夜乃 -4

「夜乃のせいで」


 菖蒲の言葉に洪はぐっと黙り込む。


「『市場は清浄たれ』。それが憑路の総元締めである夜乃の信条です。現世の裏ビジネスの片棒を担がされて快く思うはずもないでしょう」

「多少のヤンチャは目をつぶっても、ひとたび行き過ぎたとみれば洪企画は文字通り門前払いになる。それを恐れていることはさっきの質問でもよく分かったよ」

「……オレとしたことがいらないことを言ったみたいだね」

「だから、私はこれを持ってきました」


 茶封筒から指を離し、まっすぐに座り直す。視線はまっすぐ洪へ。


「毎回同じ門から来て同じ道を通ると分かっていれば対策をとるのは簡単です。でもそれが一〇も二〇もあればいかがでしょう?」

「憑路の入口ってそんなにあったんですか?」

「あります。これだけ知っているのは私と、おそらくあの男(つきしま)ぐらいでしょうが」


 対価としては十分と思いますが、と問う菖蒲に、洪はくつくつと笑う。


「いやいや、憑路の花こと四条菖蒲がどんな小娘かと思っていたが、なるほど侮っていたヨ。だがその取引には応じられんね」

「応じられない理由は?」

「情報というのは独占することに意味があるからサ」


 応接室のドアが開いた。事務所にいた男たちがなだれ込み、菖蒲と結弦を取り囲む。


「まあ、こうなるか」

「人数に任せた恐喝ですね。現代日本でやることとは思えません」

「憑路の使いみちは何も脱税だけじゃない。何を捨てようと、警察の目が届かないわけだからね。あそこの奴らにとっては牛もブタも人間も肉に変わりないのサ」

「下衆ですね」


 簡潔に切り返す菖蒲。さすがに肝が据わっていると思った結弦だが、その手が小さく震えていることに気づき、視線を前に向けて口を開いた。


「つまり、このまま黙って地図ごと捕まれと。この監視カメラだらけの時代に、俺たちがここに入ったことがバレないとでも?」

「バレないサ。いや、実際バレなかったと言った方が良いかな?」


 過去に同じ手口を使っていることをチラつかせながら、洪はゲラゲラと笑ってみせた。


「自分の虎の子を初めから見せるのはね、効率的でなく早計と言うんだよ四条サン。何の後ろ盾もない一匹狼の自分と頼りない彼氏を恨むといい」

「……い」

「うん?」

「彼氏じゃないです」

「先輩、真っ先に否定するのはそこなんですか」


 どうやら見た目以上に動揺している菖蒲に代わって、結弦はソファに深く座り直した。


「洪博文だっけ、あんた何か勘違いをしていないか?」

 卓上の封筒をつかみ、無造作に手近な男に渡す。

「開けてみろ」


 従うように洪に促されて男が封筒の封を切る。取り出した紙はほぼ白紙。その中心には白と黒の小さな正方形。部下が見せた見覚えのある形に、洪は首をかしげる。


「……QRコード?」

「そのコードは地図ファイルのダウンロードURLだ。もっとも、ファイルをアップロードするのは家に帰ってからだけどな。あ、おじさんQRコードの読み方分かる?」

「失礼で無意味な子供だましだね。住人の消えた家をゆっくり調べればいい」

「それは大変だ。地図を学校に預けていて助かりましたね、先輩」

「……学校、か」


 暴力団と定義できるかは分からないが、それに近い相手なのは事前に分かっていた。そういった相手が苦手とするのは何も警察や弁護士ばかりではない。


「今の時代、おたくみたいな人らが中学校に何か言ったらどうなるだろうね。試してみるかい?」


 菖蒲が部屋で着ていたジャージは、さほど遠くない公立中学のものだった。母校である菖蒲を知る教員は多く、優等生だった菖蒲の頼みは比較的あっさりと受け入れられた。地図の原本は今ごろ学校のどこかに保管されているだろう。

