第4話

 日が昇り始めた頃、女は朝日を頼りに仕事を初めていた。かまどに火を入れ、たっぷりの水と米を火にかける。すずしろの葉を入れ、ゆっくりと煮込む。

 沙良はその情景を女の視点から眺めていた。また夢を見ている様だ。

 女が椀に粥をよそって味を見ていると、ガラリと外から戸が開かれた。男が部屋に入ってくる。


「今、帰った」


 白髪の見目麗しい青年だが、顔や服は泥や血に塗れている。加えて所々怪我を負っており、なんとも痛々しい有様だった。

 以前の夢とは異なり、男の顔がはっきりと分かる。白百合を思わせる白さや、その目鼻立ちから、沙良は彼が八雲葛であると確信した。


「あぁッ!申し訳ありません。また、私のせいで怪我を」


「お前のせいではないよ。俺の腕が足りないから怪我をする」


 女は椀を置き、急ぎ、八雲の手当をした。


「しかし、私が悪鬼羅刹を呼び寄せているのです。私のせいも同然ではありませんか……!」


 女は拳を握り込んだ。ぐっと唇を噛み、悔しさから涙を浮かべる。


「……サヨ。そう、気に病むな。今日でそれも終わりだから。今日が最後の仕事になる」


 男は女の涙の伝う頬を拭い、握り込んだ手を優しく解いた。そして、手に櫛を握らせた。その櫛は新品の様で、桃の花が彫り込んである。


「これは……?」


「お守りだ。桃の木で出来た櫛は魔除けになる。黄泉比良坂で雷公共を退けた桃。その木から出来ている。暗い闇夜に、もう怯えなくていい」


 女は櫛を胸に抱き寄せ、嬉しそうに微笑む。沙良は自身も胸の内が温かくなるような感覚を覚えた。



 玄関を出た少女はくぁ、とひとつ欠伸をする。まだ日が昇ってそう時間はたっていないはずだというのに、照りつけるような太陽はジリジリとアスファルトを焼いている。

 彼女は木陰を縫うように通学路を進む。通り過ぎる小学生の元気な声を聞きながら、自分はすっかり暑さにまいっていた。

 昨日、件の青年に会った信号に差し掛かる。顔に日をあてないために猫背で歩いていると、背後から声がかかった。


「日高!早いなぁ!!」


 バンッと肩を叩かれる。かなりの強さで叩かれ、沙良は前につんのめった。

 振り返ると、声の主は沙良の予想通り里中だった。何故か彼は彼女の顔を見て、酷く驚いた様な顔をした。沙良は、急に叩かれたことにも、反応にも苛立つ。


「は?何、やめて。そんな親しくないじゃん。てかなんで、あんたが驚いてんの」


「いや、暗い顔してんなぁって思って」


 彼は眼鏡の位置を正し、ヘラッと笑った。

 またその顔にも苛立ちを覚える。沙良は足早に学校へ向かおうとしたが、悲しくも信号は変わらない。はぁと深くため息をついた。


「そう言えば、どうよ。何か変化あったんじゃないか?」


「なにが」


「はぁー。昨日言ったろ。『肩、重くねぇか』って」


 里中は辟易したかの様にため息をつく。やれやれとでも言いたげな口ぶりだが、彼のその言動は沙良の苛立ちを助長するばかりであった。


「冗談でしょ、いい加減ウザい。他所でやれば。てか肩が重いからなに?何か憑いてるとか?おもんな」


 ハッと鼻で笑って捲し立てる。これだけ言えば里中も黙るだろうと彼女は思った。


「いいや。お前はんだ」


 少女の目を見据え、言い聞かせる様に彼は言った。突然、彼の声色に混じった冷たさに、沙良はびくりと表情を強張らさせる。


「信じないならそれでいい。オカルト話なんて眉唾で聞くもんだ。ただ、俺から見ればお前は恐ろしい状態にある。それは確かだ。俺も正直触れたくない。触れたところでどうもできねぇけど」


「は?急に何……?」


「昨日に比べてだいぶお前を強く覆っている。悪いものじゃないと思うが、なにせ強すぎる。神に近い何かがお前に惚れてんだ。気ぃ抜くと連れてかれるぞ」  


「連れてかれるって何」


「あの世行きってこと」


 また、彼はヘラッと笑う。だいぶ前に変わって、既に点滅し始めた信号は赤に変わりそうだった。「気をつけろ」そう言って彼は横断歩道を走り渡った。

 普段ならこんなオカルト話は、くだらないと一蹴する。しかし、彼女の中の様々な感情が嫌が応にも現実感を与えていた。数日続く妙な夢。夢にも現実にも現れる白髪の彼。私は彼を何も知らない。

 恋情の奥にある恐ろしさの、正体を掴んだ気がした。

 信号が青に変わって、人波が動き出す。少女も波に乗って横断歩道を渡る。学校に向かいながら、スマホを取り出し、メッセージを打ち込む。八雲葛、彼の名が表情された画面を叩く様に打つ。傘を返す。貴方は誰。貴方のことが――

 支離滅裂に湧き上がる疑問を打ち込む。もはや文章とは言い難い感情の吐露。

 送信してから読み返し、自分ながら酷いと後悔した。もう少し礼節を弁えたものに差し替えようとメッセージを消去しようとしたが、時既に遅し。彼から返信があった。


『また、会って話しましょう。あのファミレスで待っています。』



 放課後、沙良はどっとくたびれて校門を出た。学校に着くや否や美歩と真利亜、その他女子に囲まれて質問攻めにあった。いままで色恋ざたに興味を示さなかった沙良が色恋について語るのが珍しいのか、皆、色めきたって目を輝かせている。

 美歩や真利亜に、今日会うことを相談しようかとも思ったが、付いてこられそうなので彼女はそれを止めた。そもそも彼女達は銘々に好きなことを喋るばかりで、相談に向いているとは思えなかった。

 昼食の時間に、里中に会いに行き、「思い当たる節がある」と相談を持ち掛けたが、彼は首を振り「俺にどうこう出来るものじゃない。お前が気を付けるしかない」と言った。自分にあれだけ意味深な事を言っておいて、自分ではどうにも出来ないと言う彼に苛立ちを覚えた。

 彼女は、会って本人に問いただすしかないと思った。彼が誰なのか。あの夢は何なのか。あの男なら答えを知っている気がするのだ。

 傘を取りに一度帰宅し、急ぎファミレスに向かう。ファミレスの前を通り、窓から中を覗いた。すると、既に着いていた男がひらりと手を振る。


「こんにちは」


 男はこちらを見てにこやかに挨拶をする。沙良は会釈をし、席に着いた。


「すみません。傘を借りたままで」


 沙良は彼に傘を返した。男は「気にしなくて良かったのに」と言って受け取る。

 彼女はドリンクバーとケーキを注文した。


「今朝のこと、君の言う通りだ。私は気持ちが早っていたね。何分、君と会うのは初めてだから」


 男は申し訳なさそうに謝罪した。沙良は「私こそ、意味が分からないことを言ってすみません」と頭を下げる。彼が意を決したようにコーヒーに口をつけ、一息で飲み干した。彼女も到着したケーキにフォークを入れる。沙良がケーキを頬張ると、男は口を開いた。


「では、私の事を語ろうか。長くなってしまうが――」

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