争いごと 言わぬが良い勝ち ②


 其の地下に広がる露店の間を縫うように通路を歩けば、電子臭や機械油だけでなく地上では嗅ぎ慣れない脂の匂い――不思議な脳の奥、まるで生き物の本能というものを深く刺激するような――其れ等の雑然ごったに混じる匂いが鼻につくのだった。

 とはいえ其の匂いを感じるのはコバヤシだけで有り、リュカはと云うと左右に並ぶ露店で売られているもの一つひとつを吸い寄せられるように見ている。


「珍しい物ばかりだろう? おや? そう云えばリュカの目に映るものは、記録として残るのだったね?」

「ええ、そうです。主人マスターとして其れ等を所望するのであるなら過去の映像を再生する事も出来ますし、要望があれば削除もします。どうしますか?」

「そうだね……削除、か……まあ、後で考えるよ」


 リュカが辺りを見回すのは、単なる記録として此れ等を残す為なのだとしても其れは、傍目から見ると物珍しいものを見た時分の人間の様子と余り変わらないことに気づいたコバヤシは、思わず笑みを誘われた。


「アタル、あれは何ですか?」

「……ん? 何れ? 嗚呼、あれは動物の生肉だね。主に牛や豚、羊、安いところでは鶏肉が売られている。代替肉が主流となる以前、人間が当たり前に口にしていたものだったんだが、現在では流通していないから見たことが無いのも仕方がないよ。あれらの肉も恐らく、研究目的に飼育されているのを横流ししているんだろう。ひどく希少になってしまったからね。向こうには調理済みのものも売っているよ」

「肉……アタルは、食べたことが有りますか?」

「うん。有るよ……初めて口にした時は、腹が下って大変な思いをしたな。食べ慣れないうちは脂で腹を壊すんだが、慣れてしまえば大丈夫なんだよ。だけどね、そうなってしまうと麻薬と同じだ。肉を身体が欲するようになる。僕は、数える程しか食べたことは無いけれど、あの舌触りや味を思い出すだけで唾液が湧くよ」

「どうして禁止されたのですか? 麻薬と同じ効力が有るからでしょうか?」

「はははッ。麻薬、は流石に僕も言い過ぎたよ。人間が食べる数の家畜を飼育するのは、とてもじゃないがこの世界では大変なことだからさ。培養肉を作る方が余程手間もない上に、安全でもある。更には人間が生命を維持するだけで手一杯の今、畜産は伴う環境負荷が大き過ぎる。後は、動物倫理とやらだね」


 頂点捕食者の立場である人間が、動物倫理とは何てくだらない言い種だがねと顔を顰めるコバヤシをリュカは覗き込む。


「何故、ですか? 生命は大切です」

「だからこそ、くだらないんだよ。他の生命を食べるとは、自身に生きる覚悟があると云うことだ。其の考えは古いと謂れても、僕は其の通りだと思うよ。まあ、食べる為に動物を殺す必要が無くなった今、僕のような事を言う人は珍しいどころか、ひょっとすると誰もいないだろうけどね」


 人間は既に頂点捕食者では無いのかもしれないな、とコバヤシがリュカに皮肉げな笑みを見せた。


「此の闇市マーケットに、アタルは何を買いに来たのですか?」

「此処でしか手に入らない本物のコーヒー豆と本物の紅茶葉、後はチョコレートと精製していない本物の砂糖」

「肉は、買わないのですか?」

「はははッ。此れは、リュカに一本取られたね? 僕は、肉を食べるよりコーヒーの方が好きなんだよ」

「……成る程。代替えコーヒーも、本物とは違うのですね?」

「何でもそうだけれど、本物を知ってしまえば代替えなど所詮は偽物にしか過ぎない」


 焙煎された豆の芳ばしい薫りを嗅ぎ取ったコバヤシは、其方に脚を向ける。


「偽物……私たちアンドロイドも、また」


 目指していた店を見つけたコバヤシに、リュカの其の小さな呟きは届かなかった。






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