第3話

 傘を差しだしていたのは、今朝会った白髪の青年だった。


「傘を忘れたんですか」


「えぇ、まぁ」


 少女は目を丸くし、傘も受け取らずに立ち尽くした。青年が差す傘を打つ音がうるさい。


「風邪をひきますよ。サヨ」


「え……?どうして名前を……」


 男は「しまった」という顔をして、分かりやすく顔を反らした。眉を顰めて口元に手を当てる。考え込むような仕草で黙り込み、少女を見た。

 彼の視線を浴びながら、沙良はぐるぐると巡る感情に整理をつけることが出来ずにいた。本来、見ず知らずの男が傘を持って待っているなんてことは恐怖でしかないはずだ。まして名前を知られているという状況。犯罪の臭いしかしない。それを思考の内では理解していても、不快だとは思わなかった。

 それどころか、嬉しさに涙が零れそうになっている。自分の内からあふれ出す知らない感情が胸を焦がしている。

 彼女は、一目惚れとはこういうものかと考えた。青年を見る。光を透通すような白髪。人間離れした顔立ちはどの芸能人にも形容出来ない。まさに眉目秀麗という容貌で、彼の白さは百合の美しさを思わせた。


「……ああ、その。言い辛いのですけれど、私はその、お婆様と懇意にさせていただいてて……あのぉ、ええ!そう、私も園芸が趣味でしてそこから……」


 青年は早口でまくし立てた。目は泳ぎ、しどろもどろ。見るからに嘘だ。


「お婆様が良く話されていたんですよ……!ですからあなたのことも知っていて、それで今朝も……あぁ、それで」


「なんでもいいです。話ならファミレスでも行きませんか。寒い」



 二人は沿道にあるファミレスに入った。ドリンクバーとパフェを頼み、沙良は青年からタオルを借りて体を拭く。


「で、さっきの話なんですけど嘘ですよね。貴方お婆ちゃんの葬式にも居なかったですし、お婆ちゃんと懇意だったって言うんなら、お父さんも知ってるはずですから」


 歩いて体が冷えたのか、彼女は冷静になっていた。身を焦がすような感情を押しとどめて、男の素性を探る。


「昨日、お墓に居ましたよね。私の事みてましたよね?」


 青年は懐かしむ様な視線をこちらに向け、困ったように口を噤んだ。二人の間の沈黙を割るように、パフェが運ばれてくる。沈黙に耐えかねた沙良はクリームを頬張った。


「……お婆様と懇意だったのは本当です。何十年と前の話ですが。亡くなられたと知り、昨日はお墓参りに行きました。あの町に帰ったのも数十年ぶりです」


 少女は数十年という言葉に違和感を感じ、眉を跳ね上げる。男は彼女をじっと見ると、更に続けた。


「てっきり、思い出してくれたのかと思った。君はもう、私を待ってくれてはいないのかな」


 彼の慈しむような優しい口調に、少女は産毛まで逆立つような高揚を覚えた。沸き上がった血が鼓動を早め、意識を混濁させる。しかし、彼女の手はテーブルの上で組まれた彼の手をしっかりと握った。


「―――――――――」


 ギュッと握り返された手の感触に、意識がはっきりとする。沙良は今、自分が何かこの男に口走ったような気がした。酷く顔が熱い。この真っ赤になっているであろう顔をこの男の前に晒していることが、この世で最も恥ずかしいことに感じられた。こちらに向けられる微笑みを直視することが出来ない。


「あの、ど、どうして手を……!?」


「……待ってくれているのなら、私も待つよ。もう準備は整っているから」


 硬直した少女をよそに、男は何かメモを残して席を立った。沙良は唖然としたままそれを見送り、彼が傘を置いていったことも、伝票を持って行ったことにも反応出来なかった。

 はた、と気づいて追おうと外を見ても、既にその姿はない。幸いにも雨脚は弱まり、雲間からは赤色が射しこんでいた。


 少女はメモを片手に家路を歩いていた。書かれていたのは男の名前と連絡先。傘を借りてしまったため、一度は連絡を取らなくてはならない。そうは考えつつも、沙良はもう一度男に会うことが恐ろしかった。今、自身の身を焼くこの感情が「恋情」であることは、嫌が応にも分かってしまう。彼女とて恋をしたことがない訳ではない。

