プロローグ 我は校内ゴブリンA その2

 体育館で演劇部の練習──ひとしきり仁科の演技に見入って、不審に思われんうちに、さっさと我は帰宅した。


 *


 ククク……仁科よ。たぎるな。

 今日見た仁科のデータの鮮度が高いうちに、いざ、我が〈卍・シークレットファイル〉にて、地獄へ堕としてやらん。

 ――ところが、そのノートが見当たらなかった。


 どうしたことか? と暫し考えてみた。

 そういえば本日、ノートを学校へと持って行ってたのだった。


 普段は学校になど持って行きはしない、そのノート。

 授業が苦痛だったゆえ、もしかしたらノートを埋めてゆく隙があるのではと考えてのことだった。


 しかし、我の教室の席の位置的にもそれは難しかった。

 どうも見つかりそうな気がして、落ち着いてノートを広げるのすらためらわれるという有り様。

 結局、机の中へと仕舞い込み、そのままになってしまっていた。

 我は、うっかりノートを持って帰ることを忘れてしまっていたとは……。

 今も、ノートは学校の机の中か。

 ……残念ながら、今宵は仁科を弄ぶことはできぬ。明日、取り掛かるとするか。


 ふと気が付くと、我のスマホが鳴っていた。オカンからだった。

 オカンはここんところ仕事が忙しいようで、とうに寝た後になってからようやく帰宅したり、

帰って来ない日も珍しくなかった。

 もはや慣れしまっていたが。


 まったく気が進まぬことを言い付けられてしまった。

 

 そういえば、今日の午後、地震があった。

 家のライフラインには問題なかったが、そのせいで断水してしまってる世帯もあったようだ。

 家にあるミネラルウォーターのダンボール、二リットル九本入りのを運ばねばならなかった。

 一箱運ぶだけ。大した距離でもなし。

 ただ、いちいち顔を突き合わすのが、億劫なだけだ。


 配達先の家の前まで運びつつ考えた。

 荷物を置いてピンポンダッシュで戻れば、まあ面倒なこともあるまい。


 ところが、配達先に着くと、ダンボールを降ろしたと同時にその家の玄関のドアが開いた。

 ダッシュで去るしかない! と思った瞬間、声が掛かった。


「水、持って来てくれたんや。ありがとう。助かるわ。でもそんな所に置かんと家の中まで運んでくれへんかな」

 顔を合わせてないが、

間違いなく仁科の声だった。


 無視して去ろうとすると「ちょ、待ってよ」と腕を掴まれた。

「あんたの所、B棟は断水してないんやろ。お風呂貸してよ。一日でも入らんかったら死んでしまうわ」


 仁科もまた、我と同じマンションに住んでいたのだった。隣接するA棟に。


 リセットして、もう一度セーブポイントからやり直したくなった。もう一度、二リットルを九本運ぶことなど大したことじゃなし。


「トイレかって使われへんし、寝るまであんたの家に行っとってええやろ? もう昔みたいに家の前でキモい虫飼育してたりしてへんやんな?」

 今夜は、我の家に魔王が君臨し、こき使われることになるのだろうか……。

「わたしにこき使われると思ってるやろ。その通りやで。うふふ」

 やはりな。顔を合わせてないのでどんな表情してるのかわからんが、さぞ悪魔的な笑みを浮かべてることだろう。


「背中流してもらおかな」

 ──ま、マジか! ……いや、何か企んでるか冗談だろう。どうせな。


 *


 翌日。

 もう少し寝ていたかったが、そうも言ってられぬ。

 何人なんぴとにも見られてはならぬブツが学校の机の中に入れっ放しになっているのだ!


 いつもより早めに起き、ベランダのプランターに植えたウマノスズクサの様子を見た後、早めに登校した。


 昨日の夜の仁科の横暴さは散々だったので、心が疲れているようだった。



 われが教室に入ると、まだ誰も来ていなかった。

 

 即、机の中を確認すると──。

 ──な、無い⁉︎ 〈卍・シークレットファイル〉が! マジかあああああ!


 我は、へなへなとからだ中の力が抜けてしまい、我の席に座ったまま、机に突っ伏した。


 昨日の放課後、掃除をしていた者が、ちょいと我の机を動かした際、机の中のそのノートが落ちてしまい、発見されてしまったか……。

 あるいは昨日の午後にあった地震の弾みとも考えられるな……。

 

 何にせよ、もう既に、何者かにノートが手に渡り目を通しているだろうという現実……。

 か、考えたくない! ひいいい!


 ――壮絶な自爆だった。我の脳内どエロゾーンをシェアされてるかもなど!


