仲介人 -3

「奴ら、こちらに向かっています」


 現世から持ち込まれた『浅い』気配。個々では暗闇に塗りつぶされて見えなかったそれが集まって形をなし、明らかな意思を持って結弦たちが隠れる場所へ近づいてくる。そんな感覚に襲われた結弦の震えを抑えるように、菖蒲は結弦の手を握った。


「落ち着いてください。そんなことはありえません。憑路のことをろくに知らされていない彼らが、向こうの路地からここに感づくはずがないんです」

「いえ、どんどん近づいてます。人数も六、八、どんどん集まってる」

「場所を移さないといけない……? でもこれ以上先へ進むのはリスクが……」


 物陰を出ようと身を起こした菖蒲が、言葉を切って動きを止めた。その視線は路地の奥、人の眼には漆黒としか映らぬ深みとのギリギリの境目。

 白い髪に藍染の着物を纏った狐面の男が、風にでも吹かれるように飄々と立っていた。




「やあやあこれはこれは、誰かと思えば先日の少年じゃないか。それにその隣はいつぞやのお嬢さん。ほんの数年、我らにとっては昨日の今日ばかりの年月でこうも大きくなろうとは。いやはやいやはや。人間五十年、化天のうちを比ぶればとはよく言ったものよなあ」




 憑爺。菖蒲の宿敵で、結弦を陥れようとした、その張本人がそこにいた。


「憑爺……!」

「お前、まさか」


 素人には見つかるはずのない隠れ場所が見つかった。となれば手引きした者がいるはず。

 菖蒲も結弦と同じことを察したらしい。


「露店の主人から君たちが来たと聞いてね。挨拶でもしておこうと思った次第だが、なんだいなんだい。あの女のことをずいぶんと贔屓しているみたいじゃあないか、菖蒲くん」

「あの女……夜乃のことですか。彼女の千里眼に張り合って地獄耳をアピールとは、やることがまるで子供ですね」

「ははは、若さを褒められたと思っておくとも」

「どうしてだ!? 俺たちが捕まったからって、あんたに何か得があるわけでもあるまいに……」

「なにゆえ、とな?」


 結弦の問いに、憑爺は一瞬きょとんとした仕草をしてみせる。おそらく演技だろうそれのあとは、カカカと愉快そうに笑った。


「それは当然、秩序のためだとも」

「秩、序?」

「そう、秩序だ。それは商いの場にもっとも必要なものだろう? それを乱すものがいるのなら、憑路を愛する者として排除にかかるのは当たり前のことじゃあないか」

「あなた、まさか夜乃に成り代わる、いえ、追い落とす気?」

「おやおや菖蒲くん、めったなことを言わないでくれたまえよ。そんな恐れ多いことができるわけないだろう、はっはっは。」

「憑路を乗っ取るってことか……?」


 夜乃にはすべてが見透かされる、という菖蒲の言葉を結弦は思い出す。だからだろうか、口ではそう言いながら本心を隠そうともしない憑爺にある種の不気味さを感じずにはいられなかった。

 それを読み取るように憑爺はかかかと笑う。


「なるほど、夜乃は憑路の全てを知る女だとも。だが夜乃自身が出向くことがあるかな?」

「……少なくとも私の知る限りは」

「ないだろう? 全ては手足となる者たちによるものだ。特に仲介人の働きこそ目覚ましい」

「カモにゃんのことですか? 何が言いたいんです?」

「いかに目が見え耳が聞こえても、手足をもいでしまえば障りないということさ」

「仲介人に誰も会わせないことを、いえ、仲介人の殺害を狙ってるってこと……?」

「殺すだなんて。おお、おお、なんと恐ろしい言葉を。ははは」


 人を食ったような物言いを繰り返す憑爺を睨みつける菖蒲だが、これ以上は無駄にする時間が惜しい。背後には憑爺が導いたであろう洪の追手が迫っている。

 その焦燥を見透かしてだろうか。憑爺はけたけたと笑って結弦たちに背を向けた。


「さてはて、男女の逢瀬に爺が長々と割り込むほど野暮なこともない。おじゃま虫は退散退散」


 よく通る声が暗闇の先へ消える。入れ替わるように背後から近づく乱雑な足音と暴力的な気配。悩む時間はもはや無い。


「四条先輩! すぐにもっと先へ……」

「吾川くん、よく聞いて」


 結弦の言葉を遮り、菖蒲は結弦の手を握った。突然のことに戸惑う結弦に早口でささやく。


「ここから先は文字通りの人外魔境です。憑路に不慣れな君は連れていけません。だが私だけなら別。もっともっと先、私が奴らを深みまで引っ張り込んで撒きますから、君は私と反対方向へ逃げてください。浅く明るいエリアまで行けば安全なはずです」

