待ち人 来る、つれあり ③
澄ました顔で一言も発することのないアンドロイドの美麗な顔が、此れほどまでに人間らしからぬ姿に見えたのは、コバヤシは今日と云う日が初めてであった。
……
更には一旦、其のように見えてしまえば顎から綺麗なラインを描く首筋の途中に有る、黒い光沢のあるビロウドのチョーカーが、首を
「どんなに我々人間側が防ごうとも、アンドロイドには感情が芽生えつつあるのだとしたら?
最後まで言い終えずに口を噤むと、すっかり冷めてしまったコーヒーを其れでも余すこと無く飲み干した宗方は、名残り惜しげにカップの底をちらと見るのだった。
「本物のコーヒーを、久しぶりに堪能しました。いや、実に美味しかった。偽物しか知らない人間には、本物は分からない……私の意味することを、貴方ならお分かりになる筈だ」
「つまりあの事件は、捜査当初からバイアスが掛かっていたのですね?」
問いかける声が聞こえなかった筈はないが、手にした空っぽのコーヒーカップから答えが浮かび上がるのを待つように、宗方は暫くそこを眺めていた。
「……あの事件の捜査は、最初から事故を前提としたものでした。何故なら、アンドロイドには三原則がある。お分かりでしょう? いくら姿格好が人間に似ているとはいえ、アンドロイドもまた、其れを根底とする人間に奉仕する為に造られたロボットに過ぎない。事故に違いない。事故であるのが望ましい。否、事故でなければ困る。其のような偏った見方から生まれた結論だったとしたら? 勿論、どう見たところで捜査は正しく、事故だったのかもしれません。ウィルスの感染の所為で起きてしまった不幸な事故。だが、果たしてそうなのか? 其れなら何故、同じような不幸な事故が繰り返される? 何故、アンドロイド犯罪対策課などと云うものが新設された? 事故の調査を望む世論の後押し? まさか! そんな物を信じてはおりますまいな。そんなものは建前に過ぎません。捩じ伏せる為ですよ。アンドロイドには犯罪を起こせるような感情は無いと云うね」
宗方のカップを持つ手が、微かに震えているのを眼にしたコバヤシは、彼の其の怒りはいったい何に向けられているものであるのか、今ひとつ解せぬまま問いかける。
「宗方さん、貴方は何を……いや、一体どちらの側に立って……?」
「……私は警官です。犯罪を見逃す訳にはいかない。今の私に言えるのは、其れだけです」
肝心な部分を
アンドロイドの感情、其れが芽生えた先に何を生じさせ何を喪失することになるのか、其の様な話を当のアンドロイドの前ですると云うのもまた奇妙な事のように思えるのだがしかし、宗方は自らの横に立つアンドロイドなど存在しないかのように、ちらとも視線を動かさない。其の所為で却ってコバヤシの方が、自身の事務所であるにも拘らず居心地の悪さを感じ、尻の底がむず痒くなるほどであった。
居た堪れない様が、まるきりコバヤシの顔に出ていたのであろうことは、宗方が続けて放つ「この
何を聴かされても澄まし顔で微動だにしないアンドロイドと、其の
「……其れでは宗方さん。貴方が僕の事務所に訪れたのは『オネイロスSDR647』の事件の再調査の相談に来たと云うことで、宜しいのですね? 例え其の結果、警察に不利な事実を見つけようと構わない、と云うことでも良のでしょうか」
「大まかなところ其の通りですよ、コバヤシさん。だが実のところ、このことは相談では無く、依頼でもありません。此処へ訪れたのは単なる一個人として、何時ぞやの借りを返して貰いたく、貴方ならば頼みを断れないと知った上で……」
「訪れたのですね? ……あの時のことは僕も忘れてはいません」
暫し互いの顔を探るように見ていた宗方とコバヤシだったが、
「コバヤシさん、貴方一人では色々と不便なこともあるでしょう。この
「しかし……この彼は警察の……?」
「正解に言えば違います。部下ではありますが、個人のアンドロイドを部下として使うことが認められているコレの所有者は、私です。警察ではなく」
「其れでは宗方さんの方が不便ではありませんか?」
自身に対する
やんわりと断りかけたコバヤシだったが宗方には有無を言わせない調子で「なぁに、お気になさらずとも大丈夫。私には別にアンドロイドが有りますからな」と制されてしまうのだった。
「ほほう。二体もアンドロイドをお持ちとは、ロボット税も安くないと云うのに警察は随分と儲かるのですね」
思わず皮肉が口を突いて出るコバヤシである。
「いや、まさか。厳しい規約が有るのは勿論ですが、個人のアンドロイドを部下として使う分には特別免除があるのですよ。まあ、此れもまた警察の特権と言われたら其れまでですがな」
「面倒な貸与契約書を交わさずとも、アンドロイドの貸与には一時的に先の
「其れは……勿論。しかし、其れをすると貴方よりも僕の方に三原則の比重が置かれかしまいます。更に悪用される恐れだって……あ、いや僕は其のような事はしないと、お約束出来ますがね」
「コバヤシさんを信じられないようならば、此処に私はおりませんよ」
最早何を言っても断れないと諦めたコバヤシは、素直にアンドロイドを借りることを宗方に伝えた。
「無論、此のことは貸し借りには含まれませんから、お気になさらず」
ソファから立ち上がりながら宗方は、コバヤシにそう告げると、アンドロイドとの
其の途端、アンドロイドは微かな空気を震わせるような電子音と共に瞳の色を無くし、コバヤシの目の前で其の機能を
そうなってみると、アンドロイドは全くのロボットに見えた。先ほどまで漂っていた筈の人間らしい温かみすら錯覚に過ぎないのだと、思い知らされる。
機能を停止したアンドロイドは、単なる人形と何が違うと云うのか。動いていようが、動いていまいが、
其れを目にする度、またこの先何度見ようとも、コバヤシは其の度に不思議な感慨を抱くのだろうと考えていた。
後はコバヤシが、自身の指先でもって再起動させるだけで良い。
「第七頚椎とは、あまりに無防備では有りませんか?」
「なに、この方が良いのですよ。部下として随行させるには、万が一の時に分かりにくい場所や服の下では不便な事があるのです。では、コバヤシさん」
宗方に促されるままコバヤシは、自身の個体識別番号の入った右手親指で、アンドロイドの再起動をかけたのである。
さて、コバヤシによって再起動されると当然のように、アンドロイドの瞳が明るく青い色に変わり、其の美しい虹彩が中心に向かうにつれ複雑さを持って鮮やかな黄色に色づくのを確認する頃になると其れは、
「……おはようございます。一時的に貴方を
「うん、良いよ。此れから暫く宜しく頼む」
「此方こそ、宜しくお願いします」
そうしてアンドロイドの再起動を見届けた宗方は、コバヤシに向かってひとつ頷き「其れでは、頼みました」とだけ言うと振り返る事なく、其の場に自身の持ち物であったアンドロイドを残し、足早に事務所を出て行ったのである。
「では、マスター。先ずは何から始めますか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます