恋は踊る

 ルーサーは夢を見ていた。

 大昔読んだ本によると、ベラドンナの毒が原因で、恋人が眠っているだけだったのに死んでしまったと絶望した片割れが自ら剣を突き刺して自害、目覚めた恋人は片割れの亡骸を見て絶望して後追い自殺をしてしまったことがあるという。

 もっとも、ルーサーにベラドンナの毒を呷ったのは初恋の女の子であり、自分が上書きされてしまった記憶の向こう側にいる子なのだ。なによりも彼女は魔法使いの世界に飛び込むために必死で勉強をし続けて才能を開花させた才女だ。その毒で自分が死んで、彼女を後追いさせることはないだろうと、ルーサーはどこか気楽な思いでいた。


「それにしても……ここはどこだろう」


 自分は毒を呷って仮死状態のはずであり、本来ならば意識はないはずだ。なのに、視界が定まらない場所に立ち尽くしている。

 向こう側を見て驚いたのは、空がラベンダー色であり、青空が全くないということだ。たしかに産業革命からこっち、都会では絶えず蒸気がけぶり、空が絶えず不機嫌なままという場所だってあるらしいが、ルーサーの知っている限り、オズワルド周辺で空がラベンダー色の場所なんて、聞いたこともなかった。


「魔力が濃くなると、空に魔力が満ちてラベンダー色になるの」

「ああ、ここは魔力が濃いんだ……誰?」


 ふと横に振り返ると、背中に透明な羽を生やした、銀髪の少女がいた。瞳の色は空に似たラベンダー色。服は人間の手でつくったらいったい何年かかるかわからないほど、精巧なレース編みでつくられたレースが何十枚も繋げられたような真っ白のワンピースを着ている。

 そしてその姿は、まだ冷え込まない秋の頃に見覚えがあった。


「……ラナ」

「あなたはまだそう呼んでくれるのね」


 そう言って【ラナ】は頬を赤くさせた。

 ルーサーは表情を硬くして、首を振った。


「……ラナはアルマの本名だ。彼女から、人生を奪っておいて、まだ彼女の名前を欲するのか」

「あら知らないわ? 私は別にあの子を呼んだ覚えもないのに、勝手に来たんだもの。でも妖精郷だって魔力のおかげでなんでもできる。想像力さえあったら本当になんでもつくれてなんでも生まれるけれど、人間の想像力がなかったら、本当になんにもできないの。ここだって、定期的にこちらに流れてくる人間の想像力のおかげで、なんとなく豊かな感じになったのよ」

「……え、ええ?」


【ラナ】が好き勝手しゃべるのに、ルーサーは頭を痛めた。

 ひとつ。彼女の言い方が本当だとしたら、ルーサーの魂はなぜか妖精郷にある。

 でもルーサーは妖精語なんてわからないのに、なぜか彼女と意思疎通ができている。それはルーサーが今は魂の状態だから話ができているのか、はたまた人間界にいたときの言葉で【ラナ】がしゃべっているのかが判別できない。

 ひとつ。妖精郷は定期的に人間との取り替えが行われないと発展しない。妖精郷に辿り着く方法を人間界側は模索しているようだったが、妖精郷もまた、好き勝手には人間界に行くことはできないらしい。

 そこまで状況を整理して、ふとルーサーは気付いた。


「君は僕をここに連れてきてどうしたいの?」

「あなたを連れ帰ろうとしたのに、邪魔されたから。だから死に際に呪いをかけたのよ」

「死に際って……君はたしかに目の前で死んだよね?」

「死んだわ。人間界側のはね。取り替えで人間界に行くのだって、妖精はルールを守らないと駄目だから窮屈なのよ」


 妖精は人の心がわからず身勝手だとは言うが。


(ラナのふりをしていたときよりも、ずっと長くしゃべる……)


 どうも【ラナ】はラナのようにおとなしめにしゃべっていたのは、彼女なりに擬態しようとしていたらしいが。今はここは妖精郷であり、誰も彼女の擬態についてとやかく言う者がいない。この身勝手で奔放なのが、本来の彼女なのだろう。

【ラナ】はルーサーが困惑のまま眺めているのを見ながら、涼しげな顔で好き勝手言葉を捲し立てる。


「だから私は人間が来たタイミングで入れ替わって人間界に行った。楽しかったわ」

「……それで、死んだはずの君がここにいるのは」

「人間界に行ったのは、私の影だもの。人間だって、髪の毛が切れても痛いなんて言わないでしょう? 妖精は影がなくなったとしても痛くもかゆくもないわ」

「……つまりは、妖精の影が石化したところで、無意味と」

「……まあ、私を殺したのは、私を殺すために手段を選ばないでしょうしね」


 そう「やれやれ」と【ラナ】は肩を竦めて首を振った。

 その仕草を見て、ルーサーは考え込んだ。


(アルマは妖精の影だけ殺すなんて考えられないけど……これは本当に妖精郷に行っている夢? それとも……僕というよりも、アルマにとって都合のいい夢?)


 そこまで考えたところで、【ラナ】は手を振った。


「あれは妖精郷で言葉を覚えるくらいまで滞在したのだもの。妖精たちにたっぷりと情報を与えて、その対価として、妖精語がしゃべれるようになった。それくらいしつこい人間は、妖精となにが違うのかしら? 気を付けなさい、ルーサー。妖精は本当にしつこいんだから」


 そう【ラナ】が言った途端に、彼女の羽がピシッとひび割れた音を立てた。それにルーサーは驚く。


「えっ……?」

「……あの女、本当にしつこいったらないわ。私を殺すために、愛しのルーサーを撒き餌に使ってまで、私の残り香をたぐり寄せて妖精郷にまで魔力を押し流すなんてね」

「待って。僕がここにいるのって」

「あれに好かれて可哀想なルーサー! ご愁傷様! 妖精郷の風になって、人間界にまで来ることができたらいつでも慰めて抱き締めてあげる! 可哀想なルーサー!」


 ピシッピシッピシッピシッ。

 彼女のひび割れた音が、どこまでもどこまでも響き、とうとう彼女の全身は灰色の石となってしまった。

 それは彼女に名付けの魔法を使ったときと同じく。しかも、アルマは自分が妖精郷でなにをしたのか覚えてない癖に、妖精郷に残した自分自身の痕跡を辿ってラナを追い詰めたのである。


「アルマ……」


 妖精はどこまでも自分本位であり、身勝手だ。ルーサーは自分に固執するアルマを、どうしても妖精と同じとは思えなかった。


「だってアルマ、僕に嫌われるのをあんなに怖がってるのに……」


 どれだけ怖いことを言おうが、どれだけ正論を吐こうが、ときおり本当に可愛げのないことを言おうが。

 ルーサーにとってはどこまでもどこまでも、大事な女の子だった。

 奪われた記憶は戻らず、空白は埋まらない。それでも。未来はつくれると信じた子だった。その子が自分に嫌われたくない一心で、こっそりとラナを殺そうとしたのなら、それを黙っているべきだろうとルーサーは思った。


「僕は、彼女のことが好きだよ」


 妖精からしてみれば、相手のことをそこまで信じて好意を向け続けるのなんて意味がわからないだろうが。彼にとってはそれはごくごく自然なことだった。

 やがて、視界が霞んでくる。

 妖精郷の光景はだんだんと遠ざかり、意識が拡散していく。

 夢が覚めようとしているのだ。

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