第1章 依頼

待ち人 来る、つれあり ①


 詰まるところ此れらの始まりは、全く関係のない一枚の年賀状からだったと言っても良いわけだが、郵便によって届いたものではなく、其れは、古本屋密売所で買ってきた一冊。アシモフの短編小説集の間に半分に折り曲げられ栞として使われていたものだった。 


 広げてみれば古色蒼然とした文庫本に負けず、同じくらいに黄ばんだ其の葉書は、深い藍色のインクでもって滲む文字が書かれた年賀状で、新年の挨拶に始まる其処にあるどの文字も酩酊しているような、しかし其れでいて不思議と均衡のとれた味わいがあるものに思わずといった様子で溜め息が漏れる。


「見たまえ明智アケチくん。これほどのお宝は、滅多にお目にかかれないぞ。令和四年の寅年の年賀状だ。惜しむらくは、あまり状態が良くないことだが……ふむ。以前、何枚かコレクターから見せて貰ったものは子供の写真や可愛らしい絵柄が一面に描かれたものであったが、斯様かようにシンプルかつエレガントな年賀状も悪くない。いや、却って面白いじゃないか。なにしろ……」


 やや興奮気味とも云える様子でもって年賀状に書かれている文を読み上げようとした其の時、『明智アケチ』と呼ばれたガイノイドである彼女は、淹れたてのコーヒーがなみと入ったカップをデスクの上に置きながら、彼女の主人マスターとする人間の、もう片方の手に持つ本の方へちらと嫌厭の視線を送ると「何十年も前にアンドロイド達により焚書対象になった一冊じゃないですか」と形の良い眉を顰めた。


「ん? ……あゝこれは……まあ、その……やあ、コーヒーありがとう。素晴らしい薫りだね」


「誤魔化そうったって、駄目ですわ」


「そう怖い顔をするものじゃない。可愛らしい顔が台無しだ。ロボット工学三原則を不服とするアンドロイドの気持ちが、そっくり分かるとまでは僕には言えないがね。だからと言ってしかし、君たちはやり過ぎた。歴史は何度だって繰り返す。『焚書は序章に過ぎない。本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる。』その昔、ハインリッヒ・ハイネが言ったことがロボットによって再び繰り返されようとは誰も思わなかったろうな。何を云おうと君たちの焚書による抗議行動から二年と経たないうちに、後世に名を残すことになろうアンドロイド『オネイロスSDR647』による初の殺人事件が起こるんだから」


「正確にいえば焚書という抗議行動を実際に行ったのは、アンドロイドを擁護する人間ですわ。アンドロイド達では無く。其れに、あの事件は故意ではなく偶々たまたまウィルスに感染したアンドロイドに拠るものだった、明確な殺意はなく事故であったと、決着がついてるじゃないですか」


「果たしてそうかな? あれ以来、時折思い出したようにウィルスの所為で殺人を犯すアンドロイドが一定数いる事は、偶然とは思えないのだがね。だからこそ警察庁刑事局に新しい部署が……」


「勿論、知っていますわ。其れに伴い此処ここザ・シティにも警視庁刑事部、組織犯罪対策課と並んでアンドロイド犯罪対策課が設置されたという話でしょう? でも、その指揮を執っているのが人間だなんて……其れも」


「おや、其方そちらお嬢さんガイノイドは、人間嫌いのアンドロイドですかな? 其れとも私のことが嫌いな単なる一個人かな」


 突然聞こえてきた低い声の方へと、一人は本を手離し、コーヒーの入ったカップへと変えた其れに口をつけようとしていた顔を上げ、残る一人は優美な動きで振り返る。

 扉口には屈強な身体をした人間の男性と、美麗という文字を具現化したようなアンドロイドと思われる二人がいた。

 何故、見ただけで屈強な方では無しに美麗な方がアンドロイドと分かるのかと云えば、然許さばかりに美しいから、ではない。首元にある黒く細い光沢のあるビロウドのチョーカーが、ひと目で分かるその証左である。

