湧きだす嫌悪

「大丈夫、私ならきっとできる」


 アリーナの入り口前、目の前の光の中から地を揺らすほどの歓声を感じながら私は拳を固く握る。隣で小さく漏れた声は不明呂でよく聞き取れなかったけど、多分そう言ってたと思う。どうせ今になって怖気付いたとかで無理矢理自分のことを励ましてるとかそんな物なんだろうけど。


 十七年も生きてて自分でも驚くくらい初めてこんなに緊張してる。高々試験の一つでしかない試合になんでこんなに緊張しなきゃいけないのか私にも分からない。今までこんなことなかったのに。どうにか落ち着こうと深呼吸したり伸びをしてみたりもしたけど、一向に治る気がしない。って言っても隣に人がいるんだから邪魔になって大して気休めにもならないんだけど。


 少し隣を見るとレイがその場で震えてるみたいだった。碌な魔法も使えないっていうのにこんなところに立ってるんだから無理もない。逃げ出したくて怯えてるんだろう。さっきの自分への励ましの言葉だってそう。それにどれだけの効果があるのかは知らないけど、怖くて堪らなくてそんな状況で出た言葉に過ぎない。そんな物で何かが変わるわけでもないのに。


「逃げも棄権もせずによくもまあここに来れたわね。無駄に負けに来るなんてバカのすることみたいだけど」


 言い終わってから自分でも感じ悪いかなって思ったけど、無意識に口が動いてた。自分の声で出た言葉のはずなのに、なんだかモヤモヤした気持ちが残る。


 レイに向かって言った言葉だったけど、その方を向いては喋れなかった。どうしてって自問してみたけど、答えは分からない。


「そんなことないよ。それにもう目を背けて諦めたりしないって決めたから。私のことも、勿論リィちゃんのことも」

「なにが"諦めない"よ。まともに魔法も使えない最底辺の雑魚のくせに」


 気付いたらあの時と同じようなことを言ってた。諦めない、そう聞くとやっぱり不快感を覚える。努力なんてしてこなかったやつの言う"諦めない"が一番無意味だっていうのに。


 今までの試合で同じぐらいの実力の相手と対戦してきたとしても正直言ってレイの実力なんてたかが知れてる。どうせ数合わせで組まれた相手なんだろうけど、そんなの誰がみても紛れもない事実だ。


 それに、私から見たらレイとの実力差は歴然で、むしろこっちが手加減してあげなきゃ危険なぐらい。試験だったら保護カプセルが守ってくれるとは言っても、そんなの気休め程度にしかならない。命の危険があるかもしれないところにノコノコ出てくるなんて無謀なんじゃないかしら。


 そんなことはわざわざ私が指摘しなくたって本人とか周りがよく知ってるはず。それなのによく周りが止めなかったなとは思う。一試合ぐらい棄権しても全体的な評価にはあまり響かないはずなのに。


 私の方から声をかけておいてアレだけど、あんなことがあった後でよく話しかけれるなって思った。試合が始まれば悠長に話をしてる暇なんて無いけど、だからってその分今無理に話さなくたって何の問題もない。


 でも、今さら私の方からレイに話しかけたのは多分…………そうしてないと怖いんだと思う。もちろん試合のこと自体はなんとも思ってなかったけど、隣に立ってる元親友の存在が自分でも説明できないけど怖かった。


 あんなすれ違いの後で、どうしてまだレイは私に執着するんだろう。私が最初に傷付けて、この間だってまた。その間私はただずっと逃げて、嫌って、傷付けてきただけなのに、どうしてレイはまだ私の方を向いてるの?


 どれくらい待たされてたのか分からないけど、ずっと立ちっぱなしで流石に疲れてきた。こんな暗くてじめじめしてる通路で待たされてから体感でもう十分以上経ってると思う。選手待機用のベンチぐらい両脇に設置しておいて欲しかったな。ただ無駄に広いだけの通路なんだからそれぐらい置いたってバチは当たらないと思うけど。


 こういう細かい設備にこそ学院は気を配ればいいのに、通路にベンチもなけりゃ食堂にも椅子が足りてないだなんて、この学院は生徒と椅子の数も合わせられないの?


