夜乃 -1

 住み慣れた街であろうと、全てを知りつくしている人間はまずいまい。見落とした小路、隠れ家的な古民家風喫茶、いつの間にか潰れていたラーメン屋の跡地。そういったものと後々に出会うのはままあることで、そこに日常の楽しみを見いだす人も少なくないだろう。

 しかし道を歩けばコスプレ少女と鉢合わせる、そんな街はそうないだろうと吾川結弦は思う。学術研究都市と聞いてやってきてみれば建物より畑の方が多かったり、今どき原付で時速三十キロを遵守しつつ疾走する暴走族が出没したり、このつくばという街にはまだまだ知らないことがあるらしいと、驚きに鈍る頭でそんなことを考える。


 新撰組の羽織を着た銀髪の少女が、昼の熱を残すアスファルトにひとり立っている。


 昼と夜の境目、逢魔が時ともよばれる頃。学校を終えてひとり歩く薄暗がりの中、角を曲がった先にその少女はいた。結弦より少し下の中学一年生くらいか、ダンダラ模様の羽織をはためかせ、その下はなぜか大正時代のファッションのような袴にブーツ。きちんとブーツを履いているところを見るに少なくとも亡霊亡者ではないらしい。腰に提げられた赤拵えの刀も相まってコテコテのコスプレ姿にしか見えない反面、その立ち姿は妙に様になっている。


「あなたがユズル様?」

「ッ!?」


 その姿に驚きつつも、ちょっと気持ちは分かるぞ少女よ、などと考えながら横を通り抜けようとした結弦は耳元に息を感じて後ずさった。

 名前を知られている。コスプレ趣味の女子中学生に知り合いはいないと思いつつ、結弦はとっさに相手の腰の刀に手を伸ばした。模造刀だとしても金属製なら立派な鈍器。押さえなくては危険だと判断しての行動だったが、少女は難もなくひらりと身をかわす。

 いつの間にか耳元でささやいたことといい、身のこなしが人間のそれではない。


「……!?」


 結弦が向ける警戒に少女は小首をかしげる。ほんの数秒そうしたかと思えば、合点がいったといったように手を叩いた。


「あ、この羽織が気になります? いいでしょー!」


 やや的の外れたことを言いながら見せびらかすようにくるりと回ると、黄昏に染まる浅葱色の羽織がふわりとふくらんだ。


「歴史の敗北者である攘夷派、その急先鋒たる新撰組。時代の流れに『呑まれた』遺産、って言えば伝わります?」


 どこか異様な風貌。

 ずれた言動。

 そして、『呑まれた』。 


「憑路の……!」

「あ、羽織には触んないでくださいねスーパーレアなんで! でも、今のが通じるってことは本当に憑路に行ったんですねぇ、おにーさん」


 何がおかしいのか夕闇の中をケラケラ笑う。

 結弦が憑路を訪れてから、およそ一ヶ月が経っていた。元々接点のない菖蒲との交流も途絶え、結弦自身もあれは夢か何かだったのではないか、そんな風に感じ始めていた矢先のことだった。


「ご挨拶が遅れました。僕はさる権威ある方、なんでも知っている人から遣わされた憑路のモノ。といっても僕自身はただの儚げな美少女ですから、気軽にカモにゃんまたはカモちーとでもお呼び下さい」

「その、カモさん?」

「カモにゃんかカモちーです。カモさんだと羽織の元の持ち主と被るんで」


 銀の髪に長いまつ毛、百四十センチもないだろう華奢な体。それにコスプレじみた服装も相まってカモにゃんという呼び名も違和感がない。とはいえ真面目に呼ぶには少々無理があるわけで。


