5話 ある少女の黒歴史

「もし、異世界転生したとしたら、チート能力やチートアイテムをひとつ、神さまから何を貰いたい?」

 

 日野啓子ひのけいこ仁科千景にしなちひろに投げかけたお題であった。


 それによって、千景は少しだが、ラノベの中でもその手のものに触れるきっかけとなった。


 千景は、もう二年ほど、アニメやゲームから遠ざかっていたが、

スマホで調べたり、ちょっと、amoプラで観たりもした。

 

 時折り耳にすることがあった剣と魔法の世界、ファンタジーゲーム的な世界。

 千景は、それら世界に初めて触れてみて呟いた。

「神さまにひとつだけ貰えるものか……。せやなあ、わたしやったら……」


『異世界転生したら、カッコイイ大っきな胸やった!』というのも捨てがたいが、やはり、欲しいのは、

ホレ薬一択しかないなと思った。


「どんな男子でもたちどころにコロっといってしまうような、強力なやつ!」

 

 そんなのが本当に有れば良いのにと、常々思っており、

そう思うようになったきっかけが、

黒歴史というやつで、忘れようにも忘れられなかったのだった。


 ──千景の黒歴史。それは、千景が小学五年の冬のことだ。


 ある晩、千景は、ヘンテコでありつつもどこかリアルな夢を見た。 

 

 夢の中に神さまらしき存在が現れ、

何事にも殊勝な心がけで取り組むといった、常日頃の行いを褒め、

贈りものを授けようという内容だった。


 夢の中に現れた存在が「ハイアグアのアヌ」と名乗った事まで記憶していた。


 身近な大人より、かなり長身でトカゲのような顔をしていた。

 千景は神さまだと思った。

 友好的なのだが、ちょっと怖い。

 しかし、よく見ると、どうもトカゲのような顔は本当の顔ではなく、

マスクのようなものであり、ちらりと本当の顔が見えた。


 その正体は、どうも同じマンションに住む多邑凛一たむらりんいちの母親らしい。


 千景は、父親との二人暮らしというのもあってか、

凛一の母親がたまに家事をしに来たり、

なにかと世話になっており、よく可愛がってもらっていた。


『何でも欲しいものがあったら言ってごらん。アベノに、ナンバやウメダに出かけても売ってないようなものでも、お金で買えないものでもよきよき』

 

『それなら、わたし素敵なおじさまのブラピが良い! 将来、ブラピのお嫁さんになりたい!』

 

『ほほう、なら妖精がいたずらに使う媚薬を授けましょう。

自分の鼻毛とその薬を一緒に、

意中の相手に飲ませれば、

夢がギンギンに叶うでしょう』

 

『──は、鼻毛って!?』


 翌朝、千景は目を覚ますと、枕元にはその薬が置かれていた。

 それは、リボンのギフト用シールが付いた、

小さな箱に入った錠剤で、既に開封されており、残りがもうあと一錠しかなかった。    


 確かに箱には「ハイアグア」と表記されていたのも覚えていた。


 だが、夢の中では、確か「子ども用」って表記されていたのを見た気がしたが、それにはなかった。


 当時、夢の中の物というのは、頑張れば現実に持ってこれるのだと、千景はびっくりしながらも思ったものだった。


 

 しかしながら、ブラピにその妖精の媚薬を飲ませるなど、ほとんど不可能だと小学五年ながらも、千景は直ぐ気が付いた。 

 

 海外の映画スターで、途方もなく雲の上の存在なんかには……と。

 ああ、せっかくホレ薬を手に入れたのに、使われへんとかもどかしい――。


「ああ、せっかく小遣い貯めたのに、欲しいガルプラ買えずにもどかしい」と嘆き、呟く声が、おりしも聞こえた。 

 凛一だった。


 当時、千景は、ブラピとはさすがにほど遠いが、身近な男子の中では、凛一に好意を持っていた。

 同い年ながら、お兄さんのように優しいと思っていた。


 一人っ子の千景は、

凛一が実は双子の兄で、

自分のお兄さんだったらいいのにと思ったりもしていたが、

自分は蟹座であるのに対し、凛一は山羊座であったので、

例えキョウダイだったとしても、姉弟としかならなかった。

 

 バレンタインが近かったこともあり、これ幸いとばかりに、手作りチョコを作って、その中に神さまからの贈り物のホレ薬、妖精の媚薬を混ぜようと考えた。

 

 でも、残り一錠しかない。


「子ども用」の表記がないということは、大人用だろうか。

 それに〝絶対〟というものはない。

 いつかは、ブラピにだって飲ませる機会だってあるかもしれない。


 ブラピの分もとっておこう思いつつ、大人用のようだし、半分にしても良いなと思い立った千景は、包丁でそのひし形をしたその錠剤を半分に割ってみた。 

 

 ところが、そのいとま、千景は心の中で叫んだ。──やらかしてもーた!

