第5話
男が語り始めたのは、彼の出生からだった。沙良は「これは本当に長くなる」と目を丸くする。その彼女の様子も気にせずに、男は語る。
葛が生まれたのは奈良の暮れ頃。山林の小村にある貧しい家に生まれた。母は彼を可愛がった。だが、生まれながらに持った白髪を彼の父は酷く気味悪がった。
彼が七つの頃。母が病で死んだ。父は幾日も経たないうちに葛を山に捨てた。父は走り追い縋る彼を突き飛ばし、振り返らずに山を下りた。彼はその背を泣きじゃくりながら見送った。
雷鳴が響き、雨が体温を奪う。葛は意識を朦朧とさせながら山を彷徨った。終に倒れた少年の頭に、奇妙な声が響く。男か女か、子供か老人か、判別がつかない声が語り掛ける。
「かわいそうに、きれいなこ。わたしのそばにおいで」
優しい声が消えた後。雷鳴が轟き、葛は意識を手放した。
少年が目を覚ましたのは暗闇の中だった。おどろおどろしい雰囲気と生ぬるい風が肌に纏わりつく。
「やぁ、きれいなこ。本当にきれいだ。現に置いておくのはもったいない。わたしのそばで、黄泉で暮らそうね」
少年の前に現れたのは真っ白い大蛇。本能的な恐ろしさに、葛は後ずさる。しかし、大蛇の長い尾がそれを許さない。少年の体をからめとり、愛おしそうに撫でた。
問答無用。有無を言わせず少年は闇夜に吸い込まれる。大蛇は葛に語り掛ける。
「お前を鬼にして、ずっとずっと黄泉で飼ってやろうね。きれいなこ」
「いやだ……!こわいよ、お母さん……!」
大蛇の言葉に少年は涙をこぼして首を振る。しかし彼は逃れることが出来なかった。
黄泉での暮らしは、不自由のない快適なものだった。衣食住は確約され、空腹にも、寒さにもおびえることはなくなった。大蛇も彼を可愛がり、有無を言わさず鬼にしたこと以外は、大蛇は彼の希望を叶えた。
鬼として成長した葛は、大蛇のもとで仕事を始めた。大蛇は黄泉の女王に仕える雷公であり、黄泉に流れ着く魂を取りまとめることを仕事にしていた。その仕事の手伝いとして、現世に留まった魂を導く仕事を始めたのである。
「やけに今日は羅刹が多い。盆の時期でもあるまいに」
平安の頃。彼はその日も仕事で現世を訪れていた。刀を携え、弓を射る。現世で惑う魂たちを喰らおうとする悪鬼羅刹を倒すことも彼の仕事であった。
すっかり夜も更け、木々も寝静まった頃。誰も居ないはずの山林で、茂みが揺れた。
葛は刀に手をかけ、耳をすます。動物ではない。
「きゃあああああ!!!たすけて!たすけて!」
彼の耳に届いたのは女の悲鳴だった。声の方を見ると、息を切らして走る女。その背後にはおびただしい数の悪霊と悪鬼羅刹が迫っている。
「なんて数だ……!お前、こっちへ来い!!」
「え、きゃあっ!!」
葛は追われる女の手首を引っ張り、自分の背後に隠す。刀を抜き、悪鬼羅刹を切り伏せる。腰を抜かした女は、葛の足首に縋り付いて震えていた。
「おい、もう大丈夫だ。……こんなところで何をしている。女子供が出かけていい時間じゃないぞ」
「……」
女は震え、強く唇を噛んでいた。葛はしゃがみこんであやす様に肩を叩く。
「……もう大丈夫だ。大丈夫。もう怖いものはいない」
「う、う、うわあああああああん!!!」
安心したのか、女は葛に抱き着いてわんわんと声を上げて泣いた。女が泣いている間、葛はどうしたらいいか分からず、ただあやす様に肩をたたき続けた。
それが「サヨ」と葛の出会いだった。彼女が言うには、彼女は幼い頃から「良くない者」に好かれやすい体質らしく、被害に頭を悩まされていたらしい。いつもは大量の札やお守りを持っているが、あの日は遠出をするつもりが無かったため、持ち歩いていなかったという。
それから、葛は仕事の最中にサヨと何度も会うことになる。はじめは仕事のついでに彼女を助けていたが、次第に彼女を守るために仕事に赴くようになり、黄泉よりも現世にいる時間のほうが増えた。彼は仕事が捗るからという名目で、彼女のそばにいたが、その理由が必要がなくなるには時間がかからなかった。
また、サヨも自分を守ってくれる彼に惹かれていった。自分を守るために彼がけがをして帰ってくるのがもどかしくて仕方が無かった。
ある日、彼は数カ月ぶりに黄泉へと帰った。雷公にあるお願いをするためである。
「あれ、そういえばしばらく居なかったんだね。葛。仕事の調子はどお?」
「問題ありません。雷公様もお変わりないようで」
「そお?私は新しい遊びに忙しいよ。で?なにか用事があって来たんでしょ」
「実は――」
朝日が昇る頃。葛はサヨが待つ長屋の扉を開けた。
「今、帰った」
その日、彼はサヨに櫛を送った。彼女を守るためのお守りとして、手ずから作った桃の櫛である。サヨはその櫛を受け取ると、嬉しそうに抱き寄せた。
これで準備は整った。彼は彼女の笑顔を見てそう思う。彼はサヨと添い遂げようと心に決めていた。この日、最後の仕事を終えればその願いは果たされる。
「今日は早く帰る」
「はい。お待ちしております」
最後の仕事に向かう彼を、サヨは笑顔で送り出した。葛はふと空を見る。彼の晴れやかな気持ちに反して、空には雲が立ち込めていた。
彼を見送った後、直ぐに雨が降り始めた。雷鳴が轟き風が鳴っている。サヨは彼の身を案じて、何度も空を見た。雨はまだ止みそうにない。
「ごめんください。雨宿りをさせていただけませんか」
サヨが扉を開ける。そこに立っていたのは、笠を深くかぶった坊主であった。
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