「カモちーはどうして俺のところに?」


 にゃんはちょっとキツかった。


「もちろんお答えしますよー。なぜならそれがお仕事なので。ユズルさん、あなた食い逃げしたでしょう」

「食い逃げ?」

「いーと・えんど・らんです。食が全ての憑路じゃ重罪なんですよー?」


 そんなはずはない、と結弦は思う。地味になりにまっとうに生きてきたつもりだし、食い逃げはもちろん犯罪になるようなことはしていない。

 覚えはない、濡れ衣だと反論しようと口を開いて、ピタリと結弦の動きが止まった。


「あ、心当たりあるんですね」


 ある。

 露店で買った『惰眠』。睡眠不足ぎみだった結弦にあの憑爺が差し出した品だった。買い与えられたつもりだったが、言われてみれば彼が対価を支払うところを見ていない。


「ちなみにユズルさん」

「ああ」

「美少女に緊縛されて引きずられるご趣味は?」

「ねーよ。たぶん」

「あっちゃー残念でしたねー。もし罪を認めないようならお縄を頂戴してしょっぴく、ってのも僕の役目なんです。貴重なチャンスをふいにしましたね」


 ギッチギチですよギッチギチ!とよく分からない身ぶりをしながら少女はずっとニコニコしている。笑顔の奥に見え隠れする黒い何かに、思い出せて本当によかったと思いながら結弦は考えを巡らせる。

 食い逃げの罪をかぶってしまった身なのは確からしい。どうやら現世の警察のように発見即逮捕ということはないらしい、ではどうすればいいのか。


「決まってるじゃないですかー。憑路に戻って、お店に行って、ごめんなさいしてお代を払えばそれでよし。お気持ちで菓子折りのひとつも持っていけば円満解決まちがいなし。簡単でしょう?」

「そこまでは簡単だろうけども」


 問題はその先だ。憑路への道筋は覚えている。あの店の場所もたぶん分かる。つくば名物焼き饅頭でも持参して食い逃げ犯の疑いを晴らせたとして、現世に帰ってくるためには『道草』というあの草を手に入れなくてはならない。

 そもそも元凶は憑爺だ。こうして結弦が憑路に戻らざるを得なくなることまで折り込み済みならば何かしらの罠があってもおかしくない。単身で飛び込むのはあまりに危険だ。


「時にユズルさん、ゲームはお好きですか?」

「……囲碁とか花札とか?」


 結弦にとって『ゲーム』といえばスマホでウマを育てたりするアレだが。目の前の少女はどうやら現代人ではないとみて、ならばと服装の時代に見合いそうなゲームを挙げてみたが、何か不満だったのか少女は頬を膨らます。


「むー、年寄り扱いされた気分……。古式ゆかしい美少女な僕ですが、こう見えて人間の作ったゲームはなんでもやってるんですよ。そんな僕の見立てですがユズルさん、ゲームではヒーラー派だったりしません?」

「……そうだが」


 ゲームによって少しずつ異なるが、パーティ内で回復や補助を担う役目をヒーラーと呼ぶ。そして結弦は紛れもなくヒーラー派であった。今どきの高校生にしては多くも少なくもない程度にゲームの経験はあるが、マルチプレイ要素がある時にはほとんど回復役をやってきている。


「ヒーラーを好む人間にはだいたい二種類いるらしいです。ひとつは単純に敵に突っ込むのが苦手な人間です」

「もうひとつは?」

「他人に頼るのが下手な人です」


 ヒーラー以外の役目、アタッカーやタンクに求められるものは様々だが、共通するのはヒーラーが回復してくれると信じて敵と相対しなくてはならないという点。

 他人に任せられないから、自分がやる。結弦はそういうタイプだと少女はそう言った。


「カモちーは美少女ですが老婆心も持ってます。なのでアドバイスです。いいですかユズルさん、頼ることを弱さと見るのは自由ですけどね。現実の人間ごときに強いも弱いもありゃしないんですから、頼れるものには素直に頼った方がお得ですよ?」

「……四条先輩のことも知ってるのか?」

「僕が知ってるんじゃありません。なんでも知ってる人が知ってるんです。それではそれでは僕のお役目はこれにておしまい。おにーさん結構かっこいいから、また会えるのを楽しみにしててあげます」


 言うが早いか、少女の声がガラスを挟んだようにくぐもった。


「最後にお得情報ー! 四条菖蒲さんですが、ジャンケンでは必ず最初にパーを出します。それではまた会う日までごきげんよう、もしくは今生の別れにさようなら」


 ふ、と。少女の気配が遠ざかる。大仰に頭を下げた姿勢のまま、太陽が沈むと同時にその姿も掻き消え、後には通い慣れた住宅街が街灯に照らされるのみ。

 呼び止めようと伸ばした手を引っ込めることもできないまま、結弦はアスファルトの上で立ち尽くしていた。

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