高校を選ばなかったのは言わずもがな、月島理事長を警戒してのことである。


「ことの次第を書いた手紙も一緒のハッピーセットだ」


 もちろん中学そのものに幻世を渡り歩く組織と争うような力はない。しかし洪のような人種がひとたび圧力をかけようものなら世間の目は一斉に注がれるだろう。

 世間の目。それがある意味では警察以上に洪のような人種が恐れるものだと、結弦は知っていた。


「なんだいなんだい、まるでオレのやり口が分かっていたみたいな言い草じゃないか」

「お互い自己紹介はいらない。そう言ったのはそっちだ」


 睨み合う。無表情な結弦と菖蒲、にやけた笑い顔の洪の間に数秒の無言が続く。

 これで、全てだ。

 時間もなければ予算もろくにない高校生二人。できる準備などこれが精一杯だ。ここで何か逆転の手を打たれれば詰み、全てを奪われて終わるだろう。

 それを悟られないよう、結弦はせめて呼吸を落ち着けてまっすぐに相手を見据える。そんな結弦に洪はポンと膝を叩いて笑いだした。


「呵呵呵! 気に入ったぞ少年! 無用なことはしないが、必要なことには手間を惜しまない。そういう男は大好きサ! 無礼を許して取引してもらえるかな?」

「取引相手は俺じゃなくて四条先輩ですよ。勘弁してくださいよホント、こっちは二人しかいなくて大変なんですから」

「しかし、そこまで対策されているとなるとこちらも考えないといけない。憑路の地図となれば欲しがっているのはウチだけじゃないからね、情報だけ渡して逃げられちゃ大損害だ」


 男たちを事務室へ引き上げさせ、タバコに火をつけた洪は大仰に肩をすくめる。

 そんな洪に、ようやく落ち着きを取り戻したらしい菖蒲は大丈夫です、と結弦を指さした。


「その点は心配ありません。地図がアップロードされるまで彼を置いていきます。なんなら部下に地図の真贋を確認させるまででもいいですよ」


 どうせ憑路近くに何人か待たせてるんでしょう、と菖蒲は言い切った。そこまでは聞いていなかった人質役、結弦の横で。


「……はい!?」

「お礼をしてくれるって言ったじゃないですか。前回のぶんも含めてここで返してください」

「聞いてませんが」

「言ってませんから。そ、それともなんですか、私に残れって言うんですか。この事務所に私だけ置いていくんですか」

「ちょっとちょっとお二人さん。オレはどっちでもいいから早くしとくれよ」


 ニヤニヤと下世話な笑みを浮かべながら洪はタバコを灰皿に押し付けている。


「で、ではジャンケンです! 平等にジャンケンで決めましょう!」

「ジャンケン、ですか」


 ふと、思い出す。羽織の少女、カモちーと名乗る彼女が去り際に言っていたことを。


「いきますよ! 人質ジャンケンです!」

「なんて物騒な名前」

「ジャンケン、ポン!」


 果たして、勝敗は一発で決まった。


「オーケー、オレだって事業主だ。預り金は丁重に扱うよ」

「預り金ですか」

「呵呵。仲良くしようぜ、少年。別料金でお姉さんも呼べるがどうする?」

「吾川くん?」

「ははははは、遠慮します。どうしてこうなった……」


 菖蒲は必ず最初にパーを出す。カモちーが言っていたことの正確さに、どうやら夜乃というのは本当になんでも知っているらしいと実感しながら、結弦はグーに握られた自分の右手をじっと見つめる。

 お茶のおかわりを出してもらいながらため息をつく結弦をよそに、菖蒲は眉ひとつ動かさずメモの用意を済ませた。


「男の子がそんな情けない声出しちゃダメですよ。公正な勝負の結果なんですから」

「釈然としない」

「手厳しいねぇ四条サンは。さて、では教えるとしよう。憑路の女主人、夜乃に会う方法をね」


 そうして有限会社洪企画の事務所に軟禁された結弦が解放されたのは、それから二時間後のことだった。


「久々の中学校はいかがでしたか、四条先輩」

「これでも少しモテる方だったので、卒業式の後に後輩の女の子から桜の下に呼び出されたりもしたんですが」

「女の子ですか」

「その樹が切り倒されていてちょっと寂しかったですね」


 きっちり仕事をこなした菖蒲に、茶菓子まで出してくれた洪。事前の不安と裏腹に危険を感じることはなかった結弦だが、ひと言くらい文句を言ってもバチは当たらないだろうと思っている次第である。


「吾川くん」

「はい」

「……怒ってます?」

「怒ってませんよ」

「その、次からはちゃんと事前に言います……」

「それはそうしていただけると助かります」


 次回なんて無い方がいいけどと思いながら、結弦は遠目に見え始めた学校を見つめた。

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