待ち人 来る、つれあり ②


「待ち人……来る、つれあり? 其れは一体何の暗号ですか? 誰を何時いつから待っていたのでしょう? 或いは、待っていた人が来たと言っているのですか?」


 アンドロイドは其の端正な顔に、困惑の表情を浮かべて見せた。


「ふぅむ。暗号か……そう取れない事も無いな。とはいえ此れが御神籤の一文で有るなら此の『待ち人』とは、人生に大きな影響を与える人、という意味合いで使われている筈なのだよ」

「其の人物が、誰かと一緒に現れると云うことですか? どうして、そんな事が分かるのでしょう?」

「さて、ね。そうなのかもしれないし、違うのかもしれない」


 アンドロイドが再びその口を開きかけたところで、其れを遮る宗方の低い声が部屋に響いた。


「コバヤシさん。私の部下アンドロイドとのおふざけは其の辺にして良い加減、此方こちらへ来てくれませんかね? 私が貴方の所へ来た目的をお話したいのです」


 声のする其の方を見れば、コーヒーの入ったカップを手に、ソファで寛ぐように座る宗方が屈強な身体によく似合う四角い顔をコバヤシとアンドロイドへ向け、器用にも太い眉毛の一方をぐいと上げている。

 コーヒーを宗方に提供した後からガイノイドの明智アケチ嬢の姿はなく、ならば宗方に指示されて湯沸室にでも引っ込んでいるのかもしれないとコバヤシは思った。

 彼女は実に慎ましやかであり、見方を変えれば主人マスター以外の誰の命令にも従うガイノイドである。

 此の彼女の従順な様は、主人マスターであるコバヤシの趣味に依るものかと問われれば、其れは違う。コバヤシは其れもひとつの個体としてのユニークさだと受け入れているだけであって、彼女の造られた個性は、彼の趣味によるものではなかった。

 と云うのも野良アンドロイドとしてザ・シティを彷徨っていた彼女を拾い上げたコバヤシは、実に古風な女性ガイノイドとして前の持ち主が設定した性格のまま解除適わずアップデートも出来ずに、主人マスター登録をしただけなのだった。其れ故に、良く云えば慎ましやかであることを彼女の個性として受け入れており、自分以外にも従順で有ることに、特に不服に思うところはなかった。


「此れは失礼しました。まあ、ね。僕にだって貴方達に興味が無い訳じゃあないんです。何故って警察の方が態々わざわざこんな場末の『萬相談処よろずそうだんどころ』なんかに来るのですから。まさか、僕を逮捕しに来たと云うので無ければ、其の話とやらを聞かせて頂こうじゃありませんか」


「逮捕されるような事をした覚えが、有るのですか?」


 デスクから離れ、応接セットへと向かって歩き出したコバヤシに、アンドロイドが首を傾げながら尋ねる。


「ははッ。なぁに言葉のあやだよ」

「其れならば良いのですが…………検索の結果、二ヶ月前に軽微な交通違反が一件見つかりました……更に遡りますか?」

「…………?! そ、其れは」

「もうその辺にしておけ」

「はい、宗方マスターさん」


 やれ助かったと、肩を竦めながら応接セットの一人掛けの椅子に腰を下ろしたコバヤシが、身振りでアンドロイドの彼にも座るように促したものの、当の彼はと云えば小さく首を横に振っただけで宗方の座るソファに横並びに立つのだった。

 アンドロイドとしては正しい反応である。

 幾らコバヤシが勧めようと、主人マスターである宗方が座れとは言っていないのだから。


「其れでは、御用件を伺いましょうか」


 椅子に腰を下ろしたコバヤシが背凭せもたれに背中を預け、脚を交差させると両の手を突き出た膝頭を包むように組みながら、宗方の方を見る。

 其れを見た宗方は勿体ぶった様子でコーヒーをひと口飲み、口内を湿らせるとおもむろに口を開いた。


「用件と云うのは、あの有名な『オネイロスSDR647』の件で頼みたいことがある、と云えば貴方の興味を手繰たぐることが出来ますかな」


 重々しい口振りで充分な芝居っ気を見せた宗方は、極め付けにコバヤシに向かって掬い上げるような上目遣いで、にやりと笑って見せた。

 成る程、あの『オネイロスSDR647』とは、誰だって芝居を打ちたくなるのは宗方でなくとも分かる。

 其れを受けてコバヤシは、慇懃とも傲慢とも取れる態度で、笑顔を返した。


「頼みたい? ふうん。其れは、また。相談所に来ておきながら、事は相談ではなく優秀な警察貴方がたが解決した事件を持ち出すとは、今更何を頼むと云うんです?」

「解決済みだからこそ、だ。お分かりでしょう? 我々は、その件に関しては、もう動くことが出来ないのです」

「では何故、今になって? あの事件が起きたのは十年も前ですよ。正確に云うなら十一年と二ヶ月も前だ。其の頃は僕だってまだ、美少年と呼ばれる年齢でした。宗方さん、貴方だって」

「私は最初から美少年では有りませんが、当時も今と変わらず警察官でしたな」

「ふむ。まあ、何やら当て擦りにも聞こえますが良いでしょう。で、今になって警察は何を求めているのでしょうね? 事故であったと云う揺るぎない確信ですか? 其れとも認めたくはないが殺人だったと云う捜査の誤りですか?」

「事故とは認めたくない遺族による再捜査の要請が、もう十年以上……そう正しくは十一年と二ヶ月続いているんですな。上層部が辟易してしまって、現場に鉢が回ってきたと云う訳なのです」

nonい! 貴方がたは、のらりくらりとした態度が非常にお上手だ。御家芸でさえある。何なら其の遺族が塵になった後でさえ其の態度を変えたりしないと、断言出来るほどにね。何があったのです? 此処に来なくてはならない何が、あったと云うのか、僕は其の方が余程気になりますね」


「ではアンドロイドによる犯罪、その疑念すら認める訳にはいかないとする一定数が存在することも、少年では無くなった貴方にはもう分かる筈だ。だが、実際にアンドロイドが犯罪を起こすのだとしたら? 其処に有るのは……」


人間マスターによって造られた個性や、タスクを積み上げて学習した上での反応ではない


「ご名答ですな。今から十年以上前の旧型である『オネイロスSDR647』が既にその兆しを見せていたのだとすれば、どう云う事か貴方にはもう皆まで言わずとも、でしょうな」


 コバヤシは、眼の前に立つアンドロイドの感情のない美しい顔を見上げた。


Merde!」






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