「でも四条先輩って霊感はないんですよね? 身を守るって言ったって」

「経験の違いを舐めないで」


 そう言いながらも、菖蒲の手が震えているのに結弦は気づいた。

 だが、気づいただけだ。結弦に憑路で戦う知恵も力もないのは事実でしかない。

 置いていけないだとか逃げるなら一緒だとか、そんな台詞に価値があるのは映画の中だけだ。今やるべきは、唯一できることは、お互いが全力で走ること。でもその前に言っておかなくてはいけないこともある。


「すみません」

「な、何がですか?」


 急に謝られたからか、菖蒲がたじろぐ。


「俺がいなければ、四条先輩ひとりならもっと簡単に逃げられたのに。俺がついていくなんて言ったせいで……」

「そんなことですか」


 安心したような、呆れたような顔。


「あなたについてくることを許したのは、先輩の私です。それに吾川くんに警告されなければお屋敷のところで終わりだったでしょう。差し引きゼロどころか、借りがあるのは私の方ですよ。それに、なによりも」


 振り返り、菖蒲は憑爺の消えていった暗闇を睨みつける。


「ここで誰かをスケープゴートにするよう仕向け、私に七年前と同じ失敗を繰り返させる。憑爺(あいつ)の安っぽい目論見に嵌ってやるのだけは、死んでも御免です」


 そこまで言われて、結弦は憑爺の考えに気付かされた。

 自分を付け狙う菖蒲に、憑爺は選ばせようとしているのだ。このまま人間に殺されるか、同じ過ちを犯して志を失うかを。


「どいつもこいつも、人をなんだと思ってんだ……!」

「恨み言を言いたいのは山々ですが時間がありません。私は右、吾川くんは左へ。明るい場所へ出たら、そうですね。私たちが初めて会った通りの先に、年中シナモンの香りがする広場があります。そこで落ち合いましょう」

「誰の言葉も信用せずに待ちます」


 大切なことを言わずとも分かっていることに安堵の表情を浮かべて、菖蒲は荷物を探る。


「もし万が一、私が戻らなかった時は。なるべく時間を置いてからこれを使ってください」


 和紙に包まれた『道草』を一房取り出して結弦の手に載せる。結弦は青々とした草をジーンズのポケットにしまい、しっかりとボタンをかけた。


「では」

「はい。お気をつけて」


 言えども別れを惜しむほどの仲ではなく、その時間もない。

 菖蒲の合図で、ふたりは物陰を飛び出した。




    ◆◆◆




 こんなに全力で走ったのはいつ以来だったろう。

 そんなことを考える余裕ができたのは、前方からほのかにシナモンの香りが漂っていることに気づいてからだった。


「はぁ、はぁ、はぁ……くそ!」


 赤提灯にぐるりと囲まれた広場で息を整える。追手は菖蒲が引きつけたらしく、ここまでに追われている感じはしなかった。

 シナモンを中心に種々の香りが満ちるここは、どうやら香辛料の市らしいと察する。雑貨屋のような露店が並んでいた先ほどまでのエリアと比べるとどこか整然とした印象を受ける場所だ。と言っても賑わいがないということはなく、むしろ人通り――道行くのは人でなく妖ばかりだが――は結弦がこれまで見てきた憑路のどこよりも多い。菖蒲が待ち合わせ場所に指定したのもこの人目の多さ故だろう。


「『道草』は……ちゃんとある」


 ポケットの感触を確かめ、、虎の子ともいえる青草があるのを確かめる。そうしてようやく、結弦の肩から少しだけ力が抜けた。

 四条先輩はどうしたろう。

 そう考えてはみるが、赤く煌々と照らされた香辛料の数々も、夜空に浮かぶ三日月も、何も教えてはくれない。


「せめて、何か……」

「『聖剣とか売ってないのかな』」

「……出たな」


 自分の思考を雑になぞるような言葉に、結弦の喉から間の抜けた声が出た。それを恥じる余裕もなく、背後を振り返る。


「出たなって、そんな妖怪みたいな!」

「妖怪だろう」

「そうでした。自分のことを美少女属性としか認識していないもので」

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