衝突と到達 ―1

 入場ゲートからレイとリリィの姿が現れると、会場のボルテージが一気に最高潮を迎えた。詳細までは聞き取れないが、観客の生徒らは皆口々にレイ達を囃し立てる。仮にも卒業の判定を行うための試験の一環とは微塵も思えないほど、まるで一種の娯楽であるかのような盛り上がり様だった。


 示し合わせたようにレイ達は歩幅を揃えてフィールドの中央へと向かう。言葉を交わさずとも互いの歩幅を揃えて進んでいく二人の行動は、予め説明され入念に練習させられていた入場の作法だった。


 二人を円形に取り囲んでいる座席は奥に行くほど高くなり、座っている生徒らなどもはや豆粒ほどの大きさしかない。他の会場でも同時に複数の試合が行われてはいるが、どの会場でもこれだけの生徒たちが詰めかけているのだろう。それだけの人数がこの学院にはいたことをまざまざと見せつけられる。


 本来は卒業を控えた生徒らにしか関係の無い試合だったが、見学という名目でそれ以外の生徒達が集まっていた。七年の経験を経た最上級生の試合ともなれば、その魔法や戦闘の様子を参考にできることも多い。当然今後のためにそれを観戦に訪れる生徒も多くなるというわけだ。たとえそれが全勝と全敗で当たる生徒らの試合であったとしても。


 この群衆の中からは応援に来てくれているはずのティアやルクスの姿も、レイのいる場所からは見つけられない。と言うよりも周りを見渡して人を探すほどの余裕など今のレイには無かった。極度の緊張でまっすぐ前を見てぎこちなく歩くだけで精一杯なのだから。


 ようやく中央へ辿り着くと、そこから左右に分かれて背中合わせに別れる。少し歩いたところに試合開始時の選手の立ち位置が地面に刻まれているはずだった。しばらく床を注視して歩くと灰色のタイルの上にわかりやすく黒のラインが引いてあった。


 ぎこちない歩みでラインを跨ぐと、右に回ってリリィの方を向く。ちょうどリリィも立ち位置を見つけたようで、同じタイミングで両者の視線が交わる。


 この距離ではリリィに何か言葉を投げかけようとも届きはしない。それはリリィにとっても同じこと。対面した二人の間にはもはや言葉は必要ない。この場所に立っている以上、交わるのは言葉では無く二人の意思と魔法のみ。力量の差がどれほど広いとしても、それを止める人間もここにはいない。何人たりとも二人の間に割って入ることはできない。


 拳を堅く握って唾を飲み込むとレイ達の頭上で声が鳴り響く。


『これよりレイアス・セリルメルトとリリィライト・ソケートの試合を開始します』

 抑揚のない機械の音声が試合の開始を告げると、同時に会場内の喧騒をかき消すほどのけたたましいブザーが呆気なく火蓋を切って落とした。


 音が鳴り止む前にレイが体内で魔力を疾らせる。左手をリリィに向けると間をおかずに手のひらから火の玉が発射された。


 レイの手を離れた魔法はあっという間に距離を詰めると、リリィの顔に目掛けて迫っていた。しかしリリィにとっては目で追えない速度ではなかった。目を閉じてゆっくりと一呼吸置くと身体を捩って魔法を避ける。そのまま通り過ぎたレイの魔法は、リリィの背後で魔力の粒になって宙に溶けていった。


「それで攻撃のつもりなの? 笑わせてくれるわね」


 レイのあまりに簡素な魔法にリリィが失笑する。初めは様子見程度の魔法なのだろうが、それでもレイの些末な魔法は拍子抜けするほど弱々しく粗末なものだった。


 仕返しと言わんばかりにリリィが右腕を水平に振るうと漆黒の刃が五つ、レイに向かって宙を飛ぶ。ちょっとやそっと避けようとしても、それがレイに向けられたものなのであれば、決して無傷では済まされないだろう。


 予め逃げ道を潰すように飛来した刃は複雑な軌跡を描いてレイに迫っていた。中途半端に詠唱をしていたのでは間に合わない。かといってレイが得意としている火の魔法程度では到底太刀打ちできるものでもない。それを見越したレイは両手を前に突き出す。腕に集約された魔力が、次の瞬間にはレイを正面から覆い隠すような大きな光の球へと変容していた。