 こんな余計なことを考えていないとどうにかなりそうだった。私から話しかけなければ、多分レイの方から私に話しかけてくることはなかったと思う。多分今のレイはそれどころじゃないから。それでも、たまに私の顔を見て、それから入口の方を交互に見てるみたいだった。


 どうしてそんな顔で私の方を見てくるんだろう。大人の顔色を窺う子供みたいな表情が私を見ている。どうにかしてそれをやめさせたかった。私の心の中まで覗き込んでいるみたいで心底居心地が悪い。レイがそんな類の魔法を習得したわけでもないっていうのに。


 初めて対戦表を見た時は流石にビックリした。半分程度は同じ実力、もう半分は格上で残りが格下ぐらいの生徒が機械的に割り振られるって先生の説明ではそう言っていた。だから元々可能性自体無いわけじゃなかったけど、この生徒数の中でたった十人の対戦相手の中にレイの名前があるなんて、何か悪い夢でも見てるんじゃないかと思った。もちろん、今まで避けて来たはずなのにこの夏だけで何度かレイと顔を合わせる機会があったことも私からすれば十分悪夢だったけど。


 初めこそお互いが相手を避けてるみたいな感じだったけど、今じゃ私だけがそんなことをやってる。それにレイは見ない間に魔法を使えるようになってた。あの時見た光景は私の見間違いじゃなかったんだって今さら思い出した。基本魔法だけで、しかも最悪なぐらい燃費が悪いやり方だったとは今でも思うけどけど、それでも立派な魔法に違いはない。


 だけど、結局私の足元にも及ばない実力だ。初級の魔法もまともに扱えないんじゃ、張り合うだけ無駄だもの。私とレイが試合だなんて学院の管理下でたとえ保護カプセルがあったところで端から無理な話。やめるように促す方が賢明だと思う。


 だからゆっくりと静かに魔力を励起させる。これなら多分レイにも気付かれないはず。両手に分けるようにして別々の魔力の塊を作ると、入り口の方を向いているレイの頭に向けて両手を翳して囁くぐらいの声で言葉を紡ぐ。


「氷冷。雪ぎ、注げ————清泉せいせん


 詠唱が終わってもこっちに全然気付いていないレイの横顔を目掛けて、水色に淡く輝く魔法陣から鉄砲水が勢い良く吹き出した。


「冷たっ!」


 次の瞬間には体を縮めたレイが頭の天辺から爪先まで大量の水をかぶってずぶ濡れになっていた。


「あっはははっ。ずぶ濡れになっちゃってどうしたのそれ」


 足元に大きな水たまりを作ったレイを見て無理矢理甲高い声で笑ってみせる。普段なら絶対にこんな演技なんてしないけど、感じの悪い役を演じてそれで試合を辞退してくれるんなら安いものだから。


 状況が飲み込めてない顔をしてレイが私の方を見ていた。流石に私がやったって気付いてるみたい。暗い通路だから魔法陣が消えた後でも残った魔力の粒子があたりに漂っているのが見えた。


「……そっか」

「早く乾かさないと。濡れたままで試合なんてできないでしょ。それともここで棄権でもする? まあどっちにしても魔法もまともに使えないんじゃ今すぐなんて無理だろうけど」

「ろくすっぽまともに魔法も使えないんだから本当にそうだよね……」


 床に溜まった水に視線を落としたレイは落ち込んでるようにも見えたけど、反対に全く動じてないようにも見える。まるで私がこういうことをするって前もって予想してたみたいに。


 レイの前髪から雫が波紋を作るのと同時に、目の前で魔力が膨らむのを肌が感じた。慌ただしくも秩序的に統制された魔力がゆっくりと時計回りに円を描いてレイの周りを巡ってる。体から余分な魔力が溢れてる辺り、やっぱり無駄ばっかりで精度の低い魔法。それでも目の前で何か魔法が編まれているのは事実で、その後すぐに現れた紅色の魔法陣から発せられる魔法に私は身構えた。


「それは……!」


 初級の魔法、って続けて言おうとしたら、レイが少し詠唱を読み上げたところで前触れも無く魔法陣が爆発した。本当なら起動するはずの炎の魔法の代わりに真っ黒な煙が勢いよく噴き出す。咄嗟のことで頭が回らなくて大きく煙を吸い込むと勢いよく咳き込んだ。


 どうにか肺の中の煙を出し切ると、私はレイを睨みつけた。


「……っ何するのよ!」

「今の魔法はうまく使えないかもしれないけどさ。代わりにほら、無事にこれで乾いたでしょ?」


 通路中に充満した煙が少しずつ晴れてレイの姿が見えてくる。確かにびしょびしょだったレイの服はすっかり乾いていた。ついでに跳ねた雫で濡れた私の服の裾も。でも、その代わりに服とか壁、レイの顔中に黒い煤が付いてた。


