第10話


「……」


 この日、花城かじょう咲恵さきえはイライラしていた。いや、この日に限った話ではなく、ここ一ヶ月はほぼ毎日イライラしていた。


「あ、あの」

「うるさい!」

「え」

「あっ、あら。ごめんなさい」


 そう言って「おほほ」と誤魔化す。


「どうかされたのですか?」

「え、いいえ。なんでもないわよ」


 ここ一週間はもはやこうやって誤魔化すのが定番になっている。


「どちらへ?」

「ちょっと、お花を摘みに。今日は私の事は気にせず先に帰ってくださいな」

「わっ、分かりました。さようなら」

「ええ、ごきげんよう」


 彼女たちは我が『花城カンパニー』の下請けの会社の社長令嬢。今の様に咲恵を心配していたのもただのポーズだと言う事を咲恵は知らない。


 そして、咲恵のイライラの理由はずっと耳元で鳴っている「耳鳴り」なのだが、その「耳鳴り」になった心当たりが咲恵には全くなかった。


 毎日早寝早起きをし、ご飯もしっかり食べている。ストレスを感じる事が全くないとは言わないが……それでもまだストレスは少ない方だろう。


「きっとあの女のせいね」


 そう言いながら咲恵は昔からの癖である爪を噛む。


「……」


 そして、その「あの女」と言うのは、中学の頃からずっといるむかつく女の事だ。


 いつもであれば、花城の家の名前を使ってマウントを取ったり父親に泣きついたり出来るのだが「むかつく女」の『暁明日香』にはそれが出来ない。


 それはなぜか……。


 なぜなら、彼女が『暁グループ』の社長の娘だったからである。


 それくらい。この学校では、とにかく「家」で判断する事が多い。それこそ、教師たちの評価も変わるほどだ。

 そして『暁グループ』は『花城カンパニー』に匹敵……いや、近年はそれ以上に成長している。

 そのせいもあり、いつもの手が使えない。

 しかも、彼女自身そういった「家」とか「金持ち」などを気にせず誰にでも分け隔て無く接している。


 そんなの、自分をよく見せるための計算だと決まっているというのに。


 しかし、咲恵の声は届かず、ここ最近では「ただのひがみでしょ」とすら言われ始めている始末だ。


 だからなのか、彼女が周囲に評価されるのがとにもかくにも面白くない。


「あの女が悔しがる姿を見たくて、追い詰めたというに!」


 そう大きな声を出しながら握り拳を振り下ろして鏡を見ると……。


「え?」


 ふと真っ黒い『何か』が体の周りに見えた。


「なっ、何よ。コレ……え?」


 咲恵は思わず振り返って後ずさるが、周りをふさがれていて背中には洗面器が当たってこれ以上は後ろに下がれない。


「ゆっ、許さ……ない」

「金……亡者」

「人――違う」


 黒い『何か』から聞こえるのは咲恵と同じくらいの年齢の女子の声……だけでなく、大人の声も聞こえる。


「!」


 そこでようやく咲恵は気がついた。

 これらの声の主が誰なのか……いや「誰」というよりは「ある人たち」と言っていいだろう。それくらい、彼女は色々な人たちを追い詰めてきた。


「何なのよ! あんたたち!」


 しかし、彼女は「自分が追い詰めた」とは一切思っていない。


 それこそ「自分は選ばれた人間なのだから、何をしても良い」とすら思って生きてきていた人間だった。

 つまり、間接的とは言え、彼女に追い詰められて殺された人たちは等佐喜だけでなくたくさんいたのだ。


「あっ、あんたたちが勝手に死んだんじゃない!」


 咲恵がそう叫んだ瞬間。真っ黒い影の様なモノが彼女を包みこんだ――。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆


