旅立ち かえりはほど知れず ③



 「まあ、どうも遠いところから態々わざわざお越しくださいまして。さあ……どうぞ此方こちらへ」


 波立つ豊かな銀髪をシニョンに結い上げた夫人が、コバヤシとリュカを中へと招き入れる其の家があったのは、整備された放射環状の緑地帯の端に位置する閑静な場所にある集合住宅の中の一つであった。

 先方に指定された建物の前でオートノマスautonomousカーcarを降りたコバヤシとリュカが、フロントに居たコンシェルジュアンドロイドへ声を掛け訪問を告げた事で、九階にある彼らの自宅へ案内され今に至るのである。


「娘さんを亡くされて、此方に引っ越されたそうですね」

「……リュカ」


 外の緑地帯を広く眼下に望む大きな窓のある部屋へ通され、勧められたソファに腰を掛けた途端リュカが何の前置きもなく口にした言葉に、ぎょっと驚いたコバヤシは、嗜める言葉も咄嗟には浮かばず、思わず目の前の夫人を盗み見た。


「ええ、そうよ……事実、その通りですからね。心配なさらないで。其方の綺麗なアンドロイドの質問に他意はないのは、分かっていますから」


 リュカの言葉に答えながらも、後半はコバヤシに向けて夫人が微笑み掛けた時「個人的に調べていると連絡を頂いて、驚きましたよ」と言いながら現れた人物を見て、コバヤシは再び腰を上げた。

 五十代後半と思われる其の人物は、眉間に深い皺が刻まれ、此れ迄の年月が如何に辛いものであったのかを想像させるに充分なものが見て取れる。


「この度は快く了承してくださり、ありがとうございます。コバヤシアタルと申します」

 コバヤシが差し出した片手を、しっかりと握り返す木崎の乾いた掌は力強い。

「初めまして。木崎きざき 夏生なつおです。紹介は未だでしたね。こっちは妻のミュリエル。実のところ私共も、世間にすっかり忘れられた娘の話を聞きに来られる方が、警察や記者ライターの方以外とは……其の事に興味がありましてね。さあ、どうぞお座り下さい。今、お茶を用意させます」

 其の言葉が合図だったかのように、ミュリエルが部屋から姿が見えなくなった途端、それまで浮かべていた微かな笑みを消した木崎は、コバヤシとリュカを交互に見て言った。


「あの事があってから、一切のアンドロイドというものを私は信頼しておりません。私自身、不便な事も有りますし、こうしてミュリエルにも不便を掛けていますが。まあ、彼女も私と同じ気持ちなのが、幸いです。コバヤシさんは、そうではない。見れば分かりますよ。貴方は、アンドロイドを信じていらっしゃる。貴方のアンドロイドに対する振る舞いは、まるで人間を相手にするようですからね。コバヤシさんは、何故、私どもの娘の事件に興味を持たれたのですか? アンドロイドに不信感があるなら、分かります。しかし、貴方はそうでは無さそうだ。現にアンドロイドに名前まで付けているようですし。失礼ですが、そんな貴方が、それもこうして直にお顔を拝見しお会いしてみれば、どうやら当時はまだ少年だったであろう貴方が、今になってあの事件を調べている。其の事が、私は不思議でしてね」


 先程のやり取りを見られていたとはいえ、実に、手厳しい質問である。

 コバヤシは、正面に座る固い表情を浮かべた木崎の顔を見ながら、どう答えるべきか暫し言葉に詰まってしまった。

 正直に言うべきであるのか其れとも……。

 コバヤシが意を決したように、おもむろに口を開きかけた時である。


「事件の調査をコバヤシ氏の『萬相談処よろずそうだんどころ』へ持ち込んだ者がいるのです」

「……リュカ?!」

「失礼しました。言葉に詰まっているようでしたので」

「違うよ、リュカ。僕は……僕は、言葉を……選んでいたんだ」


 おや、と片方の眉を上げる木崎に気づいたコバヤシは、謝って言った。


「お見苦しいところを、すみません。しかし、リュカの言葉の通りです。誰の依頼とまでは言えませんが」


 リュカの発言に恐縮して見せたコバヤシに、木崎は眉を顰めると「主人マスターの許可なく好き勝手に発言する許可を与える仕様になされているとは……随分とアンドロイドの管理が甘すぎませんか?」と冷たい目をリュカへ向けた。

 一瞥した後、険しい其の顔のままコバヤシに向き直る木崎に、当然ではあるが、気にすることなくリュカは澄ました顔のまま前を向いて座っている。

 其のリュカの姿を、ちらと横目で見てからコバヤシは、木崎に向かって自嘲気味に少し笑った。

「まあ……仰るように、甘い、のかもしれませんね。僕がリュカ、即ち此のアンドロイドに求めているものは、快適な生活を送る為ではなく、僕自身の思考の整理や、彼によって反映される僕自身なんです」


「其れは……なんとも奇特な方だ。私には、そうとしか言えませんね」


 しかし、と木崎は少し考えるようにしてから言葉を続ける。

「顔を見て直接話したいと言われた時から、私は、此れ迄とは違う事になりそうな気がしていました。実際にコバヤシさんにお会いしてみて……今も其の気持ちは変わりません。いえ、更にそう感じる、とも言えます。そう云う貴方だからこそ、娘の事件をお話するべきなのかもしれません」


 ――聞いて頂けますか?


 ミュリエルが三人分のティーカップを載せたトレーを持って現れたのと同時であった。

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