抱え人 充分ならねど吉 ③



 灰色の空の底に沈む街に、人影は少ない。

 ドームの遥か上、厚い雲が覆い被さり太陽は其の姿を現すことなく、人工光に照らされた街であったが大地はしぶとく確実に人工の光を緩やかに力に換え、自然を取り戻しつつあった。

 先の大戦で廃墟と化した都市に、ザ・シティ緑地計画なるものが立ち上げられたのは戦後間もなくである。

 街を覆う透明ドームの内周に沿って緑地を設置する環状緑地帯計画によって、ぐるりと円を描く緑地帯から市街地に貫入するように放射環状の緑地帯が整備された。

 ドームの外はと云えば汚染された物質によって奇形だらけの草木の蔓延る中に、打ち捨てられたままの文明の残滓がまだ横たわっているのとは対照的に、其の内側では此の百二十年で計画通りに大緑地は順調に躍進を見せつつある。

 

 其の街を、コバヤシとリュカは通り過ぎるオートノマスautonomousカーcarを横目に、のんびりとした脚取りで、ぶらぶらと歩いていた。


「アタル、私たちは何処に向かっているのですか? 買い物であるなら商業施設は、此方の区域には無かった筈です」

「大丈夫だよ。間違えている訳じゃない」


 街が廃墟と化した後、其の復興までの長い時間。激しい気温の低下や晒される汚染された風雨から少しでも逃れようと、生き残った人々が身を寄せ合うように暮らしていた場所があった。

 地下、である。

 現在は使用されていない其の空間に目をつけたのは、禁制品となった物などを売る商人であった。

 其の入り口は――。


「リュカ、こっちだ」


 コバヤシがリュカを伴い扉を開けた先にあったのは、狭い店内に珍しいカメラがディスプレイされたアンティークショップの様だ。

 

「此れは……」

「写真鏡、と云われる物だね」


 リュカが立ち止まった前にあるケースの前には『絵画の下絵を描く道具として流行し、カメラの原点となった』と、写真鏡についての説明が書かれている。


「カメラを買いに来たのですか?」

「まさか! どれほど買いたくても、買えやしないよ。此処にあるのは値段なんて付けられないものばかりだからね。ホラ、此れをご覧。西暦2022年型Canon製ミラーレス一眼カメラと書かれているね? 此れが、現在何台残っているか知っているかい? 目の前にある一台きり、だよ。つまり……」

「逆立ちしても買えない、と言いたいのですね?」

 リュカの言い回しにコバヤシは片方の眉を上げ、にやりと笑って見せた。

「そう。その通りだよ、リュカ」


 そう言いながらコバヤシは、ケースには入っていないレプリカと思われる一台の一眼レフ式カメラ・オブスクーラの前に立つと、おもむろにジャケットのポケットから掌に収まる大きさの容器を取り出す。

 其の中には、液体に沈む眼球があった。

 長く綺麗な形をした指の、人差し指と親指で其の容器を持つとコバヤシは、腰を屈めカメラ・オブスクーラのレンズの前に掲げる。

 微かな音がした、と思う間もなく行き止まりの何もない滑らかな壁だった場所に、突如として細く真っ黯な空間が現れた。


「さあ、こっちだよ」

 リュカを促しコバヤシと二人、其の空間に足を踏み入れる。

 中に入った途端、入り口が閉まり闇の中に閉じ込められたがコバヤシは動こうとはせず、暫く其の場に立ち尽くしていた。

「何を……」

「しっ……待って、動かないでくれ給え。何も見えないかもしれないが、今は近赤外線で僕たちを読み取りしている最中なんだよ」

 コバヤシの言葉が終わるか終わらないかの内に、足元にある導光板が微かな光を帯びて道を作り出した。

 

「さあ、こっちだ。この後、地下深くに降りるから、まだかなり歩くと思うけれど……ああ、そうか。リュカはアンドロイドだから疲れないんだったね。もしかして近赤外線も見えていたのかな?」


 歩き出したコバヤシと並んで歩くスペースは無く、自然とリュカは後ろから着いて行くことになる。


「お聞きしたいことが、沢山あるのですが」

「うん? 聞こうか」

 仄かな光の中を、二人の足音が響く。

「先ず、其の掌の中にある眼球は何ですか?」

「此れ? 此れは鍵、だよ。あの扉は虹彩認証によって開くんだ。そして、鍵は決まった数しかない。何故なら、これから行く場所は限られた人しか入れない所なんだ」

 緩やかな下り道を、コバヤシは前を向いたまま振り返る事なく進む。


「其処に、私が着いていっても良いのでしょうか?」

「良いんじゃない?」

「私は嘘が吐けません」

「うん」

「此の事を聞かれたら、報告をすることになります」

「でも、聞かれなければ報告はしないだろう?」

「聞かれたら、どうするのですか?」

「僕が買い物に行った場所までも細かく、誰がどうやって君に聞くんだい? 宗方さん? 其れは何故?」

「確かに……聞くことは無いと思います」


 ポケットの中に手を入れ、指先で容器を弄びながらコバヤシは「鍵が無ければ、中には入れないし、入った所で近赤外線で読み取った生体認証が鍵に登録されたモノと違う場合、恐らくあの場で殺される」と言って後ろを振り返り、立ち止まる。

 長い降り階段に差し掛かった所だった。

「だから、別に構わないんだよ」

 再び歩き出すコバヤシだったが、暗がりで其の表情は見えない。

 階段を降り始めた今は、上下する頭の天辺だけである。


「此の先に有るのは昔、地下鉄という電車が走っていた所なんだ。かつて此処がトーキョーと呼ばれていた頃、其の地下鉄の駅の中でも地上から最も深い場所にあった駅がある。地上からホームまでの深さは最大にして約四十二メートルと少し。此れから僕たちが行くのは、先の大戦で、生き残った人達が身を寄せ合うようにして暮らしていた場所、ロッポンギ駅だ。まあ、線路も無ければ駅の姿も、もう何処にも残ってはいないがね」








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