衝突と到達 ―2
地面に倒れ込むレイと開始位置からほとんど動かずにそれ見下ろすリリィ。わざわざ説明するまでもなく、その場にいた誰もが二人の力量の差を無意識のうちに感じ取っていた。
たった一ヶ月程度の努力でレイがリリィを超えるほどの力をつけれるはずがなかった。実際に経験を積んでいる分、戦闘のセンスもリリィの方が数段上を行っている。七年の間に開いた二人の差は物理的な距離以上に残酷なほどの差を広げていた。
「流石だね、リィちゃん。私が付け焼き刃で思いついた作戦なんてこれっぽっちも通用しないんだから」
圧倒的なまでの差を見せつけられてもなお、それでもレイは楽しそうに笑みを浮かべていた。自信が全敗で、リリィが無敗であることなど全く意に介していない。ただただ目の前のこの状況が楽しくて仕方がないのだ。
「どこまで行っても、どれだけ努力しても、私の力じゃまだリィちゃんの実力に遠く及ばない。でも、それでも絶対に追い付こうって思えるよ。だってリィちゃんがそこにいるんだもん」
リリィは既に魔法を解き、次のレイの行動を観察している。レイがどれだけ突飛な策を練ろうともそれはリリィが予想する範疇に過ぎない。それでも最初からレイには他に選択肢など無く、明確な勝算など無くともただがむしゃらに正面からぶつかるしかなかった。しかし、それで良かった。それでもいつかリリィには追い付ける、そんな期待と自信が胸の内から湧き出て止まらなかった。
レイが地面を蹴ってリリィの方向へと走り出す。その手には既に火の魔法を待機させていた。左腕を振って目の前に弾幕を張ると切り返して別の方向から攻める。もう一度火の基本魔法を編むと間髪入れずにそれを投げ込んだ。
二方向から迫る魔法にリリィは顔色ひとつ変えずにただ魔力を稼働させる。両手に同じ属性の魔力を分散させるとそれぞれから氷の基本魔法でレイの魔法を迎え撃った。数も同じで、正面からぶつかり合う相反する属性の魔法は宙空で勢いよく水蒸気に代わって溶けてしまった。
どこまで行っても基本魔法しか使えないレイの攻撃はリリィには一切通用しなかった。どれだけ角度を変え、どれだけ数を増やそうとも出てくるものがわかっている以上、リリィがそれに対処することは造作もない。
単純に装填数をあげた火の魔法も一方向のみなら巨大な氷の障壁を立てれば全て阻まれてしまう。動き回って複数の方向から闇の刃を撃ち放っても、その数だけ光の魔法がそれらを撃ち落とす。複雑な軌道を描く電撃も最終的にはリリィの元へと届く前に土の魔法で阻まれる。
数回、数十回と攻防を繰り返してもレイとリリィの形成は一向に傾いたままだった。結局リリィはレイの魔法の悉くを凌駕してみせた。
「これで十分分かったでしょ。あんたの中途半端な魔法じゃ私に勝つなんて無理よ。これ以上続けても時間の無駄。さっさと降参したらどうなの」
魔法を受けて倒れ込んだレイを見下ろしてリリィが冷たく言い捨てる。
「嫌だ。試合を早く終わらせたいのなら、リィちゃんの方からそう言いなよ、私からは絶対に降参しない」
「これだけやってもまだ分からないの? どれだけ繰り返しても結果は変わらないじゃない」
「でも私はまだやれるよ。魔力の残りだって全然余裕だもん」
余裕ぶって見せたものの、現状試合の主導権がリリィの側にあることなどレイが一番よく分かっていた。これだけの攻防を繰り返してなお、頬にレイの魔法で負った傷跡があるばかりで、リリィはほとんど試合を開始した時と様子が変わっていない。レイがいくら周囲を駆け回って魔法を編んでも、リリィには片手間程度で済ませられてしまう。
「そんなこと聞いてるんじゃない! この先何度続けてもあんただけが傷付くことなんて目に見えて明らかじゃない。そんな分かり切ったことをどうして続けようとするの」
歓声にかき消され観客席までは届かないリリィの声もレイにはハッキリと聞こえた。
ただの試合と言えどもレイとリリィが勝利をかけて競い合う敵同士なことには違いない。にもかかわらず、レイが傷ついてしまうことを心配して声を張り上げるリリィの姿は、一見異様なものにも映った。
「優しいんだね、リィちゃんは」
そんなリリィにレイは笑顔で答えた。
「強さを追い求めてたくさん努力してきたリィちゃんでも人のこと気にしちゃって、根っこの部分は変わらないね」
「今さら何を言ってるの。そんな話をしてるんじゃないわよ」
「ごめん、ごめん。そうだった……私だって怪我するのは嫌だよ。今だってリィちゃんの魔法で怪我したところが痛むから」
幾重にも重ねられた魔法のやり取りでレイの身体の至る所に切り傷や火傷の跡が見える。左手で脇腹の切り傷に触れると痛みで身が仰け反った。レイが降参しない限りこの傷は増えていくばかりだろう。
