涙の味 ―1

「もう、廊下で待ってたんならそう言ってくれればいいのに。聞き耳立ててるなんてひどいよ!」

「ごめんね、レイちゃん……だって、ルクス君が二人だけにしとけ、ってうるさくて」

「おいおい、俺のせいかよ。結果的に丸く収まったんだからいいじゃないか」


 食堂へと続く廊下はやはり多くの生徒が行き交っていた。元々広く設計されてるとはいえ、昼時ともなれば引き返すのが困難なほど人の密度が高く、流れも速い。当然それだけの人数がその場にいるということはそれだけ周囲が騒然とするのも頷ける。互いの声がやや聞き取りづらい中でも、なんとかレイたちは言葉を交わしていた。


「それとこれとは話が別でしょ? お見舞いにも来てくれないなんて」

「私は行きたかったのに、ルクス君が……」

「あーもう、分かったよ。俺が悪かったって。だからみんなして睨むのはやめてくれよ」


 ルクスの肩身が狭いのも、今のこのような状況であることと、男女比がさらに偏ったことが重なれば必然であろう。自ずとルクスの今後が危ぶまれた。


「……私、やっぱり戻る」


 激流とまで言える人の流れの中で、それにあえて逆らおうとする意思を示したのはリリィだった。


「どうして!? 久しぶりに一緒にお昼食べようって約束したのに」

「そんな約束、した覚えないけど……それに、どう考えてもおかしいでしょ? ついさっきまで険悪な仲だったのに、いきなり一緒に食事だなんて。ていうか大体、あんたも退室許可が降りてすぐに何か食べたいって相当おかしいわよ」

「一週間も何も食べなかったら私じゃなくたってお腹も空くよ。それって当然でしょ?」


 狭いスペースながらもレイは胸を張ってそう答えてみせた。リリィの言い分も分からなくはなかったが、医務室を出て早々にレイを急かした腹の音を無下に扱うことはできなかった。気付けばティアとルクスが廊下で待機していたことなど後回しにし、リリィの手を引いてそのまま食堂へ向かっていた。


「でも、やっぱり帰る」


 そう言って人の波に消えていこうとしたリリィの手はその時からずっとレイが握ったままだった。


「ダメだってば! 一緒にお昼食べるのは約束だったでしょ?」

「だから、そんな約束した覚えないってば。あんたが勝手に決めてここまで引っ張ってきたんでしょ。そんなにお腹空いてるなら、三人で行ってくればいいじゃない……私が一緒にいても気まずくなるだけだから」


 いくら仲直りしたと言っても、突然次の瞬間から以前のような関係に戻れるわけでもない。さらに、ティアやルクスがいる中でどちらかと言えば部外者の立場で平然としていられるほどリリィの肝は座っていなかった。レイと一緒にいられることが嫌なわけではないにしても、リリィは日を改めようとしていた。


「まあ、俺らは別にいいよな?」

「うん。どうせ四人席に座るだろうし。それにみんなで食べた方がきっとご飯も美味しくなるよ」


 リリィの言葉を聞いてティアとルクスが顔を見合わせたが、二人の意見は確認するまでもなく一致していた。


「ほら、二人もこう言ってるわけだし、私は全然問題ないし。ね、行こうよ」

「でも……」


 ここまでしてもリリィの気持ちは乗り気にはならない。今でさえ後ろめたさを抱えているというのに、これ以上気まずくなる空気の中でどうしろというのか。一方で、あの後すぐに何食わぬ顔をして一緒にお昼を食べようなどと誘えるレイの心境を覗いてみたい気もしていた。


 ここまで来ても渋っているリリィを見かねたレイがわざとらしく声を張り上げた。


「あーあ、リィちゃんは私と一緒にお昼も食べてくれないんだ。楽しみにしてたのになぁ」

「な、何よ。いきなり」

「リィちゃんはまたそうやって私のこと傷付けるんだ。私のこんな些細なお願いも聞いてくれないなんて、がっかりだよ」


 言い終わってレイがリリィの方に視線をやると、リリィは目を瞑って口を真一文字に結んでいた。その表情は怒っているのか、悲しんでいるのか、はたまた呆れているのか見当もつかない。しかし、ここから急に笑顔に切り替えて快諾してくれそうにない雰囲気だけは明白に感じ取れた。


「リ、リィちゃん?」


 自分から一芝居を打っておいて、当の本人ですら不安になる程リリィは沈黙を貫いていた。こうすればリリィも渋々首を縦に振らざるを得ないと予想していたが、想定外の反応にレイも戸惑意を隠せない。


 リリィが黙っている間にも他の生徒たちは食堂へと流れていく。廊下の途中で立ち止まったレイたちを避けていく生徒らの視線は冷ややかな物であったが、そんなことを気にしていられないほど三人はリリィに釘付けになっていた。


「…………行く」

「え?」


 雑踏に紛れてリリィの小さな声が僅かに聞こえた。あまりの小ささに思わずレイは耳を傾けて聞き返す。


「一緒に行くって言ってんのよ! ああもう、これで満足でしょ!」


 周囲の騒音をかき消すようほどの大声で捲し立てると、唖然としているレイの手を振り解いてリリィは先に食堂へと続く廊下を足早に進んでいった。一拍置いて我に帰った三人は去って行ったリリィを追いかけて人混みをかき分ける。


そのすぐ後で、レイが呼び止めた声にリリィが足を止めたことは言うまでもない。

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