 個体番号や個体情報の刻まれたそれを着用する義務が、アンドロイドにはあった。その義務を怠れば、三原則を由としない不穏分子として処分される恐れもあるからである。

 アンドロイド側は兎も角、人間側マスターからすれば、これは差別ではなく、外見では判別出来なくなったアンドロイドを見分ける為の、あくまでも区別であるとしていた。

 無論のこと、明智アケチと呼ばれていた彼女ガイノイドの白く細い首元にもビロウドのチョーカーはある。色は黒ではなく血のように濃い真紅であったが。


 さて、今まさに飲もうとしていたカップを机の上に置くと、つくり笑顔を侵入者の二人へ向けた。


「やあ、これは宗方さん。新年明けましておめでとう御座います。警察の方が、こんな所まで態々わざわざどうされたのですか?」


「なんと、未だに年を数えていらっしゃるなんて、実にコバヤシさんらしい。随分と古めかしい挨拶ですな。つい最近、我が家のアーカイブで観た高祖父を思い出しますよ」


 宗方と声を掛けられた方は、件のアンドロイド犯罪対策課の警部である。

 その人物がコバヤシと呼んだ男の居る部屋の中に招き入れられるより先に、遠慮なく歩みを進めるその態度は実に不遜で、付き従うアンドロイドはと云えば、怜悧な唇に軽く笑みを浮かべて、当たり前のように、彼の後ろから続くのだった。

 アンドロイドがコバヤシのデスクの前で立ち止まると共に其の眼が、上に置かれた本を認めて微かに動く。


「おっと、この本について其方そちらの彼は何か言いたい事がありそうですが、勘弁して下さいよ。僕が好きなのはノスタルジー溢れるフィクションであって、君たちが思うようなことじゃないんだから」


「何も思っては、いません。人間がどれも同じでは無いように、アンドロイドだって皆同じでは無いのですよ」


 其の遣り取りの間にも、部屋の真ん中に設えてあるアンティークの応接セットのソファに勝手に腰を下ろす宗方を横目に、コバヤシは要件も分からないのだから長居をされては面倒だと、デスクの前から動くことはせずに、目の前の美麗な容姿を持つアンドロイドを興味深く眺めた。

 アンドロイドも宗方の指示がないからなのか、別の理由があるのかは分からないが、デスクを挟みコバヤシの前に立ったままである。


「君は面白いな。名前は?」

「ロゴスAGL2242です」

「其れは型番だろう?」

主人マスターでもない貴方に呼ばれる名前は、無いんですよ」

「ふうん? じゃあ主人マスター以外の人間が、遠くの君に呼び掛けたい時は? 君は何て呼ばれているの?」

「おい、ちょっと、其処の、キミ、いやその、あの、お前だ、木偶の坊」

「其れ全部? 繋げて?」

「……其れのいずれか、ですよ」

「面白いなぁ。じゃあ、僕は君を好きに呼んで良いんだね。如何どうだろう明智アケチくん、何か良い呼名は無いかな?」

 

 一応の客人であると看做みなしたのだろう宗方に、新しく淹れたコーヒーを持って現れた明智アケチへ尋ねてみれば、その可愛らしい顔を顰めて見せた。


「知りません、わ」

「おや? 思いつかないでも分からないでも無く、? さては妬いたのかね? 安心したまえ僕の特別は、明智アケチくん以外には居ないのだから」


 明智アケチへ向け、片眼を瞑って見せると軽くなされる。

 肩を竦めたコバヤシを見たアンドロイドは、すかさず「アンドロイドには博愛はあっても、其のほかの特殊な感情は、無いんですよ」と言うのだった。


「博愛主義者が嫌がる三原則か……何か矛盾を感じるのは僕だけなのかな」

「アンドロイドの尊厳と人間への博愛は別です」

「博愛とは実に便利な言葉だ。言い換えるなら人間には興味が無いと吐露しているようなものだが、ねぇ?」


「……ところで、その葉書は」

「ん? あゝ……これは……話を逸らしたね? まあ、良いよ。年賀状という新年の挨拶を交わす手紙のようなものだよ」

「其れは知識として知っていますが、印字面が変ではありませんか? 当時の新年の挨拶と呼ばれるものには、幾つかテンプレートがありますよね」

「ははッ。君は実に面白いよ」

「笑えるようなことを言った覚えは、ありませんが」

「新年の挨拶と同時に此れは、手書きの手紙なんだよ。『新しい年、おめでとう』から始まるのだから、余程親しい相手だったのか、其れとも……まあ、良いか。冒頭もまた非常にユニークではあるが、僕が気に入っている一文は其処じゃない。『では、さようなら』の後に御神籤の中の文言が書いてあることなんだ」


 デスクの上に置いた葉書の其の箇所を、アンドロイドに向け、そっと優しく触れる指先で示して見せた。



待ち人 来る、つれあり






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