仲介人 -6

「それもナイショです。主命でして」

「そうか……」

「ごめんねおにーさん。こっちにもいろいろあるんですよコレが」


 タイムパラドックスだとか世界線だとか、そういうものだろうか。結弦は少し考えて、自分の知識の範疇を超えていると気づいてやめた。


「さて、今日は僕もう帰りますねー。恩返し、まだしばらくかかると思うんでまた来まーす」

「これでも返しきれない恩なのか……?」


 一礼して踵を返した少女は、しかし去り際にもう一度振り返った。


「忘れてました。あなたが恩をかける相手からの伝言です」

「誰からかは秘密なんだろうな」

「お察し感謝。然して、我が主の命により、主の友たるさる方よりの言伝をユズル様へ申し上げまする」


 それまでのへらへらした表情と違う真剣な眼差しに、思わず結弦の背筋が伸びる。


「貴方は本来、このような形では憑路と関わるはずのない方でした。すでに貴方の運命は大きく変わり始めております」

「……そうなのか」

「しかしそのことが私を、そして、彼女を救うのです」


 彼女、と言いながら少女が視線を向けた先には、未だ意識のない傷だらけの菖蒲の姿。


「四条先輩も?」

「貴方の勇気ある選択により救われた人間がいることを、どうか、どうかお忘れなきよう」


 そこまで言って、少女の雰囲気がまたガラリと変わる。いつもの飄々とした小生意気な顔。


「と、いう感じです! で、これがお守り」


 お守り。

 そう言って取り出したのはガラスの小瓶。中には灰のようなものが収まっているだけで、お守りと聞いて想像するような霊験あらたかな何かしらがこもっているようには見えない。


「肌見放さず持っているように、とのことです!」

「……ああ、分かった」


 現実としてその人物のおかげで助かったのは事実。持ち歩けるように巾着袋でも用意するかと、そんなことを考えながら結弦は小瓶をポケットにしまった。


「話の見えない伝言に、灰がお守り、か。なんなんだ、その人」

「所詮は人間なんですけどねー。ひ弱で普通な存在ですよ。あ、人間だってことくらいは言ってもオッケーなんで言っちゃってます」

「普通の人間、ねぇ。俺は恩人だって言ってたけど、敵のはずのあの連中まで助けるなんざ聖人君子の類だろ」


 貴重な『道草』まで大盤振る舞いして。そんな結弦の言葉に、少女はポカンと口を開ける。数秒間そうしたかと思うと、今度はケラケラと笑いだした。


「あははは、最後の最後で締まらないですねぇ、ユズルさんは」

「え、なんでだ? 何かおかしいこと言ったか?」

「あの人達が助かるわけないじゃないですかー」






 少女が言伝を述べている、時はその頃、場は現世。


「おお、街だ!」

「本当に帰ってこれ……痛ッ!?」


「おいおい、なんだこの人数は……」

「帰ってこれても二、三人じゃなかったのかよ」

「うるせえ! やるしかねえんだ腹括れや!!」


 憑路と現世を結ぶ『門』。コンクリートに囲まれた狭く油臭い空間で、二十人を超える男たちが武器を手に鉢合わせていた。







「考えてもみてくださいよー」


 手近な木塀の上にひらりと飛び乗り、猫のように歩きながら少女は楽しげに言う。下にゴザをひいて寝かされている菖蒲の上に落ちはしないかと一瞬だけ心配して、身のこなしの鮮やかさに結弦は手を引っ込めた。


「洪とかいう人間の思惑通りにいったとして、それでも何人かは現世に帰ってくるんですよ? それも恨み骨髄に徹すって感じの状態で」

「それは、そうだろうな」


 騙されて捨て駒にされた恨みは並大抵のものではないだろう。きっと洪を殺すほど憎んでいるに違いない。


「そしたら、そいつらをその場でコロコロっとしちゃう役目が必要じゃないですか」


 菖蒲も言っていた。「門に待ち伏せされているはずだ」と。

 どう転んでも誰一人として憑路から出すつもりはなかったのだろう。


「聞いたかもしれませんが、憑路は売り買いをする場。人間を殺すことは最大のご法度です」

「……ああ、そういえば憑爺がそんなことを言ってたな」

「なので、ちょっとくらい予算がかかっても外に追い出してセルフキルサービスしてもらわないといけなかったと、まあそんな感じです。全員が帰っちゃったおかげで、向こうは今ごろ上に下にの大騒ぎ。ユズルさんたちはしばらく待ってれば死体を踏んづけて帰れますよ」