 硬くて、思ったようには割れず、

片方は割った瞬間すっ飛んでしまい、

キッキンの排水口にインしてしまった。

 

 残った方は、もう四分の一くらいになってしまったカケラだった……。

 泣きそうになりながらも、千景は、それを慎重にすり潰して粉にし、一旦溶かしたチョコレートによく混ぜた。

 

 そして、千景は重要な事に思い当たるのだ。

 ──あ、あと、わたしの鼻毛も入れやな、効果ないんやった……。


 さすがに、年頃に入ってきた小学五年の女子には、鼻毛なんて、いくらなんでもと抵抗を感じた。


 せめてまつ毛にしておくべきか。

 まつ毛も自分の一部と言えなくもなく、幾らかはマシだろうとも思った。

 しかし、夢に現れた神、ハイアグアのアヌは「鼻毛」と言ったのである。

 何事にも殊勝な心がけて取り組む、千景は言われたことはキチンと守る、いわゆるよい子だった。



 バレンタインから数日後、

千景は、目いっぱいお洒落をして、自宅マンションの側でスケボーで遊んでいた凛一を呼び止めた。 

 もう、あげたチョコは食べたはずだろう。

 ホレ薬の効果で、自分のことを大好きとなっていることだろう、と。

 

 千景は、意気揚々に、いきなり凛一とカップルのように腕を組んで、思った。

 ――ギュっと抱きしめたりしても、もはや凛一くんはわたしを受け入れ、逆に抱きしめ返してくれるやろってドキドキや。

 更にキスしたら、凛一くんの方からも積極的にしてきてくれるんやろうな。


 しかし、千景はキスしようと、凛一に顔を近づけようとした瞬間、凛一に突き飛ばされてしまった。 

 千景は尻もちをついて、泣きそうになった。


「な、何をするか! このデコッパチ」と耳まで赤くした凛一は、吐き捨てるや、直ぐその場からスケボーに乗って去って行った。


 前髪ぱっつんのワンサイドアップのロングヘアから、ポンパドゥール夫人風のロングに思い切ってイメチェンした千景は、すっかり落胆して呟いた。


「――デコッパチって……わたしおでこ出してるん、そんなに変なん? ヘアスタイルも大人っぽくしたのに……」

 

 結果、千景にとっては、ホレ薬は何の効果も無いどころか、

逆に凛一は、自分のことが好きでもなんでもなかった……という事が判っただけであった。

 

 千景はようやく冷静になって思った。

 ──いや、ちょっと待って…………ということは……。

 例えるなら、──林間学校に行ったおり、

深夜にコッソリと眠ってる凛一くんにキスをしようとしたら、

実は凛一くんは眠ってなくて、

キスしようとしたんがバレて……、

「なにをするか! このデコッパチ」って拒否られたようなもんやんか……!


 ──まるで、裸の王様になったような気分や! うわあああん! めっちゃ恥ずかしくて死にたい……。

 バカには見えないという服を得意げに着て、城下町をパレードした王様である。



 ……その後、凛一は学校でみんなに言いふらしてるのではなかろうか? 

 と千景は、暫くは不安の中で過ごしたが、幸い特に何もなくて、ホっとするのだった。

 

 千景は色々、思いをめぐらせていた。

 ――もし、チョコレートに混入したんが、ケチって半分に割ろうとせず、そのままの完全体やったとしたら、コロっと効いとったかも?


 夢の中で、あのホレ薬、妖精の媚薬もっかい手に入れて、現実に持ってこられへんやろか? 

 ……と、ホレ薬に強い未練を残していた。

 しかし、残念ながら、もうそんなこともなく、子どもらしい夢から覚め始めた。


 ちょっと不思議なこともあったものだくらいにしか思ってなかったが、いや、幾らなんでも夢の中の物を持ってこれるとか、そんなわけないだろうと、あの時の自分は、寝ぼけでもしたのだと次第に思うようになった。 

 でも、あの薬の正体は千景にとっては、いまだに謎だった。


 千景に、強い未練を残すこのになったもの。 

 ──妖精の媚薬、ホレ薬か……。 

 もし完全体やったとしたら、凛一くん、わたしの事、大好きになってたんかも!? 

 などと時折り思い、しばしばお花畑の異次元世界にチャネリングしていた。


 ──ええ! そんなん困るうう! わわわたしも凛一くんのこと大好きやで。

 もうダーリンて呼ぶから、わたしのことハニーって呼んでな。 

 ラブラブ、チュッチュッ。ポワーン、ホワワーン、フッワフワ! キラリーン。



 ──あれから月日は流れ、現在……。

 千景は、小学八年となっていた。


 小学八年となった千景のホレ薬に対する未練は、今なお……。


 ああ、ホレ薬か……。 

 やっぱし、ええかも。

あの憎ってらしい凛一めが、

わたしの事、大好きになるとか面白いやん。

 気分ええわ。完全にわたしの意のままの下僕になるんや。うしし。


 千景は、自分に言い聞かせるように思った。

 せやけど、凛一に対する、淡い想いなんて、そんなんとっくに砕け散ったわ。


 もう、とっくに、昔話――。

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