第4話「孝弘と潤」
12月2日 月曜日 曇り。
時刻は12:30。”離散数学”という何だか訳のわからない講義で脳が疲れ果てていた僕は、
生協で買ったパンを食べるために学食に入っていった。
(ふふ…それでさぁ)
(ええー?ほんとにー?)
(腹減ったな~お前何食うの?)
(ん~今日はAラン行っちゃおうかなぁ)
(お!リッチじゃん~)
タタタ…タタ…タタタ…
それなりに騒がしい大学の学食で、ノートパソコンのキーボードの音が静かに鳴る。
僕はその音がよく聞こえる位置に座り、上半身をテーブルにくっつけた。
「あ~…疲れた…孝弘~何やってんの?」
僕は突っ伏したまま首を横に向け、やや見上げる形で隣に座っている孝弘に質問を投げかけた。
孝弘は就職も一流IT企業に決まっている俗にいう秀才というやつだ。
「これ?オセロ作ってる」
孝弘はこちらに振り向くこともなく、ひたすらキーボードを叩いている。
「オセロってゲームの?」
「そうだよ。それ以外にあるの?」
「いや…ないけど…」
タタタ…タタ…タタタ…
「…」
タタタ…タタ…タタタ…
「…何でオセロ?」
別にわざわざ質問する必要なんてなかったが、会話が変な感じで途切れたので、流れで何となく聞いてみた。
「別に。プログラムなら何でもいいんだ」
「何でも…しかしよくゲームとか作れるな。プログラムは習ったけど…自分でゲーム作れるなんてとても思えないんだけど」
「そう?一連の流れを繰り返すことに気付けば、簡単なものなら誰でも作れるよ」
「マジで!?」
”光明が差す”とでもいうのか、ゲーム好きな僕はその意外な言葉に反応し上体を起こした。
「さすがにコンシューマレベルのものはその先の専門的な知識が必要になるけどね」
「なぁーんだ…でも…やってみようかな」
「いいんじゃない」
タタタ…タタ…タタタ…
なんでこんな秀才が凡人の僕なんかと話す仲になったのか、とよく考える。
以前、それとなく理由を聞いてみたら”彰はなんか違うタイプだから”と即答された。
これがホメ言葉なのか、けなされてるのかは正直よくわからなかったが、
こうやって一緒にいる時間が多いんだから一応ホメ言葉だったんだろう、と僕は受け取ることにした。
「そういや、何でプログラムなんか書いてんの?」
授業の宿題は何もなかったはずと記憶していた僕は、少し焦り気味て問いただした。
「会社の宿題とコーディングルールの練習」
「会社の…ルール?」
「そう。企業にはプログラムを書くにあたってコーディングルール…まぁ、書き方の決まりというのがあってね。それに従って書かないといけないのさ。だからその練習」
「それでオセロかよ!? 何かもっと簡単なやつじゃダメなのか?」
「ファイル数、クラス数、行数とかの指定もあったと思うけど、とりあえずオセロなら全部満たすかな、と思って」
「うぇー…とりあえずでそこにいくんだ…やらなくてもいい量やってそう…」
「まぁ、新しい言語覚えるときには大抵これ作ってるから」
さすが秀才の言うことは違うな…と半ばげんなりしながら僕は眼を細めた。
そんな中、潤が山菜そばを持って向いの椅子に座った。
「よぉーっす!お二人さん!お元気~?」
「お~潤か~。まぁ元気かな~脳は疲れてるけど…」
「うん」
孝弘は目をディスプレイから動かさずに答えた。
「えー?なになに?孝弘何やってんの?」
「…」
タタタ…タタ…タタタ…
孝弘は二度も同じ事を答えるのが面倒なのか、潤に話しても意味はないと考えているのか、
黙ったまま素早く指を動かし続けた。
「あぁ~実はカクカクシカジカ…」
僕が代わって潤に説明する。
こんな水と油のような関係の潤と孝弘ではあるが、孝弘は別に潤のことが嫌いなわけではないらしい。
潤と一緒にいる理由はたしか…”潤は変だから”だったかな。
こんな感じで孝弘は人見知りの激しい秀才だ。
「そうそう!彰!このゲームやったか~?」
「え~?もうソシャゲは3本やってるから手一杯だよ」
「潤もその時間を何か別のことに使えばいいのに」
「俺は無課金でどこまで遊べるか挑戦するのが楽しいの!」
そんな三人で談笑をしていると、この間病院で沸いた疑問がふと僕の頭をよぎった。
「そういやさ…人の身体って…何なんだろう?」
「あん?なんだ?突然」
「…」
あれだけ動いていた孝弘の指がピタッと止まった。
学食の騒がしさに比べれば、それほど大した音という訳ではないが、不思議とその音が無くなるとこの近辺だけ静寂さがグンと増した。
「人の身体?意味がわからねーぞ、彰」
