仲介人 -1

――憑路。


「この度は大変申し訳ありませんでした。これはほんの気持ちで……」


 土浦市からつくばの学校まではおおよそ一時間半。現世ですっかり日も落ちた頃、常に提灯がともるあやかしの市に菖蒲と結弦はいた。

 幸いにも目的の露店の周りに憑爺の姿はなく、今は無愛想な店主に謝罪を受け入れてもらえず悪戦苦闘しているところだ。


「こちら焼き饅頭といいまして、つくばでは割と有名な黒糖味の……」

「……」


 一向に返事をしてもらえない結弦は、かといって黙っているわけにもいくまいと持参した菓子折りの説明を続けている。そんな様子を見かねてか菖蒲が助け舟を出した。


「店主さん、この件では夜乃の使いの手を煩わせているんです。受け取ってもらえないとなるとそう報告しなくてはなりません。ご事情は察しますが、ここはお互いのために……」

「わ、分かった。確かに代価も詫びの品も受け取った。だからさっさとどっか行ってくれ」


 ウロコに覆われて表情の読みづらい顔に焦りをにじませ、店主は菓子の箱をひったくるように受け取るとシッシッと手を振る。言われるがまま離れて、ようやく結弦は一息ついた。


「なんで受け取ってくれなかったんですか、あの人? 妖怪? は……」

「憑路のパワーバランスのせいです」


 結弦の用事を済ませ、自分の用のために早足で通りを歩く菖蒲はどこか焦っているように見える。より歩幅の大きいはずの結弦からしても少々速いペースで、石畳のゆるい下り坂をカツカツと進んでゆく。


「憑爺が吾川くんを騙そうとした時にあの店を選んだということは、おそらくあそこは憑爺の傘下です。そんな店がお詫びの品を受け取れば憑爺の顔に泥を塗ることになるし、かと言って受け取らないと総元締めである憑婆の耳に入る。完全な板挟みです」

「世知辛い」

「同情することはないですよ。おおかた何か後ろ暗いことをして憑爺に弱みを握られたからこそでしょうし!」


 刺々しく言う菖蒲にとって、憑爺は姉を奪った宿敵だ。その影響力の強さを実感するのは気持ちの良いことではないだろう。結弦もそれ以上は踏み込まずに話を変える。


「それで、今はどこへ向かってるんですか?」

「憑路の『中層』と言ったとこころでしょうか」

「俺が前に来たのが上層で、そのもっと下の方ってことですか。また危なそうな……」

「人間が本来来るべきでない場所の、さらに深みですから危険は当然です。でも必要なら行くしかありません」


 必要、という言葉に結弦の頭を洪の顔がよぎる。


「夜乃って方に会うために、ってことですよね」

「洪の情報が確かならこの道を下った先に屋敷への通用口があるはずです」

「そんなのを挟まないと会えない憑路の総元締めって、どういう方なんですか?」


 結弦の質問に、菖蒲ははたと立ち止まる。


「先に言っておくべきでした。ここで憑婆のことは尋ねないでください」

「……というと?」

「憑爺が『人を食ったような男』だとすれば、夜乃は『食えない女』だからです」

「……すみません、よく分かりません」


 現世の慣用句としての意味はなんとなく分かる。しかしそれが幻世、憑路において意味することはまだ結弦の理解の及ぶところではない。


「憑爺は迷い込んだ人を食いものにしますが、それだけです。相手によっては食われることもありうる。でも夜乃は違います。食う食われるで成り立つこの憑路において、全てを一方的に食い続けることができる絶対者」

「つまり……?」

「ここで口に出したことは全て彼女の耳に入る。ここでしたことは全て彼女の目に留まる。ここで考えたことすら、彼女の心に届く。なぜそうなったかは知りませんが、そうなるようにできているんです。後から実力をつけて憑爺と呼ばれるようになったあの人型妖怪とは次元が違うんです」

「信じがたいけど理解はしました。しましたが……。そんな人物と会えるものなんですか?」


 口をつぐんだ結弦に小さく頷いて、菖蒲は再び通りを下り始めた。


「とはいえ手の届かぬ天上の人ってわけでもありませんから。むしろ憑路への愛情は誰よりも深く、憑路で諍いが起こることを誰よりも嫌うと聞いています。話せさえすれば協力を仰げるかもしれません」

「もしかして先輩、月島理事長をエサに……?」


 それまで早足だった菖蒲の歩みが、ぴたりと止まった。


「なんでそう思うんですか?」

「先輩は、月島理事長が憑路を学校の裏に繋げたと考えているんですよね」


 最初に憑路へやってきた夜、菖蒲が言っていたことを反芻しながら結弦は続ける。


「憑路に愛着のある人物にとっては、自分の庭に勝手に門を作られたようなものです。なら、共通の敵になるのでは?」

「吾川くんって、そういうところには敏いですよね」

「まあ、なんとなく」


 再び歩き出しながら、菖蒲は噛みしめるように言う。


「現世での私は高校生。幻世での私はただの人間。どちらでもあの男に勝てる要素はありません。それが厳然たる事実でしょう?」

「……否定はしがたいですね」

「それでも、私は勝ちたいんです」


 そこまで言って、菖蒲は再び立ち止まった。その視線の先には仄暗い憑路にあってなお暗い細路地。


「この先です」

「今さらですけど、あの男の言うことって本当に信じていいんですか?」

「ビジネスの約束は守る人物だそうですよ」

「一度は数と腕力に頼もうとした人間を、俺は信用できない」


 疑問を口にする結弦に振り返ることすらせず、菖蒲は路地へと踏み込む。


「だとしても、試すほかに方法はありません。それに協力してもらう約束だった部分は終わったんです。『道草』は渡しますから帰ってくださってかまいません」

「いえ、行きます」

「……好奇心が猫を殺すんですよ?」


 好奇心は否定しない。だが、結弦の目には今の菖蒲はどこか危なっかしく映るのだ。

 結弦が訪問しなければ洪の事務所に単身乗り込んでいたのだろうし、その日のうちに危険を承知で得体の知れない場所へ足を運ぶ性急さも気にかかる。追い求めた真実を前にして冷静なようで平静ではない彼女を放置して帰れば、それこそ取り返しのつかない事態もありうる。

 闇に消えてゆく菖蒲を追って結弦も路地に飛び込んだ。




「……行ったぞ」

「ああ、行った」


 その後ろ姿を見つめる視線に、気づくこと無く。




    ◆◆◆




 提灯も少ない細路地は異界の色がいっそうに濃い。その中を迷いない足取りで進む菖蒲に結弦はただただついていく。


「四条先輩はここを通ったことあるんですか」

「この辺りは幻世としてはまだ『浅い』エリアですから、何度か通って覚えた道です。夜乃の屋敷に通じるとは知りませんでしたが……」

「これでもまだ浅いんですか?」

「原則で言うなら、暗ければ暗いほど『濃く深い』んです。興味があるならその辺りの暗がりを覗いてみてください。帰ってこられる保証はありませんが」

「やめておきます」


 道沿いの木戸の隙間から覗く暗闇と目が合いそうになって、結弦は一歩距離をおいた。


「賢明ですね。現世で石の下にダンゴ虫がいるように、憑路の暗がりにも虫や小動物がいます。虫といっても危険度はヒアリの比じゃありませんから油断すると何を食われるか分かりませんよ」

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