「勝手に……ねぇ。それを『自業自得』って言うのなら、むしろあんたの今の状況が一番合ってんだろ」


 瑞樹は呆れかえった様に言う。


「まぁ、そうですね」


 新聞に書かれていたのは『花城カンパニー』の詐称やらパワハラやらの悪事の数々。つまり、問題があったのは娘だけではなかった……と言うワケだ。


 ちなみに、その娘の咲恵は学校で事故に遭った様だが、それに関しては他の記事にちょっとだけ後付け程度に書かれている。


「しかしまぁ、その怪異は既にこの世にはいねぇだろうけど」


 そう言って瑞樹は軽く伸びをする。


 実は、遅かれ早かれこうなるであろう事は明日香の話を聞いた時点で瑞樹は何となく分かっていた。

 しかし、瑞樹はあえて何も手を打たなかったのだ。

 それは、明日香の言った等佐喜が送ってきた唯一の手紙に「こうなってしまったのは、私の自業自得だから」と書かれていた事に所以している。


 そして、事故の後に学校にいる「祓える人」要するにあの白装束の様な人が祓ったのだろうと瑞樹は推察出来た。


「それにしても、学校での事故というは……。一体どういった状況だったのでしょう?」

「さぁな。場合によっちゃあ学校側の責任にもなるだろうけど」


「――階段を踏み外して転げ落ちたのよ」


 突然扉の方から聞こえてきた声に、二人は思わずそちらの方を見る。


「あ、明日香」

「よぉ。随分詳しいんだな」


 明日香がソファに座ると、瑞樹はそう話し始める。


「ありがとう、噂話はすぐに広がるのよ。まぁ、元々良くも悪くも目立つ人だったし」


 そう言って如月から手渡されたカップを受け取り、紅茶を飲む。


 ここにある紅茶は基本的に瑞樹が淹れているのだが、近くにあったポットから淹れるくらいなら如月にだって出来る。


「なるほどな。つまり、事故があったのは放課後って事か」

「ええ、しかも周りに生徒がいる時に。その状況を見ていたって人は、彼女が虚ろな目をしていたって聞いたわね」


 その会話を思い出すように明日香は話す。


「ほぉん。つまり、取り憑いて行動したんだろうな」

「取り憑いて……」


 如月はその状況を見たワケではないが、自分の体を自分ではない誰かに動かされて怪我をした……と聞いても、どうにも実感が湧かない。


「まぁ、一度取り憑いて大きな衝撃。つまり事故などに遭えば『怪異』は外にはじき出される。で、そんな事故を起こした怪異なんて、大抵はすぐに祓えるヤツらに見つかる。それくらい大事だからな」

「なっ、なるほど」

「……と、ポットの中身がなくなっちまったみたいだな」

「あ、じゃあ取って来ますよ」


 そう言って如月は席を立つ。


「悪いな」

「いえ」


 そのまま茶葉を探しに給湯室の様な場所へと向かう。


「で、一つ聞きてぇんだけど」


 如月の姿が見えなくなったところで、瑞樹は明日香に問いかけた。


「内容によっては答えないけど、どうぞ」

「答えねぇのかよ。まぁ、いい。どうにも暁が如月の友人になった理由が気になってよ。あいつ自身も気にしているみてぇだし、聞いてみようと思ってな」

「……」


 そう尋ねた瑞樹に対し、明日香はチラッと視線を向ける。


「理由……ね。そうね、真面目そうだから……かしら」

「それだけか?」

「毎日懸命に勉強に向き合い、決して頭も悪くない。それでいて優しい。あの子、私の話を聞いている時も悲しそうな顔をしていたのよ。他の人の悲しみに寄り添えるってとても大事な事でしょ」

「まぁ、そうだな」


 それは瑞樹も心当たりがある。人に興味がない様に見えて、如月はなんだかんだ優しい。


「それなのに自分に関しては鈍感。最初に花城さんに会って悪く言われても自分よりも私の事を考えていたんじゃないかしら」

「……で?」

「将来的にね、私は彼女を我が社に迎え入れようと思っているのよ。もちろん、彼女の母親をなんとかした上で」


 そう言って彼女はニヤリと笑う。


「何とか」

「我が家には優秀な弁護士もいるし、その点は問題ないと踏んではいるのだけど」

「つーか、その言い方だと家は自分が継ぐって言っている様なもんだな」


 瑞樹がそう言うと、明日香は「ええ、そのつもりよ」と当たり前の様に答える。


「現に今の社長は母だもの。何もおかしな話じゃないわ」

「あー、そうだった」


 サラリと答えられ、瑞樹は思い出した様に天を仰ぐ。


「あ、すみません。いつものところになかったので時間がかかってしまって……って、どうしました?」


 そんなタイミング戻って来た如月は、上を向いている瑞樹と何も変わらず紅茶を飲んでいる明日香を見比べながら状況を飲み込めずに目を白黒させていた――。

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