「あー、えっとさ…。つまり魂と…身体の?関係?とかさ」
「魂?そんなんあんの?」
「いやそれは…まぁ、あると…思う…」
当たり前だがチグハグな会話になってしまった。
が、そんな中珍しく孝弘が切り込んできた。
「魂があると仮定したとして、それで?」
孝弘は話を続けろと言わんばかりに僕の方を向いた。
彼にとってこの話は少なくとも、目の前のプログラムよりは興味深いことらしい。
「え~っと、つまり、その…例えばなんだけど…」
「下手なたとえ話はいいから、思ってることを素直に話して」
孝弘には見透かされているような、面倒がられたような感じで僕の返答は瞬時に封殺された。
とはいえ僕自身、そんなにたとえ話とか上手くないから仕方ないかと思い、素直に現状を話すことにした。
「…実は植物状態の伯父がいてね、その人のことなんだ」
「え?植物って…」
「…」
さすがに意表を突かれたのか、二人は言葉に詰まる様子だった。
「あ~そんなに気にしなくても大丈夫。それに本当に大変なのは伯父さんの家族なんだし…」
気を遣わせてしまう言葉だろうとは予測していたため、僕はテンプレ気味なフォローを付け足した。
「…それで?」
事の本質を捉えようとするかのように孝弘は聞いてきた。
その素早い切替しには、色々な気持ちが含まれているようにも感じた。
「あ、うん…伯父さんには魂がないのかなって思って…」
「魂が…?」
「…」
「単純な考えだけど、魂と身体がセットになってるのが「人」ならさ、魂がなければ身体は動けないのかなって」
「ふ~ん…そうなのか?ん~案外そうかもなぁ~」
「…フフ」
「ん?ここ笑うところか?孝弘」
ふと孝弘が含み笑いをしたため、潤は自分の言動がおかしかったのかと思ったようだ。
「いや、潤じゃない。彰の考えがその…面白くてね」
孝弘は本当に楽しそうな笑みをしながら僕の方を見てこう続けた。
「ぼくはね、魂というものは”ない”ものとして考えているんだ。もちろん今でも”ない”派だ」
「そ、そうだよ…な。わりぃ、変な話をして…」
僕が照れ隠しをするようにそう言おうとした時、孝弘は遮るように言葉を被せてきた。
「だからと言って魂が”ある”ことを否定はしない。というよりそもそもできない。これは考え方の違いなだけだ。だから彰、君のその仮説はとても楽しい。ぜひその続きを聞いてみたい。そう思ったらつい笑いがこぼれてしまった。勘違いをさせてしまったのならすまない」
孝弘はスラスラと持論を述べながら謝罪をし、そして目を輝かせるように僕に顔を寄せ迫ってきた。
「へぇー、孝弘が食い付くなんて珍しいな」
潤の言うことももっともだった。
しかしこの秀才ならば何か良い答えを導いてくれるかも知れない、と僕は密かな期待を抱いた。
「伯父さんってさ、意識がないだけで呼吸もするし脳波も検知されてるわけなんだけど、これってどういうことなのかな?って」
「ふむ。意識がない=魂がないという考えか」
「そう。脳が生きてるなら、今までの知識とか情報っていうのは脳に残ってるわけじゃない?でもそれら情報を使うことができない状態、とでもいうのかな…」
「魂が身体を動かすための原動力という仮説か…興味深いな」
「へー、なんだか俺のパソコンみたい」
こういった面白みのなさそうな話に潤が割って入って来るのはとても珍しく、僕と孝弘は少し驚き、互いの顔を見合わせた。
「パソコン?」
「どういうこと?」
「いやぁ~うちのパソコンってさ、ぶっちゃけ俺より頭いいじゃん?すげえ情報をたくさん持ってるわけだしさ」
「まぁ…パソコンだしな」
「うん。潤以下のパソコンをパソコンとは呼ばないね」
「おい、何か悲しくなるぞ!ってまぁいいけど。で、そうだとするとさ、俺がその魂ってやつになるわけだ」
「んん?わからん、どういうこと?」
「そうか!?なるほど!」
潤の発言の意味がよくわかっていない僕に対して、孝弘は何かに気付いたようだった。
「たしかに潤が動かさなければ、その情報の箱、つまりパソコンは何もできないな。うん、面白い!」
「ご名答!さすが孝弘!」
「あ、そうか!?なるほどなぁ」
「と、いうことは…」
孝弘は自分のプログラムを一旦中断し図形描画ソフトを素早く起動した。
自分の考えの正確さを確かめるように饒舌になっていく。これは孝弘特有の行動だ。
「パソコン本体を身体とするならば、操作するぼくたち人は魂だと仮定する…四角をパソコン、丸を人とでもしておくか…」
孝弘はパパッと基本図形を、自分のノートパソコンの画面に配置し説明をつづけた。
