抱え人 充分ならねど吉 ①



 宗方が事務所から姿を消した後、奇妙な静けさが『萬相談処よろずそうだんどころ』を掲げるコバヤシの事務所を包んでいた。


 其の僅かな沈黙を破る涼やかな声の方を見れば、一時的に自分の所有となった美麗なアンドロイドであり、此処に来てようやくコバヤシは、改めて其の姿をしみじみと眺めたのであった。

 すらりと手足が長く均整のとれた身体に誂え物のスーツは優美な線を描き、ショートボブに整えられたプラチナブロンドの髪は、地球と良く似たアースカラーをしたアーモンド型の瞳に良く似合う。

 怜悧な口元には、艶やかな唇に緩やかなアルカイックスマイルを湛え、見る者を魅了してやまない。

 アンドロイドを所有する際には、内面は勿論のこと、外見は特に自身の好みを反映カスタマイズさせる者が多いのだが、此れが宗方の好みであると思うのは少し無理があるようだった。

 何故なら宗方は自らをシス男性でヘテロであると公言するバッジを着けている。

 ならば、此れは宗方の理想を具現化したものだろうか?

 元々の所有者である宗方はと云えば、屈強な身体は世辞にも寸法が合っているとはいえない既製服に包まれ、四角い顔には無精髭に覆われ短い首が盛り上がる肩の筋肉に埋もれた其の姿は野生の熊を思わせた。

 だがコバヤシの知る初めて出会った時の宗方は、屈強な身体つきも熊に似た容姿は変わらずとも、服も体型に合ったものを纏い、さっぱりと小綺麗な様子は飼い慣らされた熊の如く愛嬌のある様相をしていたのである。


「つまり……宗方さんは、何か考えがあって自分と対極にあるアンドロイドを敢えて使役しているのか」


 食えない男だ、とコバヤシは思った。

 ならば、其れを貸し与える意味が必ず有る筈である。

 表情を読むことの出来ない、眼の前の美麗なアンドロイドに向かってコバヤシは微笑むと「やれやれ。じゃあ、先ずは互いの事を知り合うことから始めようじゃないか……っと、その前に……明智アケチくん、コーヒーをもう一杯頼むよ」と部屋の奥に声を張り上げたのだった。



「まあ、座ってくれ給え。何もしない君たちを、ただ立たせているのは、どうも僕の性に合わなくてね。明智アケチくんも、どうぞ座ってくれないかな」


 ややもして新しいコーヒーの入ったカップを手に明智アケチ嬢が現れると、コバヤシはソファに座り直し、新しく加わったアンドロイドにも椅子に座るように促した後で、二体が大人しく其々の椅子に腰を下ろすのを見て安堵したように一つ息を吐くと、カップに唇を寄せた。

 これで漸くゆっくりと、コーヒーが愉しめると云うものである。

 魅惑の液体を口に含み口内で舌を転がすようにして飲み下した後、其の香りが鼻腔に抜ける際のスモーキーで芳醇な、また微かにチョコレートにも似た焙煎の濃く深い香りを味わうとコバヤシは、満足そうに両瞼を閉じた。カップを持つ片手も其のままに、そろりとソファに寄り掛かり脚を組む。眼を閉じたまま、ひと口、ふた口と続けて飲んだ後、やがて満足げな溜め息と共に再び両瞼を開けると、アンドロイドを見た。


「コーヒーの素晴らしさを、君たちと分かち合えたらと思うがね。だが、そうすると……まあ、良いか。さて、じゃあ先ずは僕の事から……」


「いいえ、結構です。マスターのことは、個体識別番号から紐付けされた事に関しては読み取り済みです。氏名はコバヤシ・ヨシュア・イェリネク・アタル。この島国の慣習に従いコバヤシ・アタルと名乗っています。年齢は二十八歳。髪の色はダークブラウン。瞳の色はヘイゼル。特定のパートナーは無し。ガイノイドを一体所有。両親は共に健在。姉と弟が一人ずつ。彼等は両親の会社である……」

「ち、ちょっと待ってくれ」

「はい、何でしょうマスター」

「あのね『僕のこと』と云うのは、個体識別番号に紐付けされた情報を、指すのだよ」

「情報は常にアップデートされ現在の最新のマスターのことも記録されておりますが、其れ以外とは一体、何を仰っているのか教えて頂けますか?」

「……明智アケチくん。コーヒーのお代わりを貰えないだろうか」

「いけませんわ。本日分は、もう消費済みです。急な来客により一杯分少ないのを、お忘れでいらっしゃいますのね?」

「ぐぬぬ。解せない。僕が飲んだ訳じゃ無いのに……」

 

 カップの底に残る僅かなコーヒーを、恨めしげな眼でちらと覗きテーブルの上へ置くとコバヤシは、アンドロイドに向き直り「では、気を取り直して最初に君の呼び名でも考えようか」と言った。


「名前ですか?」

「其の通り。名前だよ。何時迄も君、と呼ぶのも乙なものだが僕は、名前を付けるのが好きだ」

「其れだけの理由で?」

「悪いかね?」


 アンドロイドは良いとも悪いとも言わなかった。新しい主人マスターに何と答えれば、満足して貰えるのか分からなかったからである。

 隣に座る明智アケチ嬢を見れば、大人しく微笑みを浮かべているだけで、主人マスターの気に入る返しとなる手掛かりになりそうなものは何一つない。


「君の好きな色とか、気に入りの花とか、そういったものは何かあるかい?」

「特別に好き、と云う感情はアンドロイドには無いのです」

「ふむ。そうだったね」

「わたしは、綺麗なモノが好きですわ」

 明智アケチ嬢が、にっこりとコバヤシに屈託のない笑みを見せると、テーブルの上にある飲み終えたカップを片付ける為、立ち上がった。

「ハハハッ。明智アケチくんの好みは、僕はもう知っているよ」

 カップを両手に包み込むように持った明智アケチ嬢に、ありがとうの意味を込めてコバヤシは片目を瞑る。

「失礼ながら申し上げますが、明智アケチ嬢の好みはマスターである貴方に寄せているだけなのでは?」

 静々と其の場を離れる明智アケチ嬢の後ろ姿を目で追っていたコバヤシに、アンドロイドが放った一言は至極もっともな事であった。

「……無粋だ」

「アンドロイドに情緒を求めては、いけません」

 其の言葉とは裏腹にアンドロイドの美しい瞳にほんの一瞬、悪戯な光が見えたような気がしたコバヤシは、ふっと優しく笑い「決めたLucasリュカにしよう。うん、君はリュカだ。僕に光を与えてくれ給え」と大袈裟に横手を打って見せたのである。

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