旅立ち かえりはほど知れず ②


 郊外へ向かって走るオートノマスautonomousカーcarの中で、コバヤシとリュカは向かい合って座っていた。


 乗客は、二人だけである。

 コバヤシは流れる景色を、只ぼんやりと眺めているようにリュカの目に映るが、そうではないことは此の短い間に学習済みであった。

 新しい主人マスターは時に饒舌で、また同時に非常に寡黙な面を見せた。今もおそらくコバヤシの頭の中は、リュカには理解の未だ及ばない思考が渦巻いているのだろう。

 リュカは、コバヤシと同じように窓の外へ目を向けた。リュカの目には、コバヤシと違って、文字通り流れる景色が映しだされる。

 目に映しだされるものとはアンドロイドである彼には、当たり前であるが、其れ以上でも以外でも無かった。

 

「乗り合い、乗り捨てが当たり前のオートノマスautonomousカーcarも、前もって予約さえすれば貸切として自在に使えるのだから便利なことこの上ないね……まあ、速度に関しては言いたいことはあるけども」


 暫くして、久しぶりに口を開いたコバヤシが何を言うかと思えば、其の視線の先には二人を乗せたオートノマスautonomousカーcarを凄いスピードで追い越して行く個人所有の新型 地上車ランドカーや、上空を滑るように走るビーザムbesom貳型があった。


「……そんなことを、ずっと考えていたのですか?」

「え? そうだけど?」


 リュカはコバヤシの顔をまじまじと見た。

 実際のところは単に主人マスターへの判断材料を増やしただけなのかも分からないが、其れを何か言いたげな表情と取ったコバヤシは、少し笑顔を見せて「まあ勿論、其れだけではないよ」と言いながら脚を組む。


「信じられないかもしれないが、僕たち人間の思考は君たちと同じか、其れ以上に、複雑な並行処理を行い、また其の内容とは物事の相互に関係ある無しに多岐に及ぶものなんだよ。極端な事を言えば、窓から目に映る景色を脳に記録しながら周囲を走る乗り物の速度を計算し、夕飯に何を食べるか考えながら、宇宙の成り立ちについて考えていたりする。とはいえ、脳を記録の媒体として捉えた場合に関しては、此ればかりは君たちには敵わないがね」


 記憶とは違う。


 先ず以って記憶とは、自己の概念を通したものである。同じ物事も当事者に拠って様々に記憶される其れは、正確とは程遠い。

 記憶とは曖昧なものだ。

 何故なら記憶とは、相手に対する印象や誘導によって簡単に書き換えられたり、都合よく再構築されるものでもあるからだ。更には記憶したことの四十%が、僅か三十分で消えてしまうのだから、如何に頼りないものであるかが分かる。


「つまり、其れは……?」

「感情だよ」

「……感情、ですか? 物事を記録するのに感情が何故に関わってくるのでしょう?」

「ははッ。其れが答えだよ、リュカ。記録と記憶の違いは、まさに其処にあるんだ」


 再び窓の外へ目を向けたコバヤシは、リュカからすれば変わり映えのない景色を見ているようだったが、其の目に映しだされるものを見ているのではなかった。

 言うなれば、コバヤシは窓の外に、リュカには理解出来ない自身の内側を見ているのである。

 二人が乗るオートノマスautonomousカーcarが向かっているのは、事故か過失かオネイロスSDR647によって殺されたとされる人間の両親が住む家だった。

 此の事件を調べるには、残された少ない捜査資料の他に、画面越しではなく実際に面と向かって、彼らの話を聞くことが何よりも重要だとコバヤシは考えていたからだ。


「ねえ、リュカ。感情ほど厄介で素晴らしいものはないと僕は思うんだ。時に其れは残酷で、同時に慈愛をも齎す。思い出が感傷的で甘美なものとして僕たちの胸を締め付けるのは、感情を通して記憶を呼び覚ましているからなんだよ。其れは記録とは違う。僕たちが今からしようとしているのは、其れだよ」

「……記録には無い『記憶』を呼び起こすのですね?」

「そうだね。もしかしたら其処に、何かのヒントがあるかもしれないと思っているんだ」

「ヒントですか? 記憶は自己概念によって作られるものであり尚且つ曖昧であると、自分で言ったばかりではないですか。アタルは其れを分かっていて、どうして?」

「何故って、僕が感情を持つ人間であるからだよ。判断材料が乏しい時に、人間はどうするのか分かるかい?」

「分かりません」

「頭で考えても分からない時には、自分の感情に従うんだよ」


 リュカの方へ向き直ったコバヤシは、にっこりと笑ってみせた。


「此の笑顔の意味も、君には理解出来ない。しかし、君はプログラムされた通りに同じ笑顔を僕に返す。どうしてか分かるかい?」

「分かりません」


 美麗なつくりの顔に、同じような笑みを湛えたリュカからコバヤシは不意に目を逸らして言った。


「肯定、だな。君が僕に向けている笑顔は、此れから僕がすることを肯定しているということになる。僕に安心感を与える為のプログラムだ。人間が笑ったら、笑う。悲しそうにしていたり不安そうな時には慰める。僕たちは、無意識のうちに、常に君たちに肯定を求めている。其処に何の感情も無いと分かっている筈なのに……実に僕たちは、君たちアンドロイドに何を求めているのだろう」


 リュカは顔を背け表情の見えないコバヤシの声色から判断し、慰めの言葉を掛けようとしたが結局のところ同じように無言で窓の外へ目を向けた。


 目的地までは、あと僅かだった。










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