「そしてこの2つに対応するものが、身体と魂、というわけだ。実にシンプルだな、素晴らしい!そして面白い仮説だ!」
「そ、そんなに面白いか?なんか照れるな。正直すんごく平凡な気もするんだけど…」
「確かに平凡にも見える。だけど物事の真理というのはね、実際はとてもシンプルだったり、時に身近なものに置き換えられたりするという事を、ぼくは自分の学習経験の中で知っている」
潤と僕は孝弘の言葉に圧倒されて、そうなのか、と頷くことしかできなかった。
「特に面白いのは、ここの類似点だ」
孝弘の饒舌さは増す一方だ。こうなるともう誰にも止められないというのは僕も潤も良く知っていた。
「身体には大量の情報が存在する。これはハードディスクに置き換えて考えることができる」
「あー確かに・・・」
「そして自発呼吸だが、これは起動状態のパソコンともとれる。パソコンは人が介入しなくても機械的な動作は裏で自動的に行っているものだ」
「ふんふん」
「つまり彰の伯父さんの状態はこの「起動状態のパソコン」と考える事ができる。生きているということは、電源が入っている状態とも捉えることができるしね」
「ということはパソコンにとっての「人」つまり「身体」にとっての魂があれば身体は動き出すかも、ということ?」
「確証はないけれど類似性をもって考えればそういうこともあり得る、ということだ」
「へぇー、それはたしかに面白いな。そうだといいな」
「だけど魂というものがどこから来て、どう生まれ、いつ消えるのかは全くもって不明だけどね。でもそういうものがあると仮定した時、こういう考えに発展するというのがとても面白い」
「これを面白いっていう孝弘の方が面白いけどな~」
「潤。もとは君の発想だよ。ぼくは目の前にパソコンがあったにも関わらず、君のそういう発想は出てこなかった。そういうアクロバティックな発想を持っているところが君の素晴らしいところだ」
「え?孝弘に褒められると、なんか照れるわ~」
潤が深く考えずに孝弘の発言に賛同している中、僕はいつも見える光に関して考えていた。
「魂か…」
顎下で両手を合わせてそう呟く僕を見て、孝弘は思いがけない質問を口にした。
「見えるのか?魂が」
「え!?」
僕は驚いた。
光が見えることは幼少期に他人に話して変人扱いされて以来、誰にも話してはいない。
無論、この二人にもだ。
そこを孝弘がまじめな顔で質問してきたのだから、僕は虚を突かれた感じになり、
つい妙な動揺を見せてしまった。
「な、なんで?そんなわけないじゃんか」
「そうか。てっきり彰には、僕らには見えない何かが見えているのかと思った」
「えー?…どうしてそう思ったんだ?」
「そうだよ孝弘、彰だぞ?そんな特殊能力あるわけないじゃんか」
孝弘は目が疲れたのか、眼鏡をはずし指で眉間を摘まむようにマッサージしながら話を続けた。
「そんな不思議なことでもない。普段、君の視線が読めない時が幾度となくあっただけだ」
「視線が?」
「ん~、焦点と言った方が良いのかな。つまり、どこを見ているのか全く見当つかない時が結構あったんだ。全体を見ているというか何も見ていないというか…そういう感じだ」
そう言いながら孝弘は眼鏡のレンズを拭いた。
「それは…惚けてただけじゃないかなぁ」
「そうも思った。だが惚けているだけなら普通、意識が返ってくる瞬間というのを感じ取れるんだ。”あ、そうだった!”というような感じのね」
「…」
「ところが彰はそうじゃない。明らかに何かを見ていて、そのまま単に目をそらすような自然な流れだ。そこに意識の切り替えという所作が全く感じ取れなかった。ただ漠然と何かを見ていて、そしてそれを見るのを止めた…そんな感じなんだ」
「…孝弘」
「ぼくは他人を観察することが好きでね。特に面白い行動をする人は大好きだ。そういった意味で君たち二人は特に目立っていた」
『え?』
(孝弘が僕と潤の二人とだけなぜ接触するのか、その理由がわかった気がした。
だけどこれって、僕たちの事を大好きと孝弘が言ったのか?)
そんな考えに僕が行きついた時、照れを隠すように孝弘が再びしゃべり始めた。
「ま、まぁそんなわけで、ぼくはてっきり彰には何か見えてるのかとも思ったんだが…そうか、勘違いだったか」
なかなか見せない心の内を露わにした孝弘に心救われたのか、
気が付けば僕は長年封印してきた不思議な光のことを口にしていた。
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