衝突と到達 ―3


「厳粛ならざる蛮勇の骸は奥底へと秘された。巌窟の秘法に依て豪傑の独歩を辿れ————切岸せつがん!」


 圧縮した魔力を全て右足に集中させると、リリィは思いっきり足元のタイルを踏み抜いた。地中で展開された魔法陣から溢れ出す魔力が大地を覆す強大なエネルギーとしてリリィの周囲を覆うように拡散し始める。


 一方で、リリィのすぐ近くまで迫っていたレイもその異質な雰囲気に足を止めた。詠唱の声がわずかに聞こえたことから、リリィが何らかの魔法を解き放ったことは間違いなかった。だからこそ、ある程度の被弾も覚悟で接近していたはずだったが、一向に魔法が飛んでくる気配は無く、代わりに地面が小刻みに揺れていた。


 次の瞬間、目にも止まらぬ速さで槍のように隆起した地面が床のタイルごとレイの腿を掠めた。


「くっ!」


 瞬間的な出来事に脳の処理が追いつかないレイだったが、痛覚が知らせた危険信号にいち早くその場を飛び退いた。しかしまるでレイが立っている場所を察知しているかのように次々と槍がタイルを貫き迫る。


 飛び退いて避けると言っても、レイは身体能力を劇的に向上させるような魔法を使えるわけではない。凄まじい速度で距離を詰めてくる攻撃に対していつまでも避けきることはできず、次第に被弾の数が増えていった。左腿、右腿、右腹部、右手、右肘、右肩と徐々にレイが右腕に付けている保護カプセルを作動させるための腕章に近づいているようだった。


 保護カプセルが作動してしまえばいくら無傷であったとしてもその時点で敗北が確定してしまう。勝つために手っ取り早い手段であることは間違いなかったが、それはレイが一番恐れていたものだった。保護カプセルの誤動作を恐れて防戦に回ってしまえば、レイが勝てる可能性がぐんと低くなってしまう。


 試合の前、リリィがこのような手段に打って出るとは露も想像していなかった。しかし先ほどのリリィとのやり取りでそうも言っていられない状況であることを思い知らされた。これ以上レイを傷付けることなく降参させる以外に試合を終わらせるためには、保護カプセルを作動させるほか無い。見方を変えれば実に理にかなった戦法だとも取れる。


 これと言った反撃の手段を持たないレイは次第にリリィの魔法に追い詰められていった。リリィからの距離もだいぶ離れたというのに一向に勢いが衰えないリリィの魔法は、視界が失われた黒煙の中でも的確にレイの逃げ道を塞いでは必殺の一撃を狙っている。


 対するレイは、ある程度の被弾を覚悟してわざと身体の別の場所に攻撃を当てるなどして辛くも逃げ果せていた。しかし槍の残骸が覆い尽くしたフィールド上には既に逃れる場所など限られており、致命的なダメージを負うのも時間の問題だった。


 攻撃を避けるのに無我夢中で方向感覚など既に失われてしまっていた。必死に状況を打開する策を考えたところで、リリィの居場所が分からないのであれば何の意味もなさないだろう。せめて自身の位置でも把握できればマシだったが、その方法をレイが持っているはずもなく、防御のために振り撒いた煙がいつの間にかレイの足枷となっていた。


「これ以上逃げれる場所がないなら……一か八か試してみる価値はありそう!」


 逃げ惑う最中、必死に思考した小細工のために魔力を貯め始める。成功するかどうかなど今この場で考えることもなかったが、そのわずかな可能性を信じてレイはもう一度リリィがいるであろう方向へと地面を蹴り出した。


 一方で、魔法が無事に解き放たれたことを確認したリリィも次の行動に移っていた。もう一度この煙を吸い出そうとも考えたが、リリィのように魔力の感知ができないレイを相手取るならば、目眩しが効いている今の状況の方が都合が良いことに今さらながら気が付いた。簡単なことを思いつけなかった自分の不甲斐なさを悔いながらも、それならば、と次の魔法に備えて魔力を集める。


 レイと思われていた魔力の塊はリリィの魔法が発動するタイミングで離れていった。近くまで迫っていた塊もレイが離れるのと同時に大きさが萎んでいったためレイが用意した偽物だったのだろう。


 一度大きく離れてしまえば今のように正確にリリィの位置を探って魔法を打ち込むなどということはできないだろう。であれば、今度こそレイ本人がギリギリまで接近して至近距離からリリィを攻撃するに違いない。その一瞬、逆に死角からの魔法を叩きつけ、止めの攻撃で保護カプセルを動作させる。それができれば、話を聞こうともしない頑固なレイでも黙らせることぐらいできるだろう。


 周囲に乱立した魔法の残骸の中でリリィはそっと息を潜める。長いようでほんの数分だったこの試合ももうすぐ終わる。そして、リリィの全身を支配しているこの不快な感情ともおさらばできる。


 魔力が魔法を紡ぐ度に、それをレイに向けて振るう度に、身体は強ばりそれを躊躇していた。頭では勝たなくてはいけないことを理解しつつも身体がそれを良しとはしなかった。試合前から終始息が浅く、動悸も止まらない。本当の自分は勝ちたいのかそれとも負けたいのか。自問を続けても判然としない答えが返ってくるばかりで、余計な時間と労力を弄するだけだった。


