抱え人 充分ならねど吉 ②




「……うわあッ?! くっそ、何なんだ。街を歩く人が居ないとでも? 全く嫌になる。ああ云うのこそが交通違反として取り締まりの対象になって然るべきだと思うよ」


 買い物の為、明智アケチ嬢に留守を頼み事務所を出た処で直ぐに、コバヤシとリュカは二人の頭上すれすれを掠めるように走るビーザムbesom貳型に首を捥がれそうになり、思わず悪態を吐いたのは勿論コバヤシである。

 頭と首が離れなくて良かったよ、と首筋を摩るコバヤシに、リュカはちらと視線を動かすだけで言葉は無い。


「乗り物は便利だけど、僕は歩くのが好きなんだ……まあ、個人的な乗り物を購入する金銭的余裕が無いと云う理由もあるがしかし、適当に乗り降り出来るオートノマスカーautonomous carならその辺りを走っているのだから不便もないし。確かに今の跨がって自在に動かす事が出来るビーザムbesom貳型は恰好が良いけれどね」

 

 誰に聞かせているのか、リュカにしてみれば、まるで独り言のように取り留めのない話をする新しい主人マスターにはまだ慣れず、黙って頷くだけに留めた。

 また、其のリュカの反応を見た筈のコバヤシ主人も特に思うところはないらしく少し笑顔を見せては、歩き始めるのだった。

 確かに街を出歩く人は、少ない。

 主人マスターが変わると云うことは、景色の見え方まで変わるのだとリュカは改めて辺りを見回し、人の姿の少ないことを此れまで気づかなかったことに驚いていた。

 

「此れで新年の始まりの月だって云うのだからね? 新年に湧き立つシティと云うのを、VRアーカイブで観たことがあるけれど……あ、いや其の時代は此の街は、トーキョーと呼ぶのだったね。寺や神社に初参りする人の列、その人間のあまりの多さに驚いたよ。こう……なんと言ったら良いのか」


 唐突にコバヤシは道の真ん中で立ち止まると、両の腕を大きく、ぐるぐると前後左右に動かしてみせる其の子供じみたコミカルな様子に、隣りを歩いていたリュカは同じ様に脚を止め、予想のつかない彼の行動に眼を見開くのだった。


「こんなことは到底出来ない程の人波の、あのさまといったら! 信じられない思いで観たものだよ。大人から子供まで様々に、互いに笑顔を浮かべる人々、手に持つ不思議な食べ物。あの時代に生きていたらなぁ」


 喋るだけ喋って満足したように、再び歩き出したコバヤシにリュカは、遅れまいと着いて行く。


「西暦を数えるのを止めたのも、ヒトが一年の最初を一斉に祝う事のなくなったきっかけも、今からたった百二十年程前の先の第三次世界大戦nuclear warだって云うんだからね」


 ちらとリュカを横目で見たコバヤシが、何を言わんとしているのかが、今度こそリュカにも分かった。


「世界に絶望した少年の死に際の一言『神はいない。在るのは月の満ち欠けだけだ』でしたね?」


 其れはまるで、fakeのような映像。

 眼下に廃墟が広がる歪んだ鉄塔の上、大切な人の亡骸を抱えた少年が、当時の情報端末デバイスを片手に其処から飛び降りる直前の最期の言葉。

 真っ黒な空。

 風に煽られる髪。

 血だらけの服。

 少年の瞳にあるのは諦観と絶望。


 語り継ぐ世紀の映像として余りにも名高い少年の、姿。

 

「……うん、そうだったね。だが、何もかも新しくしようと西暦という概念を無くしたところで、人は完全に神を忘れることなど出来ない。共通の信念とか云う欺瞞に満ちたものの為に、新たに都合の良い神を作り上げるだけだ」


 リュカとコバヤシは同時に空を見上げる。

 二人の眼に映る空は、透明なドームに覆われ黄味掛かった灰色をしていた。

 ザ・シティは行政特別区として一つの透明なドームの中にある。ドームの外の空気は汚染が厳しく、何箇所かある人間の居住可能とされる他の指定都市もまた、別のドームの中にあり、都市を移動する際には届出が必要となるのであった。


「結果、良くも悪くも増え過ぎた人類を減少させることは叶ったが、其の代償は計り知れないモノだった。人間とは愚かな生き物だと、リュカも思うだろう?」 

「マスター……」

「ねぇ、リュカ。君には僕のことをマスター以外の呼び方で頼みたいんだがね」

「分かりました。では……アタルさまとお呼びしますか?」

「さま、は要らないな。リュカ、僕のことはアタルで良いよ。それから、そんなにかしこまらなくて良い。僕たちは此れから二人で宗方さんの為に働くのだから、言ってみれば僕も君も、同じ雇われ者に過ぎないんだし」

「マス……いえ、アタル。ところで私たちは、何処に向かっているのですか?」

「日用品の買い出しだけど?」


 何か問題があるのかな、と首を傾げるコバヤシに、リュカは「其れは明智アケチ嬢の仕事ではありませんか?」と尋ねる。


「まあ、そうなのかもしれないけどね。僕がリュカと出掛けたかったんだよ」

「何故ですか?」

「え? 何故って、こうして二人で出掛けたら互いのことが分かるだろう?」

「アタル、私はアンドロイドです。アタルが知りたいと思うような『私』は存在しません」

「そうかな? でもリュカの詳細設定をしたのは僕じゃないのだから、こうして互いを知り合う他に方法は無いんじゃないのかな」


 コバヤシの言葉に思わず固まってしまったリュカであったが、気づいた時には自分が最初にコバヤシと出会った時に放った言葉を口にしていた。


「……人間がどれも同じでは無いように、アンドロイドだって皆同じでは無い」

「まさに、其の通りだよ」


 良く出来ました、と言わんばかりのコバヤシの顔を見てリュカは、新しい主人マスターのことを一つ学習したと思うのであった。




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