 だが、「一目惚れ」とは言い難い。彼の顔なんてまともに見れなかった。

 ただ彼女の耳には男の声がこびりついていて、手には未だに包まれているかの様に生々しい痺れが残っていた。ここまで彼が自分に焼き付いてしまった理由を明らかにして、恋情を確かなものにしてしまいたいと思う。しかし、そうする事に対して直観的に恐怖を感じていた。

 彼女はどこか、この恋情が自分のものでは無いかの様に感じていた。


八雲葛やくもつづら……」


 メモに書かれた彼の名をつぶやく。ふと、彼の白い前髪に薄く隠れた瞳が思い出された。そのまなざしを思い出すだけで、耳がじくじくと熱くなった。

 メモをポケットに仕舞う。いつのまにかたどり着いていた我が家に、赤くなった顔を隠しながら入った。


『ふーん。沙良ちゃんが一目惚れかぁ。相当イケメンなんだろうねぇ』


「……うーん。わかんない」


『いや、わかんないって……沙良ちゃんが言ったんだよぉ?』


 美歩は恋多き女だ。クラス中の恋愛事情を把握し、自身も恋を追いかけることに全力な女である。彼女ならこの感情にうまく整理をつけてくれるような気がして、相談を持ち掛けた。


「顔はあんまり見てない。……でも、声はすごい覚えてる」


『あぁ~?イケボってことねぇ。積極的で、イケメンで、イケボなら確かに好きになっちゃうかも?』


「聞き覚えがある気がするんだよね、あの声」


『きゃあああ!!!!』


 急に叫んだ美歩に驚いて、思わずスマホを取り落とした。その拍子に机の上の本の山を崩してまう。電話先の美歩は「それって!それって!」と興奮している。


『引っ越した幼馴染とか、昔会った憧れのお兄さんとかってことじゃない!?

 前世の記憶かも……うふふふふ』


「ああ、最近のドラマのヤツね……」


 彼女は興奮したまま、ドラマの感想を語り始めた。沙良は相槌を適当に打ちながら、崩れた山を片付ける。昨晩父から受け取った小箱も床に転がり落ちてしまっていた。箱が壊れてしまった様に見えて慌てて広い上げる。見ると仕掛けが動いて棒が飛び出しているだけの様で、胸を撫で下ろす。


「あ……?」


 飛び出した棒を引き抜き、空いた隙間を側面を動かせないかと触る。すると隙間を埋めるように側面がへこみ、上面が滑るようになった。滑らせた上面には、棒を差し込めるような穴が空いていた。棒を差し込み左に回すと、箱が二つに分かれた。

 中から何かが落ちる。見るとの様だ。かなり使い込まれた古いものの様で、桃の花が彫り込まれている。


『沙良ちゃーん?寝ちゃったぁ?』


「うん……」


 美歩は生返事の沙良を怪訝に思った。夜もすっかり更けていたので、美歩は沙良が眠たいのだろうと思い、電話を切り上げることにした。


『今日は寝よっか、もう私も眠いしね。明日詳しく聞かせて?真利亜ちゃんにも相談したらいいよ。お休みぃ』


「うん……おやすみ」


 電話を切り、スマホをベッドに放る。櫛を箱に仕舞い、男から受け取ったメモを取り出した。

 傘を返すために男にメッセージを送ろうかと考えたが、文面を考えることが出来ずに時間が過ぎる。明日、真利亜や美歩に相談してからでも遅くないと考え、今日は寝ることにした。

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