骨喰い・b -1
お姉ちゃんを売った。
悪い夢でも見たのかと、朝が来るたびに日記を見ては絶望した。現実は私が目を背けることを許さず、私も自分に逃げることを許さない。人生の全てをかけて姉の、菫の足取りを追い続けながら、だが、最大の手がかりであるはずのあの男だけは、何度も挑もうとしては避けてきた。
それも今日までだ。
「月島親子を、殺せ」
憑路の全てを知る女、夜乃。幻世の台所を統べる者はそう言った。
ならば、もう逃げられない。
今日、私は、七年前の事件に決着をつける。
季節は秋へ変わり、つくばは筑波山の紅葉を目当てに訪れる観光客が増え始める頃。
結弦はといえば、平日は登校し、増え続ける社会の重松教諭の課題に不平を言い、休日は友人と遊ぶ。そうして普通を手に入れるための日々を送っている。
少なくとも、表向きは。
「逢魔ヶ時にこんばんは。美少女剣士カモちーです」
「……久しぶりだな」
「おひさしぶりでーす」
いつも通りの仕事を追え、いつも通りの帰り道。明日は金曜日、週末の予定をどうしようかなどと考えていた結弦の足は、つくば市のベッドタウンともいえる万博記念公園駅の近場、閑静な住宅街の街灯の下で止まっていた。
理由は単純。秋口の短くなりだした日が沈もうかという中、アスファルトに立つ羽織姿の少女に行く手をふさがれていたから。
「今度はなんの用だ?」
「やだなー、僕とユズルさんの仲じゃないですか。たまには会いに来たっていいでしょ?」
「遊びに来たんじゃないんだろうなってことは分かってる」
「うーん、美少女との逢瀬にあるまじき仏頂面。とは言ってみますが、お仕事で来たのは確かですから返す言葉もありません。今日はユズルさん宛に、なんでも知ってる人からの伝言があって来ました」
「夜乃からか。何と?」
「まあまあ焦らず。ところで、『骨喰い』とは最近どうですか?」
『骨喰い』の四条菖蒲。身内の争いを骨肉の争いと呼ぶことから転じて、実の姉を売り払い世界一の料理人の知識と経験を手に入れた過去を示す、憑路関係者間での菖蒲の通り名だ。
「毎日、見かけはするよ」
話すことはない。
声をかけることも。廊下ですれ違った時に会釈する程度のコミュニケーションがせいぜいだ。
「お互いの過去を暴露し合った仲なのに、冷めてますねー」
「月島親子のことで手一杯でな」
手一杯とは言ったが、結論としてこの二ヶ月間、月島親子は何もしてこなかった。
宣戦布告をしたのだから、向こうから攻めてくることを考慮して色々と対策も考えた。しかし二人の布告は『永遠に座を狙う』というもの。数十年、数百年、下手をすれば数千年単位の戦いを見据えた彼らに、一ヶ月や二ヶ月の間でせかせかと戦うつもりはないらしい。
今はごくごく当たり前に学校の理事長と生徒会長として、その職務をこなしているのみだ。
「お二人はそれに振り回されておデートもできませんでした、と。すでに負けてる感がありますねー」
「そんな話をしに来たのか? 夜乃の使いもけっこう暇なんだな」
そんな話をしている間にも日は沈み、街に夜の帳が落ちてゆく。
「おっとと、逢魔ヶ時が終わる前に用事を済ませないと。主に怒られちゃいます」
「それで、伝言っていうのは?」
「三日後、『骨喰い』が憑路で行方知れずになります」
「え?」
「もっと平たく言うと四条菖蒲が死にます」
「……そうか」
さらりと。
聞き流すにはあまりにあまりなことを言い残し、芹沢の姿が薄れ始める。
「意外と冷静なんですねー。ユズル様ってば薄情」
「いずれそうなると思ってたからな」
「なるほどなるほど」
言っている間にも浅葱色の羽織は透け、少年の影は濃くなってゆく夜闇に溶けてゆく。
「縁があるかは知りませんが、あればまた会いましょう! ではでは、さようなら」
「四条先輩が、死ぬ、か……」
◆◆◆
学生の本文は学業とは言うけれど。流石に人命には替えられないということで、結弦が適当な理由をつけて翌金曜に学校を自主休講とし、上野の街をかけずり回ったのが昨日のこと。土曜の今日、再び上野に降り立った結弦の隣には何度目かの少女の姿。
「……やっぱり出ない。じゃあ今村、行ってくる」
菖蒲に何度かけても繋がらないスマホをバッグにしまい、心配してついてきたクラスメート、今村薫に声をかける。ふたりにとって初めてではない上野だが、このエリアは結弦にとっても彼女にとっても未経験だった。
「でも結弦、こんなの危ないって。いくら街中って言っても何があるか……」
「心配はありがたいが、でもどうしても必要なんだ」
「たまに変なとこあるなーとは思ってたけど、危ないことはするタイプじゃなかったじゃん! なんで急にホームレスなんか探そうとしてるの?」
「ほっとけない人がいてな。その人のために行かなきゃいけないんだ。大げさかもしれないけど、一時間たっても戻らなかったら警察に連絡してくれ」
上野公園がホームレスの溜まり場なのは今も昔も変わらない。一方で、ダンボールとブルーシートで家を作り生活を……といった行為への規制はここ数年で一気に厳しくなった。それを受けて家を持たない人々の生活拠点は公園外へと移っていった。
結弦が踏み込むのはそんな拠点のひとつ。高校生などまず立ち入らない、立ち入ってはならない場所。
「一時間だからね。スマホのGPSも絶対に切らないで。待ってるから」
「ああ」
比較的安全な時間帯を選びはした。それでもいつ起こるか分からない不測の事態を避けるため、結弦はブルーシートの隙間を足早に抜けてゆく。
時折視線を感じては即座に向きを変え、声が聞こえては向きを変え、やや大回りしてたどり着いたのは小ぶりなダンボールハウス。中に人の気配があることを確かめて息を吸い込んだ。
「
中でガサガサと音がする。ダンボールの隙間から顔を出したのは、伸び放題の髭に落ち葉を絡ませた男。ひと目には五十代後半にしか見えないが、結弦は彼が四〇歳前後であることを知っていた。
「……誰だっけ、お前サン」
「久しぶりだな。覚えてないか? 四条先輩の知り合いの吾川結弦だ。アメ横の中華料理屋の方からここにいると聞いて来た」
洪博文。
有限会社洪企画の『元』社長。土浦市を拠点として脱税ビジネスで荒稼ぎしていた台湾系ニ世の、いわゆる暴力団関係者だった男だ。憑路を知る数少ない人間のひとりであると同時に、結弦にとっては菖蒲もろとも憑路で葬られかけた因縁の相手である。
そんな過去を疑うほどに変わり果てた姿の洪は、菖蒲の名前を聞いて目を見開く。そして。
「ひ、いいいい!! 来るな! 帰れ!!」
逃げた。
「ちょ、逃げるな! 何もしないって!」
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