冷や飯喰い -2
的確な解釈。正直に答えてよいものかと逡巡しながら紅茶のおかわりを注文して間をもたせる。
「……道具がいるんです。それをダシにして人間を食い物にする妖怪もいます」
「たしかに現世に生きる我々にとっては、幻世に行くこと自体が『道草を食う』行為なわけだ。もう一度食わないと帰れないのも道理といえば道理。迷い家だとか神隠しだとかに遭った人が帰ってこられないのもその『道草』を手に入れられなかったからなのかな」
「そこまでは知りませんけど」
「それで、その『道草』は貴重品なのかい?」
「らしいです。簡単には手に入らないようで、少なくとも俺は売っているところに出くわせたことは一度もありません」
言うべきことは言った。もう席を立った方がいいだろうと結弦は鞄を手にとった。
「紅茶、ごちそうさまでした。そろそろ暗くなりますので、俺はこの辺で」
「突然呼び出してすまなかったね。よければまた遊びに来てくれよ。いつでも歓迎だ」
二度と来るかと思いつつ、結弦は適当に相槌を打って生徒会室を後にした。
「結弦結弦、聞いた?」
「何が?」
「月島会長が行方不明なんだって! たしか結弦って生徒会に呼び出されたよね? そのすぐ後みたいだよ!」
「……へー」
何か知らないか、今村薫にそう聞かれた結弦は目を泳がせながらそう答えるしかなかった。泳がせた視線の先に、洪の件で菖蒲から預かったままの『道草』の紙包みが入った学生鞄を見つめながら。
◆◆◆
「どうする……」
『ツキジへ行く』。そう書かれたメモが月島の部屋に残されていたと聞かされた。当然、捜索の警察官が旧築地市場にも足を運んだが何の手がかりも得られなかった、とも。
となれば結弦にとって答えはひとつしかない。
「ここ、だよな」
誰にでもなく、薄暗い路地に問う。店舗と店舗の隙間、入り組んだ通路を違えず歩いてようやく辿り着く、幻世と現世の分かれ道。
憑路への門の前に結弦はいた。
「門はいくつもあるって話だから、月島会長が入ったのはここじゃないかもしれないしな……。四条先輩からは『静観しろ』ってメッセージが来たっきりだし。くそ、どうしてこのタイミングで……」
本来頼るべき相手の不在を嘆く結弦は、言うまでもなく独りである。
菖蒲が情報収集だとかのために出払っている時を狙いすましたかのように話が持ち込まれたからだ。仮に罠なら行くわけにはいかないが、もし本当に迷い込んだのならあの異界で初見の一般人が何日も生き抜けるとも思えない。逡巡の末、結弦は門前に立っていた。
「……いや」
あまりにも危険だ。憑路がそうである以上に、月島家を単身で相手取るのはあまりにリスクが大きい。長いひとり暮らしのせいで増えた独り言をつぶやきながら踵を返そうとした結弦の背中が、強い力で押し込まれる。
周囲から日光とアスファルトが消え、代わりに提灯の明かりに照らされた朱塗りの門が現れる中。
「奇遇だね、吾川くん」
憑路にいるとばかり思っていた月島と、間近で目が合った。
「説明してもらっていいんですよね?」
菖蒲の時と同じような台詞を吐きながら月島に詰め寄るが、答えの察しはついている。
「お願いしても無理なようだったからね、少々強引な手段をとらせてもらったよ」
「わざと行方不明になって、俺が探しに来るのを待って後を尾けたんですか? なんでそんな回りくどいことを……」
「いやぁ、最初は四条さんに張り付いていたんだけどね。あっさり気づかれて鎌倉に誘導されちゃって。武器を売ってるお土産屋で刀を見て帰る羽目になってしまったよ」
アハハ、と軽快に笑う姿も、結弦にしてみれば頭痛の種でしかない。
「それで、代わりに俺を尾行ですか」
「とても簡単だったよ」
「……それはどうも」
とにもかくにも、来てしまったものは仕方ないと結弦は思考を切り替える。
助ける義理などないが、放置して何かあっても寝覚めが悪い。月島継嗣と憑爺の関係まで探るなどと欲張ったことまでは考えない。
「この前も言いましたけど、まずは『道草』がないことにはどうにもなりません。売ってくれる人を探しましょう。絶対に勝手に動き回ったりは……」
ひとまず考えをまとめて月島に振り返り、結弦の動きが止まった。