 一つ、二つと玉の中へ刃が飲み込まれて、全ての魔法が消えていく。リリィの魔法が対消滅する感覚を魔力越しに感じては、少しずつ魔力を萎めて光の玉を小さくさせていった。


「やっぱり、リリィちゃんなら最初は様子見してくれると思ってた。すぐには全力で戦ってくれないって」


 だから、と続けてレイは再び魔力を疾らせる。あいさつ代わりの基本魔法とは比べ物にならない、数倍の魔力が手元に集中し始めていた。それを表すかのようにレイの手元が淡く発行し始める。


「絡め、閉じ、焦せ。緋の獄を以って我が渇きを為せ!」


 素早く詠唱を読み上げるとそれに呼応して魔法陣が現れる。すぐに回転し始めた魔法陣からも余分な魔力が漏れ出し、照明で照らされているにもかかわらず明らかにレイの周囲が淡く紅色に輝いていた。


「———烈火れっか!」


 魔法の名をレイが口走った瞬間、回転していた魔法陣から勢いよく黒煙が噴き出した。ものすごい勢いで溢れ出す煙はたちまち周囲に立ち込めレイ達の姿をかき消した。


「目眩し、ね。確かに不意打ちなら私に勝てるかもしれないけど、不意打ちする側からも見えてないんじゃ何の意味もないじゃない」


 視界を奪っていく濃密でまとわりつくような黒煙にリリィは同様すら見せなかった。同様のものではないにしても、それに関する知識が無いわけではない。既にいくつかの対処法を思い付きつつある。


 どうせ見えないならば、とリリィは静かに目を閉じた。これならば視界が効かなくとも魔力の方向がより鮮明に感じ取れる。


 わずかな間も観客席からの歓声は止むことはなかった。口々に叫ぶ内容までは相変わらず聞き取れないが、今この状況でレイの足音をかき消すという類を見ない功績を残していた。


 しばらく時間を置いてもなかなか魔力の変化は感じ取れないでいた。視界の悪さに乗じた攻撃を予想していたリリィには焦ったい時間が続く。


 全方位に向けて魔法を編むことはリリィにとっては造作もない。レイから仕掛けてこないのであれば、今のうちに詠唱を済ませておくのも良いだろう。手の中に素早く魔力を集めると数節の詠唱を呟き始める。


「門を通じ災いを告ぐ。在らざる手を以って蠢動を召し捕らえ————」


 魔法の名を告げる瞬間にこれを見計らっていたのか、リリィの背後から魔法が飛来した。わずかに魔力の変化を捉えたリリィは詠唱を中断して身を翻す。背後から迫っていた魔法は闇の基本魔法。先程リリィがそうしたように角度を変えてその逃げ道を防いでいた。今から別の魔法を紡ぐことはままならない。敢えて無防備なまま、魔法の密度が小さい場所に飛び込んでリリィは魔法を紡ぐ。


「————呪怨じゅおん


 レイの魔法がリリィの頬を掠めて消える。血の滲み出る感覚に構わず、リリィはその手を煙の奥へと伸ばした。そこには必ずレイがいるはず。わずかに残る魔力の痕跡だけでも如実にその存在を示していた。


 見えない標的へ向けて、漆黒の魔法陣からは濃密な魔力の触手が溢れ出す。堰を切ったようなその勢いは目にも止まらぬ速さで分厚い黒煙の壁を掻き分けていった。


 手応えはすぐさまリリィへと伝わった。魔法の触手越しには、何かに巻き付いているような感触がある。力に任せて腕を引くと、すぐに煙を分けて人影が現れた。一瞬で通り過ぎて行ったレイはリリィを一瞥して再び反対側のモヤの中へと消え去った。


 触手を床に強く叩きつけ、それを構成していた魔力を散らすとリリィは追い討ちをかけるよう基本魔法をばら撒く。レイからの反撃が来るまでの時間を確保して再びリリィが魔法を紡ぎ始めた。


「渦を巻け、万象を吸せよ。底の知れぬ暴飲の禍は無責に欲せ————吸饒きゅうぜつ!」


 一瞬でリリィ程の大きさの魔法陣が出現すると、渦巻きを成してフィールド上に広がった黒煙が吸収されていく。観客席まで伸びていた鬱陶しい煙が徐々に消えていくと、代わりにレイ達の様子がハッキリと見えるようになった。

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