「踏まんわ」

「全人類憧れのレッドカーペットなのに? 血の赤ですけど」

「踏まんて」


 浮かれた様子の少女と対照的に、結弦は無愛想に答える。現世がそんな状態ならすぐには帰れないし、カモちーのおかげで菖蒲の命が助かったこともあって無碍にもできず、さも中学の休み時間のようなノリで延々繰り出されるブラックジョークに付き合っていた。


「んー、いい得物を持って待ち伏せてる三、四人と、棒きれを持った十と何人。どっちも無事じゃ済まないでしょうけど、さすがに勝つのは多いほうかな? ユズルさんはどっちに賭けます?」

「ギャンブルはやらないと決めてる」

「むー、味気ないなぁ」

「……お話の趣味が悪いからですよ」


 低い位置からの声。

 寝かされていたゴザから起き上がろうとして、脚の傷が痛むのかうめき声を上げて再び床に戻る。やはり相当な重傷らしいと同時に、五体が無事に動いている様子に結弦は少しだけ安心していた。


「四条先輩!」

「誰かに助けてもらえるとは思ってなかったけど、そういうことなんですよね。その……ありがとうございます」

「……えっ、あっ、はい、どういたしまして」


 結弦としてはこうも素直に礼を言われるとは思っておらず、むしろ「なんで戻ってきたんですか」の一言くらいあると思っていた。おかげでしばらく間の抜けた顔で黙ったあとで両手をぶんぶん振りながら返事をするという、実に不格好な結果になった次第である。

 そんな様子を眺める羽織の少女はと言えば、塀の上で退屈そうに足をぷらぷらさせている。


「あのー僕は? 功労者の僕にお礼の言葉はないんですかー?」

「妖怪が、そんなお腹の足しにもならないものを受け取って喜ぶんですか?」

「言われてみれば欲しくもなかったですね。文字通り煮ても焼いても食えませんし!」


 善意を食い物にするというのは聞いたことがあるが、謝意を食べるだとか舐めるだとかはなるほど聞いたことがない。ひとり納得した結弦を尻目に、菖蒲は服の埃を払って今度こそ起き上がった。が、やはり痛みで姿勢を保てないのか、すぐに塀に寄りかかって息を荒くしている。


「肩、貸しますよ」

「すみません……」

「僕も貸したいけど背丈が足りません。残念無念また来週」

「心にもないことを……。そうだ、こういうのはどうだ? ダメージを『食らった』んだから、それを誰かに買い取ってもらう、ってのは」


 浮かんだ名案を語る結弦に向けられた二人の目は、呆れ一択。


「憑路で売り買いできるのは現世で食ったものだけですよ。憑路で食ったものには『食えばなくなる』が適用です」

「あ」

「えー……。さっきの甲子太郎ばりの弁舌が嘘みたいに締まらないですねー、ユズルさん。さっきで死んでれば主人公みたいだったのに」

「そこまで言うか」


 少女に抗議の目を向ける結弦をよそに、菖蒲はスマホを取り出して時刻を確認している。


「『道草』で戻るにはまだ少し早い、かな」

「ところで『骨喰い』さん、向こうに戻ってからどうするんですー? おふたりが五体満足で生きてるって話はすぐに洪の口、もとい耳に入りますよ。逃げる算段くらいはつけとかないと後で慌てることになっちゃいます」

「逃げるって言ってもな。高校生じゃ夜逃げというより家出にしかならないし、金だって……」

「食い物市に関わったせいで食うや食わずの生活になりました、ってことですか。なんでもは知らない僕も知ってますよ、こういうのヤブヘビっていうんですよね」

「そんな他人事みたいに」

「他人事ですし」

「大丈夫ですよ」


 考えてあります、と菖蒲は無表情のままに言うと、時間が経つまで眠ると言い残して再び意識を失った。

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