「いない」
先ほどまで側にいたはずの月島が、忽然と姿を消していた。
妖怪の仕業か。そう考えて辺りを見回したところで、雑踏の向こうへと消える月島の背中が見えて頭を抱えた。
「置いて帰ってもいいんじゃないか、もう本当に」
そうしたとして誰に文句を言われる筋合いもないが。そこは仮にも善良な市民として生きてきた弊害か。ため息とともに大きな満月の浮かぶ天を仰いでも月島との距離が開くばかり。
「……くそ。せめて憑爺には会わないようにしないと」
吐き捨てるように言い、結弦は初めて自分の意志で、独り憑路へ踏み込んだ。そうして門をくぐった瞬間に横から覚えのある声。
「これはこれは。なんとも奇遇じゃないか少年。今宵は何が御入用かな?」
「……憑爺」
藍染の着物を着た白髪に狐面の青年。
爺を自称する人型の妖怪、憑爺その人がそこにいた。門の裏側、結弦の死角により掛かっていたらしい。
「あれだけのことをしておいて、よく平気で顔を出せるな。刺されても文句は言えない立場だろうに」
「ははは、面の皮は煮ても焼いても食えぬ故な。厚くなることはあっても一向に減る気配がない。ここはひとつ、背中の皮も厚いか試してみるかね?」
「それで、何の用ですか。急いでるんですけど」
背中をほれほれと差し出すも結弦からはつれない返事。それにわざとらしく肩をすくめてみせてから、憑爺は手を袂に戻してにこやかに笑う。
「なんのなんの。知己に会うたなら挨拶のひとつも交わすが人の情だろう? ただ爺は憑路(ここ)にいる。それだけ覚えてもらえればそれでよいとも」
妖怪が人情を語るのもどうなのか、と言いかけて、また相手のペースに呑まれていることに気づいて視線を前に戻す。追っていたはずの月島の姿は、すでに赤青黄色、二本足三本足四本足の生き物たちに隠れて見えなくなっていた。
大声で呼びかけてみようとした結弦は、しかししきりに飛び交う「見てって見てって」「閉店間際の投げ売りだ」といったがなり声たちを前にして諦めた。
「……」
「お連れ様なら五条通りの方へ向かったと見えるが、あれほど迷いなく憑路を征く一見さんも珍しい。菖蒲くんといい、君のご友人は面白い方が多いようだ」
「別に友達ではないが」
「ふむ、むしろ厄介者といったところか。これでも人の身よりは長く生きているでな、酸いも甘いも噛み分けた知見から言うならば、そういった相手に情をかけるのは己の首を締めることになるのが常。其奴が己にとって価値あるものかは、心を鬼にして見定めるに限る」
「あんたに人生論を教わるつもりはないさ。じゃあな」
「うむうむ、ゆるりとしていかれるがよい。しかしそう言う割りには、ずいぶんと爺の長話に付き合ってくれるじゃあないか。何か知りたいことでもあるのなら遠慮なく訊いてくれてよいのだが?」
「……質問への答えを信用しないとしても?」
「無論だとも。噛んで吐き出そうとも舌に味は残る、それが道理というもの故な」
信じないつもりであっても、聞けば何かしらの影響は受けるという意味らしいと察し、結弦の眉間に皺が浮かぶ。数瞬の思考の後、それでも結弦は口を開いた。
「夜乃と張り合おうと思えるくらいには、あんたも色々知ってるんだな?」
「ははは、夜乃殿に匹敵するなど恐れ多くて口は裂けても言えないともさ」
「あんたの目的はなんだ?」
表情は崩さぬまま、しかし憑爺がゆるりゆるりと揺らしていた袂がぴたりと止まる。
「それを聞いて、どうするのかね? 信用しないのだろう?」
「本当に知っているかどうか、正しいかどうか。それはどうでもいい。あんたがどう答えるのかは信用できなくても、なぜそう答えたのかは考えられるからな」
「なるほどなるほど、此処ぞという時の君はなかなかに冴えていると小耳に挟んだ通りだ。その眼力に免じて答えるとしよう」
それは、去りゆく故郷の名残を惜しむように。
妖怪変化がひしめく喧騒がワイワイと絶えることのない市場をちらを見回して、憑爺は面ごしの視線を結弦に戻した。
「永遠の命」
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