思ってほしくて生んだわけじゃないはずだろ? 自分の命と引き換えにしてでもお前を生んだのは、幸せになってほしいって願ったからじゃないのか? それはお前の父さんだって、あの爺さんだって同じはずだ」
握った美澄の手が微かに震えているのが伝わってくる。
「だから、生まれてこなければ良かったなんて、言わないでやってくれ」
自分の子供が生まれてこなければ良かったなんて思っていると知ったら、美澄の亡くなった両親があまりにも報われない。
「じゃあ、何で……何で私の傍からいなくなったんですかっ! 幸せを願ってくれていたなら、どうして死んじゃったりしたんですかっ……!」
美澄が俺の手を強く握り返してきた。
そして、涙に濡れる声は俺に向けられたものでもあると同時に、自身の両親に言いたいことでもあるのだろう。
「一人にしないでほしかった……ずっと傍にいてほしかった! それなのに、どうしてぇ……っ!」
コトン、と美澄が俺の胸に頭を押し付けてきた。
どうしてと聞かれても、答えなんてありはしない。
美澄の両親も死にたくて死んだわけではないだろう。
出来ることならその腕で美澄を抱き締め、その成長を見守っていきたかったはずだ。
だから、俺が返すことの出来る確かな言葉は一つしかなかった。
「美澄のせいじゃない」
「……ッ!」
「周りの人が何と言おうと、お前が両親を殺したわけでも、爺さんを倒れさせたわけでもない」
不思議と俺は冷静だった。
というのは、美澄の話に何も感じなかったという意味ではない。
むしろ、あらゆる不幸を美澄のせいとして指を差してきた人達には、はらわたが煮えくり返りそうなほどの怒りを感じている。
ただ、こうして美澄に寄り掛かられているにもかかわらず、変にドキッとしたりはしなかった。
普段なら、こんな不意打ちみたいなことをされれば、赤面の一つもしてしまうだろう。
だが、今はそんな思いを感じさせないくらいに、美澄に教えてやりたかったのだ。
――美澄が悪いことなんて一つもない、と。
そして、美澄の両親や爺さんの代わりになれるわけではないとわかっているが、隣人として、傍にいてやりたいと思った。
「本当に美澄が不幸を呼ぶ呪いに掛かってんなら、お前と出会ってこの三日のうちに、俺に不幸の一つや二つ降りかかってないとおかしいだろ?」
「……これから降り掛かるかもしれないじゃないですか」
俺の胸に顔を埋めているため、美澄の声が籠っている。
微かに声が震えてしまうのを隠すためかもしれない。
「そりゃ、生きてれば不幸なことなんていくらでも経験するんだからしょうがないことだ。別に美澄がいようといまいと、それは変わらない」
「私がいた方が、不幸が増えるかも……」
「思い上がるな。お前にそんな力はねぇよ」
それとも中二病にでも目覚めちゃったか? とおどけながら言うと、美澄は俺の胸に顔を押し付けたまま、ギュッと服を掴んでくる。
「でも、他の人より不幸が多い気がします……」
「そんなの、不幸を知覚してるかどうかの問題だろ。美澄は不幸な出来事に敏感になりすぎて、普通の人なら不幸と知覚しない些細なことまで不幸って認識するから多く感じるんだよ」
「そう、でしょうか」
「絶対そう」
美澄の声から、徐々に震えがなくなってきたような気がする。
少しは落ち着いてきただろうか。
「だからさ、美澄」
「はい……」
「これからはちゃんと、幸福も見付けていこう」
「幸福、ですか?」
「ああ。認識した不幸なんて比べるまでもないほどに沢山の幸福を見付ければいい。小さいのから大きいのまで色々あるだろうが、見落とさないように」
「そんなこと、出来るでしょうか……?」
「美澄なら出来るだろ。まぁ、もし困ったら俺で良ければ手伝うよ。隣人同士、困ったときはお互い様だろ?」
「……津城君が手伝ってくれるなら、安心ですね」
「俺の信頼凄いな。そんな信頼いつ勝ち取っただろうか」
「もう、そうやって茶化さないでください」
「ははっ、悪い」
不満をアピールしたいのか、美澄が頭をグリグリと押し付けてくる。
美澄もだいぶ落ち着いてきたようだし、これ以上不用意に密着しない方が良いだろう。
俺はそっと美澄の両肩を持ち、自分から引き剝がそうとする。
が。
「……何するんですか」
俺の行動に対し、美澄があからさまに不満げな声を出した。
「いや、そろそろ離れた方が良いかなと思って」
「今離れたら、私の泣き顔を津城君に見られるじゃないですか」
「あー、なるほど? なら、あっち向いてようか」
「津城君が本当に見てないかどうか、私には判断のしようがないので却下です」
「いや、見ないって」
「信用できません」
「おい、さっきまでの信頼どこ行った」
ついさっきまで俺でもびっくりするくらいの信頼を得ていた風に言われたが、それが一変、今ではこうだ。
わけがわからん、と心の中で呟きながら、離れる気配のない美澄をどうしたものかと悩む。
「お願いですから、もう少しこうさせてください……」
「まぁ、お前が良いなら構わないけど……」
美澄が弱っているところに
まぁ、思ってないんだろうな。
そういう辺り、それなりに信頼されてると思って良いのだろうか。
そんなことを考えながら、俺は美澄の言う『もう少し』の間、常に自分の心臓の鼓動が間違っても早くならないようにと意識していた。
だって、この状況、俺の心臓の音は美澄に筒抜けだろうからな―――――
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