「私自身の考えなんてどうでもいい。今勝てるのならそれで十分」


 被りを振って思考を現実へと引き戻す。大きく息が吸えないのはこの煙のせいで、息が満足に吸えていないせいで思考が鈍っているだけに違いない。


 右手に集めた魔力は魔法陣の形を成してゆっくりと右回りに回転し続けている。身体が拒絶していることなど気のせいで、この魔法は問題なくレイを一撃の元に下すだろう。それで良かった。複雑なことなど何も考えずに、ただ愚直に勝ちへと進み続けてさえいればそれで済む話だった。


「でも……でも、どうして…………何で私は、そうまでしてこの試合に勝ちたいの?」


全勝などしなくとも卒業は問題なくできる。レイ程度の相手に圧勝したところで何か得られるものがあるわけでもない。


 にもかかわらず、気付けば柄にもなくリリィは勝ちに執着していた。理由もない勝利を欲することに意味などあるのだろうか。そんなことに執着するぐらいなら、目の前で必死に勝ちにしがみつこうとしている者に譲ってやるべきではないのか。頭の片隅でふと浮かんだ考えはジワジワとリリィの中を満たしていくようだった。


 しかし、急に現れた強い反応がリリィの脳内からモヤを取り払った。左正面から迫るそれは未だ距離は遠かった。ただそれだけ遠くにあるにもかかわらず、視線を向けずにはいられないほどに強い存在感を放っている。間違いなくレイの魔力だった。


 そこからどのような魔法が飛んでくるのかまでは分からなかったが、地面に突き刺さったままであろう土塊の槍の間を縫ってレイが向かって来ていた。


「何度やったって無駄だって言うのに。それも聞けないんだったら、無理矢理にでも!」


 相対するようにリリィも今一度魔力を活性化させる。既に完成した魔法に過剰とも言えるほどの魔力を注ぎ込んだ。狙いは既に定まっている。


 リリィが詠唱を口にしようとした瞬間、魔力の反応が上空へと飛び上がった。


「あの子が空を飛べるような魔法なんか使えるわけないのに」


 黒煙の中ではレイの姿は見えない。しかし間違いなくその反応はリリィの頭上を移動している。どのようなカラクリかは計り知れないが、今この場においてこれだけの量の魔力を持っているのはレイ以外にあり得ない。いつぞやティアがやってみせたような光景が一瞬頭に過ったが、それでもリリィのやることは変わらない。むしろレイ自身が上から来てくれるのであれば好都合だった。


 だんだんと迫る気配にリリィは身構える。レイの姿が見えた瞬間に右手に携えた魔法を打ち込む。レイがどんな策を巡らせて来ようとも、それで勝負が決するはずだ。


 目の前の黒煙の壁が一瞬揺らいだ。次の瞬間煌々と燃えたぎる球を身体の正面に据えたレイが頭上から降ってきた。


「奥底より出よ冷製の梁。通してその堅強たる理を浮世への柱と成せ!————柱鞋ちゅうかい


 リリィが一言一句間違えず正確に詠唱を詠みあげるとそれに呼応して右手の魔法陣が光を増した。それを足元に叩きつける。


 次の瞬間にはレイの真下から掬い上げるように地面から巨大な氷の柱が飛び出した。リリィに意識を集中していたレイは当然のようにこれに反応できない。ぶつかる直前にわずかに視線を向けただけで呆気なく元来た方向へと弾き返され再び煙の中へと消えて行った。


 数秒と経たずに何か重たいものが硬い床に叩きつけられるような音がした。


「————レイっ!」


 顔を上げてこの音を聞いたリリィが思わずレイの名を呼んだ。会場の歓声もあってか返事が返ってこない。そもそもリリィの声が届いているかどうかも定かではなかった。


 フィールドには先程のリリィの魔法で無数の槍が地面から生えており、足の踏み場もないような状態だった。そこに無抵抗で落下したとすれば、まず無事では済まされないだろう。


 咄嗟にレイの名を読んだリリィだったが、レイが落下した場所の目星が付きながらもそれを確認しようとはしなかった。頭から無数の槍の群れに突っ込んでは、見るも無惨な姿に変わり果てているに違いない。それを見るのが怖かった。


 当初の予定ではこの後に保護カプセルを作動させるためにさらに魔法を撃つはずだったが、その必要もないだろう。運営の方でその確認が取れればすぐに試合の終了が周知されるはずだ。それまでこの黒煙の中で待っているだけで良い。余計なことをせず、目を逸らしているだけで十分だった。


 しばらくリリィはその場から動かずに呼吸を整えていたが、一向にアナウンスが聞こえる気配が無い。代わりに観客らの囁き声やどよめきが大きくなっていた。決定的な瞬間が見えたにもかかわらず試合の終了が言い渡されないことに観客らも疑問を感じているのだろうか、リリィはそんな憶測を立てていた。


 しかし実際はそうではなかった。瞬きのたった一瞬。その瞬間にあたりを覆っていた濃密な黒煙が晴れた。

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