しかし、今のレイは傷付くことなど気にも止めていなかった。それ以上に今この状況に集中していたい、少しでも長くリリィとの試合をしていたい、興奮冷めやらないようなそんな気持ちだった。
一方でリリィはレイの身体に一つ傷が付く度に、それ以上深い傷を自信が負っているような感覚を覚えていた。試合である以上そうするべきだと表面では理解できていたし、レイの身体に生傷が増えていくことがそれを如実に語っている。しかし魔法を放つ度にレイの安否を気にしている自分がいるのも事実だった。矛盾した二つの思いを抱えてリリィの脳内は酷く混乱していた。
「怪我はしたくない、試合を諦めるつもりもない。じゃあ、あんたは何がしたいわけ?」
「そんなの簡単だよ。リィちゃんに勝つ、それで両方とも解決するじゃない」
「馬鹿なこと言わないでよ。そんなこと絶対に無理だって、あんただって分かってるでしょ。そこまでしてどうして諦めてくれないの」
「諦めないよ、もちろん。卒業だってリィちゃんのことだって諦めない。だって……私はわがままだから。目標まであと少しのところに今ようやく立ててるの。だから、欲しかった物たちがどっちも目の前にあるから、こんなことで諦めない。諦めたくない!」
何度も心の中だけで願っていた言葉が、今は素直に口に出せる。自分を誤魔化すためのまやかしではなく、自分を奮い立たせるためのものだった。
拳を握りしめてレイは立ち上がる。既に身体は満身創痍でボロボロの状態でもその心は折れてはいなかった。傷だらけで震えるその両手で目の前にまで迫った眩しい光に確実に手を伸ばしていた。
「リィちゃんが怖いのなら、私が受け止めてあげるよ。何回躓いても、その度にまたリィちゃんの正面に立ってみせるから」
「どうして……どうしてそんなことが言えるの? 痛くて、辛くて、惨めな思いを晒してまで、どうしてあんたはまだ、私の前からいなくならないの!」
声を荒らげるリリィは、それを見上げるレイとは対照的にその場で俯いている。怒りと哀愁が入り混じった表情を浮かべて、割り切れない想いに困惑して訳が分からなくなっていた。
「それも簡単だよ。リィちゃんは私の親友でしょ? どれだけ実力に差があっても親友との試合はワクワクするよ」
「そんな関係、あの時私が壊してとっくに無くなった。もうこれっぽっちだって残ってなんかない!」
言葉と同時にリリィは魔力を叩き起こす。強引に集めた魔力は身体の外にも漏れだし周囲を淡く照らし出す。
それを見たレイはリリィから距離を取って魔力を巡らせた。リリィがこれから紡ごうとしている魔法が如何様のものかは想像もつかなかったが、もう既にレイが止められそうにないことだけは確かだった。
リリィの身体にから漏れ出す圧縮された魔力の装甲はレイの貧弱な魔法程度では傷一つ付けることはできない。とはいえ一度リリィがその魔法を放てばそれに対応することもままならないだろう。気付いた時には既に手遅れだった。
「絡め、閉じ、焦せ。緋の獄を以って我が渇きを為せ!———
遺されたわずかな時間を割いてレイは魔法を紡いでみせた。一度看破された目眩しもたった一回攻撃を避ける程度には使えるに違いない。狙いさえ定まらなければ、どれだけ強力な魔法であっても無駄撃ちになるはずだ。
濃密な黒煙がレイの姿を覆い隠すとレイはもう一度魔力を巡らせる。一瞬で膨らんだ魔力はレイの手元で巨大な紅色の魔法陣に変わった。リリィのわずか右側に向けて放出するとレイは反対の方向からリリィに迫る。
魔力を感知できるリリィならば既にレイの位置を特定しようとしているに違いない。ならば相応の魔力を込めた魔法を放つことでそれを撹乱しようとした。
黒煙が充満することでレイも視界を奪われることになるが、魔法を紡ごうとしているリリィがその場を動くとは考えづらい。であれば視界の効かない煙の中でもある程度の目星を付けておける。準備が整ったレイはその場所を目指して地面を蹴る。その手には既に火の魔法を両手に携えてあった。
レイの策略を尻目に、リリィの魔法も完成しつつあった。先ほどのように煙を取り払ってしまえば、こんな子供騙しの目眩しなど造作もなかったが、今この状況下ではそれも満足にはいかない。しかし、今紡がれている魔法はそれを克服して余りあるものだった。レイの小細工など圧倒してねじ伏せることができるだけの魔力がそこには込められていた。そして、間をおかずに閾値を越え圧縮されたリリィの魔力が放たれる。
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