第09話 お隣さんに付き添って②

 工藤涼香――俺が所属する一年一組の隣の教室にあたる二組の担任教師で、数学科の授業を取り扱っている。


 クールな印象とは裏腹に何かと世話焼きな性格で、よく宿題を遅れて出したり、悪いときには最後まで提出しなかったりする俺とはよく話す機会があるのだ。


「――とまぁ、そんな感じでこうやって付き添ってるわけですよ」


 俺と美澄が並んで座るソファーの机を挟んだ対面で、工藤先生が「なるほどなぁ」と呟く。


 今、俺と美澄が同じマンションの隣人で、街を案内したりしたことを説明し終えたところだ。


 他にも病院に行ったりカフェに行ったり、昨日は夕食をご馳走になった話もあるにはあるが、それはあえて伏せておくことにした。


 間違って話したりすれば「ククク……何だ、随分とお仲がよろしいみたいじゃないかぁ?」などとニヤつき顔でからかわれるに決まっているのだ。


「そんなことより先生、早く本題に入りましょうよ」


「そうだな。私個人としては、もうちょっと詳しく二人の関係について尋ねてみたいのだが……ま、それはまた別の機会にしておくか」


 俺は別の機会なんてないことを祈りながら、一つ息を吐く。


 その間に、工藤先生は自身の横に置いていた紙袋を机の上に置き、美澄の方へ寄せる。


「美澄、これが当校の制服だ。サイズは事前に連絡してもらった通りで問題ないだろう?」


「はい。ありがとうございます」


 美澄は紙袋を手に取り、自分の膝の上に置くと、中からビニール袋で個包装にされた制服を取り出し、顔にグッと近付けてよく見る。


 そして、美澄が嬉しそうに微笑んでいるのを見ていた工藤先生が「気に入っていただけたようで何よりだよ」と言って、新たなものを美澄に渡す。


「これが当校の授業で使用するタブレットだ。当然拡大機能があるため、君も安心だろう?」


「これが、タブレット……」


 美澄はタブレットを恐る恐る受け取ると、様々な角度に傾けてまじまじと見詰める。


 どうやらあまり見慣れていないらしい。


「まぁ、詳しい使い方の説明は、頼れる津城に聞くと良い」


「あ、はい」


「おい、工藤先生……」


 どこか含みのある工藤先生の発言に、俺は顔を引きつらせてしまう。


「なんだ津城。わざわざ学校まで付き合うほど親しくしてるんだろ?」


「いや、何か先生の言い方に引っ掛かりを覚えるので一応言っときますけど、俺と美澄はただの隣人ですよ」


 わかっているよ、と工藤先生は手をひらひらさせながら答えるが、どこか釈然としない。


 しかし、一応納得してもらったみたいなので、これ以上話を伸ばすこともないだろうと判断し、俺は少し気になっていたことを尋ねる。


「ところで、工藤先生がここにいるってことは、美澄が入るクラスは二組ってことなんですか?」


「お、流石は津城、目敏いな」


 何が流石なのかはわからないが、工藤先生は「その通りだよ」と頷き肯定する。


 すると、右隣に座る美澄がちょんちょんと俺の腕を突いてきた。


「津城君は何組なんですか?」


「俺は一組だ」


「そうですか、残念です」


 ざ、残念……?


 微かに目を伏せる美澄の姿を見て、その言葉が本心であることを理解する。


 ということは、美澄は俺と同じクラスになりたかったということなのだろうか――いや、ないない。


 慣れない街の知らない学校で不安だから、一人でも知り合いがいた方が良いというだけのことだろう。


 危うく変な誤解をするところだった。


 ――と、俺は自己解決したのに、工藤先生は美澄のその発言を拾わずにはいられなかったようだ。


「ほう、美澄は津城と同じクラスになりたかったのか?」


「――ちょ、先生」


 そう俺が言い止めるより先に、美澄が即答していた。


「はい」


 そんな迷いなく答えられると、俺としては非常に居たたまれない気分になるのだが、俺の気持ちなど露知らず、美澄は続ける。


「引っ越してきたばかりで不安だらけだったんですが、困ったら津城君が助けてくれて……出来ればそんな津城君と同じクラスになれたらなぁって、思ったんですけど」


「へぇ、津城がなぁ……?」


 ニヤニヤと堪えられない笑みを浮かべて、工藤先生が俺を見てくる。


 俺がそんな人に尽くすようなキャラじゃないのは、工藤先生もわかっている。

 だから、余計に俺が美澄を気に掛ける理由が気になるのだろう。


「な、何ですか先生……」


「いや、別にぃ? ただ、津城も美澄と同じクラスじゃなくて残念だったんじゃないかなぁと思ってな?」


「いや、別に俺は――」


「――え、津城君は残念じゃないんですか?」


 俺の右袖をキュッと引っ張り、不安げな上目遣いで榛色の瞳を向けてくる美澄。


 その瞳が若干潤んでいるように見えるのは、職員室の照明を反射しているからだろうが、それがなぜか今にも泣きそうな捨てられた子犬のように思えて、思わず言葉を失ってしまう。


 そして同時に、心臓が早打ちし、顔がみるみる熱くなっていくのを自覚した。


「ざ、残念じゃないって言ったら、嘘になるかな……」


 こんな状況で「いや、別に残念じゃないな」と言えるわけなかった。


 美澄は俺の答えに満足したのか、淡く微笑んで俺の袖から手を放す。


「ったく、素直に残念だと言えんのか君は~」


「だ、黙っててもらえますかね!?」


 はぁ、とため息を吐く工藤先生に文句を言いながらも、実際のところどうなんだろうと考えていた。


 初めは別に残念じゃないと答えようとしていたが、果たして本当にそうだろうか。


 美澄とは別のクラスという不変の現実を仕方ないなと思っただけで、もし、美澄と同じクラスか別のクラスのどちらに入りたいかと問われれば、俺は多分前者を選択するだろう。


 これは、俺が美澄に執着しているということになるのだろうか。


 あまり人と関わるのを好まない俺が、美澄に関わろうとする理由は一体何だろう。


 目が見えないからか。

 お隣さんだからか。

 友達だと思っているからか。


 それとも――――


 いや、それはないな。


 確かに美澄は美人で可愛いと思うし、何度かドキッとさせられるときもあった。


 しかし、それが恋愛感情に直結するかと言われれば、断じてノーだ。


 俺は恋愛はしない。恋愛なんて信じていない。


 だから―――――


 俺は横目で美澄を盗み見る。


 美澄はもらったタブレットを制服と同じ紙袋に入れ、大事そうに膝の上で抱えていた。


 そんな何でもないことに、俺は少し口許を緩めてしまった。


 ――――君に恋をするなんてことはない。


 そう、心の中で呟きながら。

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