 そんな事をぐるぐる考えていると、やがて話し声が聞こえてきた。

 話していた者らは、この教室へと入って来る。


 机に突っ伏したままの我には気が付いて無い様子。もとより、陰キャな校内透明人間だ。

「仁科さん、やるなあ」

「まさか自作自演とも知らず、凛一くん、ええきみや。気分ええわ」

「せやけど、あんな男子のリコーダーの頭管部の交換なんてして、平気なん? 気持ち悪くないん?」

「きれいに洗浄すれは問題ないやん」


 ガタっと大きな音を立て、我は半ば衝動的に立ち上がっていた。

「に、に、に仁科め! お、お、おのれ、謀ったなあああ!」


 仁科ともう一人の女子は、まさか我が教室に居たとは想定してなかったらしい。しまったという顔をした。


 それでも、気を取り直した仁科はのうのうと言った。

勝ち気で見下したように。

「わたしと間接キス出来るなんか。むしろご褒美やんか。光栄に思いや」

 更に、隣に居た女子に聞こえないよう、我の耳元でそっと言った。

「昨日の夜、ラッキースケベとかご褒美盛りだくさんやったやんか」


「うっ、うぬぬ……。だ、だ、だ誰がキサマなどで喜んだりするものか! うぉ、うぉのれえええ! このウラミ……メラメラ…………」

 キサマのリコーダーの頭管部など、我が尻の穴に突っ込んで汚し、新しいものを買ってくれるわ! と言ってやりたかった。

 しかしだ。

 猛烈にあったまにきたが、そんな事にかまけてる場合ではないのだ! 

 我のノートの所在はいずこに?……。


 その日は、所在不明となったノートの手掛かりは掴めぬまま。帰宅した。



 ど、どどうすれば良いのか。

 しかーし、ノープロブレム!

 簡単な事だ。

 明日より、自宅警備員の初日とすればよいではないか。かえってようやく踏ん切りがついたというものよ。


 だが……。

 オカンに何て言い訳すべきか、など明日からの事を考えながら布団に入った。


 いじめを苦に不登校なら、まだオカンもなんとか納得しようものだが。

 ――我の場合……何を苦に不登校と言えば良いのか? 


〈卍・シークレットファイル〉をクラス連中に見られたのが苦とは、まさか言えなかろう……。

 そのノートの中身は何なのか、と執拗に追及されるのだけだ……。


 ──も、もしや詰んでしまった? 


 我は完璧に居場所を失ってしまったのか……。


 一旦登校し、あえていじめに遭い、免罪符を得る必要がある? 

 いやいや、そんなのムリムリムリだ! 難易度が高過ぎる……。


 今度は、妖怪フエナメどころでは……済みそうにないぞ……。

 あのような我の全てのエロ知識を総動員した変態ノート。

 どんな言葉が飛んできて浴びせられるか……。ああ……。

 眠れそうになかった。


 その明け方、強い揺れを感じて飛び起きた。

 ほんの少しだが、ようやく寝付けたと思ったが。

 ――週一くらいに頻度を増した地震だが、立て続けではないか!


 度々起こる地震にすっかり慣れっこになっていると自分でも思っていたが、ぶざまに激しく動揺したらしい。

 何故かまず、とうにサービスが終了してるサンテンドーDSを起動させていた……。

 揺れが止むと、ようやく眠気がきたせいもあり、気にせずまた眠りにつくことにした。


 手入れをしていた、ベランダのウマノスズクサ。

 幾ら待てど、ジャコウアゲハどころか、ホソオチョウすら産卵にやって来る様子はなかったな。

 かつては、付近の河川敷にウマノスズクサが群生していたものだが、二年ほど前に完全に舗装されてしまった。

 もはや、この辺りのジャコウアゲハは、生息域をナラ県の山の方へと追いやられてしまったのだろう。

 

 *


 朝、いつもと違い、オカンに起こされずに目覚め、しまったと思い、飛び起きた。……もう昼かも。


 うん? な、なんだここは?…………。


 視界に入るもの、全てがヘンだった。


 そも我は……ベッドで寝てなかったし、我の部屋とも違う……。 

 どういうことか? 

 ──とにかく、学校行かねば……。


 ど、どうやって?


 かつて知ったる日乗とまるでかけ離れた風景、

世界がどこまでも広がっていた。


 えっと、何があったのだ、昨日? と思い出そうともした。でも、そんなことより、やたらと喉が渇いてどうしょうもない。


 ──水ううう!


 幸い直ぐ目の届くところに、立形水飲水詮たちがたみずのみすいせんがあり、水が溢れ出ていた。

 誰でも見たことあるはずの、あの馴染みのあるもの。

 上に向かって水が出るよう蛇口が付いてる、公園で見かけるような、水飲み場的なアレから。


 頭もぼんやりしており、からだが重く、思うよう動かん。どうも、かなり爆睡していたようだ。

 よろけそうになりながらもなんとか立ち上がった。


 立形水飲水詮もなにかヘンだ。

 このようなのは見たことがない。全体がすべて真っ黒で、幾何学的な立方体をしている。

 スマホのような精密機器のように見えなくもない。最新型だろうか? 最新型というより前衛的だが。


 タッチして水量を調節し、我ながらどれ程飲み続けるのか? と呆れるくらい長く喉を鳴らしていた。

 ……それにしても、なにゆえ我は、こんな最新型の操作方法が解るのか、と幾らかは不思議に思いつつ。


 ふと、我の向かい側にも、もうひとつ蛇口があり、そっちでも同じように水を飲んでる女子が居ることに気付いた。

 ……なんだ、仁科か。


 目を覚ましたばかりだというのに、渇きを潤すと、とたんに眠気が襲ってきた。


 まったく、あらがえそうにないほどの睡魔。

 ここがどこだろうが、もう構わずといった勢いで、また眠りに転げ落ちて行った。




 それが最初の一日目。……だったはず。

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