 これじゃあ無事かどうかはさておいて、棄権がどうこう言えなくなってしまった。それでレイが棄権するなら私も同じぐらい汚れてるはずだから。レイの足元を見るとついでに足元の水たまりもいつのまにか綺麗に無くなっていた。


 煤だらけの顔でレイが笑顔を見せてくるんだから、思わず拳に力が入った。こんなところで逆ギレしたって無駄なのは分かってたけど勢いに任せて悪態が口を突いて出てくる。


「よくもやってくれたわね。あとでどんな目にあったって知らないから」

「うん、私も負けないよ。お互い頑張ろ」


 ちっとも笑顔を崩さないレイの表情を見て小さく舌打ちをした。さっきから緊張したり、レイのことを怖がったりイライラしたり。らしくない言葉も吐いて、いつもと違う自分がいるみたいだった。たとえ緊張してたとしても落ち着いて深呼吸ひとつすればいつだって冷静になれたのに、今は息苦しくなるだけ。


 だんだん頭が真っ白になっていってる私を急かすように、すぐそこまで入場の時間が近づいていた。場内の歓声が一段と大きくなった気がする。揺れ動くほどの圧は空気を伝って私の肌を震え上がらせるほど。


『レイアス・セリルメルト、リリィライト・ソケートの二名は入場して下さい』


 無機質な機械の音声で私たちの名前が読み上げられる。いよいよ時間だ。入場を意識し始めると一層緊張が増す。手足が震えて自由に動かせなくなっていた。


 これ以上ないくらい真っ白になっていく私の頭の中は、それでも空っぽにはなりきらなかった。最後の最後までどうしても恐怖が退いてくれない。いつまでレイのことを怖がっているんだろう。自分でも不思議なぐらいだった。取るに足らない明確に格下のレイなんかを恐れる理由なんてどこにもないはずなのに。


 自分の手を見るとさっきのレイの魔法で真っ黒な煤がこびり付いていた。もう一方の手で擦っても煤は中々取れてくれない。これはもう試合が終わるまで諦めるしかないかな。このタイミングでもう一度魔法で水を出してる時間はないはずだから。


「大丈夫、私ならできる」


 さっき聞いたのと同じ言葉がまた隣から聞こえた。性懲りも無く、効き目の無いまじないにいつまで縋れば気が済むんだろう。いまさら何をしたってレイには何の意味もないのに。


「せいぜい死なないように頑張れば? まあ手加減なんてしてあげないけど」

「うん、私も手加減なんてしない。今出せる全力で行くよ」


 そう、手加減なんてするつもりは無い。レイだってそう言ってる。私の予想なら試合開始の合図がそのまま終了の合図になるはずだ。今の私なら簡単にそれができる。


 できるのに、どうして私はまだ迷ってるんだろう。私が手加減しなかったら、レイなんか無事じゃ済まない。保護カプセルがあったとしても、最悪命だって危険に晒すことになるかもしれない。でも、そんなこと気にする必要なんてない。


 私はレイが嫌いで、レイも私が嫌いで。手加減してあげなくちゃいけなくて。だってそうじゃなきゃ、また傷付けてしまうから。


 私が今まで血の滲むような努力して手に入れたこの力は、間違いなく私が望んで手に入れたものだ。それに後悔なんて感じたことはない。だけど、初めて使った魔法はたった一人の親友を傷付けてしまった。私が欲しくて堪らなかったこの力は親友を傷付けて、私も苦しめて、そして今また親友を傷つけようとしている。私は、ずっとそれが怖かったんだ。


 でも手加減はしちゃいけない。しちゃいけないんだ。だってそうじゃなきゃ、私が今日までそうしてきたことに意味が無くなってしまうから。


 正面から差し込む光は目を焼くぐらい眩しかった。この先で私は親友と戦わなくてはいけない。それは試験で決められたこと。もう変えられないことで、向き合わなくちゃいけない。


 無言のまま私たちは同じ足並みで光の中へと進む。その先では一層激しさを増す歓声が私たちが現れるのを今か今かと待ってる。もう後戻りできない道の途中で、それでも私は、何もかもを投げ出して今すぐにでもこの場所から逃げ出したかった。そうすれば答えの出ない問題に向き合う必要もなくなるから。なんて身勝手な考えなんだろうってそう思ったけど、それが私の弱さなんだと思う。今さらそんなことを考えてるだなんて。やっぱり、私は誰よりも私のことが大嫌いだった。

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