第08話 お隣さんに付き添って①

 時刻は昼過ぎ。


 美澄の家で夕食をご馳走になった翌日にあたる今日、俺は書店に向かうべくマンションのエレベーターが来るのを待っていた。


 これだと階段で降りた方が早かったな……。


 エレベーターは俺が呼ぶ前に一階に降りてしまい、そこから誰かを乗せて五階まで行ってしまった。

 今、それが降りてくるのを待っている状況だ。


 そんなとき――――


 ガチャ、という解錠音が鳴ったかと思えば、三〇四号室――美澄の家の扉が開かれた。


「よ、美澄。お前も出掛けるのか?」


「あ、その声は津城君」


 美澄はにっこりと微笑み「こんにちは」と小さく頭を下げた。そして、こちらの方に歩いてくる。


「今から制服を受け取るために学校に行くんです」


「ほえぇ」


「津城君はどこへ?」


「俺は書店に」


「書店……確か、学校への道のりの途中でしたよね?」


「ああ」


「……」


「……」


 美澄が意味ありげな笑みを浮かべてこちらをジッと見詰めてくるので、俺は思わず苦笑いを浮かべてしまった。


「……一緒に行くか?」


「え、良いんですか?」


「おい、白々しいな。でもまぁ、別に良いぞ。何なら学校までついて行こうか?」


 学校までの道順は覚えたと言っていたが、制服を取りに行くということは校内に入るはずだ。

 となれば、俺が付き添って校内も案内した方が、美澄も困らずに済むだろう。


「それこそ本当に良いんですか? 津城君は書店に……」


「ま、帰りに寄ればいいからな」


「で、では……お願いしても良いですか?」


「そんな不安そうに聞かなくても、良いから提案したんだよ」


 ありがとうございます、と美澄は小首を傾げて微笑む。


 まったく、仕草の一つ一つが無駄に可愛らしいのが困りものだ。


 惚れるということはないが、また別のベクトルの――そう、愛玩動物を前にしているような感覚に陥ってしまう。


 思わずニヤけてしまいそうなので、そこは意識して表情筋を制しておかなければならない。


「津城君、また腕を貸してくださいね」


「お、そうだったな」


 俺は右肘を少し横に張って腕にスペースを作る。

 そこへ、美澄がそっと手を掛けてきた。


 まだ慣れない。


 女子とこの距離で、それも腕を組むような形になるので、若干こじらせているとはいえ健全な思春期男子である俺は、隣に立つ美澄の存在を意識せずにはいられない。


 何とか邪念を払おうと頭を横にぶんぶんと振っていると――――


『――三階です。ドアが開きます』


 そんなエレベーターの機械音声と共に、横開きのドアが開く。


「じゃ、行くぞ」


「はい」



◇◇◇



 冬休み――それも正月前の期間の昼下がり。


 いつも忙しなく働いている人々は正月休みを取り家でのんびりと。

 主婦はいつもいないはずの旦那が家にいるため、若干ストレスを感じてしまっているだろうか。


 そして、学校が休みであることを利用して、友達と遊びに行く学生。


 ともかく、行き交う人の中に知り合いがいて、俺が美澄と腕を組むようにして歩いているところを目撃されたらどうしようかと心配していたが、何とかそういったことなく凛清高校に到着した。


 冬休みなど関係なしに、グラウンドでは陸上部やサッカー部が、体育館ではバスケットボール部などが汗を流して練習に励んでいた。


 そんな者達にも見付からないように細心の注意を払いつつ、ようやっと職員室に辿り着いた。


「んじゃ、俺この辺で待ってるから」


「え、私を一人にするんですか」


 本校舎一階にある職員室の扉の前で、美澄が俺の腕を離さまいとキュッと掴んでくる。


 この状況、昨日の病院を思い出す。


「いや、こっからは教師が全部やってくれるだろうから問題ないはずだけど」


「そうではなくて、です。音で分かります……こんなに大勢の先生方がいらっしゃる職員室に入るなんて緊張するんです。津城君もついてきてください」


「大勢の先生方って……冬休みだから比較的人数少ないと思うけど」


「こ、これでですか?」


 一体美澄の地元の学校ってどうなってんだ、と想像し、思わず苦笑いを溢してしまう。


「お願いします、津城君」


「……ッ!?」


 両手で俺の右腕を軽く掴み、身長差の問題で図らずとも美澄が俺を見上げる状態となっている。


 しかし、やはりその距離からではまだ俺の顔を鮮明に認識出来ないらしく、微妙に俺の視線と合っていない気がするが、それでもこうして甘えられると顔に火照りを感じてしまう。


「わ、わかったよ……」


「流石津城君です」


 美澄に押し負けた俺は、職員室の扉をノックし「失礼します」と一言断って開く。


 流石に病院のときのように、「誰じゃ貴様ぁあああッ!?」と怒鳴って枕を投げつけられることはないはずだが、それでもなぜ俺がいるのか聞かれるのは免れないだろう。


「ほら美澄、用件はお前が言えよ?」


「は、はい。ええと……三学期からこちらに転校してくる美澄紗夜です。制服を取りに伺いました」


 美澄がそう声を掛けると、職員室にズラリと並ぶ事務机の二列目の辺りから、一人の女性教師が立ち上がってこちらにゆっくりと歩いてきた。


「うげっ」


 スラリと背が高く、長く伸ばされた黒髪は頭の高い位置で一つに束ねられており、黒馬の尾のように背中に揺れている。

 切れ長の瞳は黒色で、一見クールな印象を放つ教師だ。


 そして、その教師は俺のよく知る人物で、思わず呻き声を漏らしてしまった。


 それを聞いた美澄が「どうかしましたか?」と不思議そうに尋ねてくるが、俺が答えるより早く、その教師が俺を見て口を開いた。


「お、津城じゃないか。どうしてお前がここに……って、それも美澄と一緒とは何事だ」


 黒目をパチクリさせて俺と美澄を見比べる教師。


「まぁ、一言で言うと隣人の付き合いってやつですよ。工藤くどう先生」


「いや、まったくわからんが……」


 その教師――工藤涼香すずかは訝しげに眉を顰めるが、「まぁ、いい」と面倒臭そうにため息を吐くと、ひょいひょいと手招きしてくる。


「取り合えずこっちに来い」


 俺と美澄は、職員室の一角にある対面のソファー席に案内されるのだった――――

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