向き合う定め ―1
夏が明けた。否、夏が明けてしまったという方が正確だろうか。少なくともレイにとってはそれが正しい。与えられたわずかな時間はあっという間に経過し、もう後に引けない中で運命の時が刻一刻と迫っていた。
心の中でどれだけこの時が来ないことを願ったのかはもはや数えきれない。願ったところでそれが実現しないことは百も承知だったが、どうしても現実から目を背けたくなっていた。
実際に本番を迎えてしまえば瞬く間に過ぎて行くのかも知れないが、一方本番で実力が発揮できずにいる姿を想像せずにはいられない。
「本当に、大丈夫なのかな……」
ベンチに座り両手で顔を覆ったレイが、その隙間から不安混じりの声を漏らす。短い時間と不出来な実力でも、できるだけのことはしてきたつもりだ。しかしこの夏の間、努力を重ねてきたのはレイだけに限ったことではない。両脇に座るティアやルクスはもちろん、卒業を控えた生徒たちは皆押し並べて相応の修練を積んできた筈だ。
レイが最後の夏を全て魔法の練習に充てたとはいえ、それで学院の全生徒に勝てるようになったわけではない。寧ろ相も変わらず、実力は最底辺のあたりを彷徨っているに違いない。
「勝てるとか勝てないとかはさておいて、あれだけ練習したんだから夏前よりかは数段強くはなってるはずだろ」
「うん、レイちゃんならきっとできるって」
不安と緊張に押しつぶされそうなレイを両脇の二人が交互に励ます。一番近くでレイを見てきた二人だからこそ、その言葉は確かな温もりを持っていた。
「でも……やり残したこと、沢山あったし」
それでも実際に努力をした張本人は、それを実感できていなければ満足もできていなかった。自分がもっと要領が良ければ、もっと多くのことができたのではないかと考え始めるとキリがない。もっとも、何もできなかった今までの状態と比べて見違えるほどの進歩を遂げたことに違いはない。たとえできたことが少なかったとしても、本当に最低限の魔法はうまく扱えるようになっているとそう信じたい気持ちもあった。
「ま、今さらあれこれ言ったって何か変わるわけじゃあるまいし、後は当たって砕けるだけだろ」
「砕けたくないからあれだけ頑張ったんじゃない……」
レイの冷ややかな目線が指の隙間からルクスを捉える。知ってか知らずか、ルクスがそれから視線を逸らす。
「ははは、そりゃそうだな。でもまあ本番はある程度実力が近い生徒同士が当たるって言ってたし、そんなに心配することもないと思うぜ」
「だと良いんだけど」
二人からどんなに励ましの言葉を貰ったとしてもいまひとつレイの不安が晴れることはなかった。ルクスの言うように、今さら心配することに何の意味もないことはレイが一番感じていたことだったが、どうしてもこれまで惨憺たるまでの悲惨な結果が頭を過ってしょうがない。
「不安と言えば、ルクス君は筆記試験の方の対策は大丈夫なの? レイちゃんに付いて見てもらってたんでしょ?」
「ああ、そのことなんだけどな。それなら今のレイに負けず劣らず不安だらけだぜ」
「ど、どう言うこと? レイちゃん、ちゃんとルクス君に勉強教えてあげたんだよね?」
「それならもちろん、きっちり教えたよ」
予想していない返答をするルクスにティアが驚きの表情を露わにする。当のルクス本人は照れ隠しのつもりなのか頭を掻いてニヤついていた。
ルクスがレイの魔法の練習に付き合う対価として、反対にレイがルクスの筆記試験の勉強を見るという約束になっていた。他でもないレイが家庭教師として付くのだから、疑いようもなくルクスの筆記試験は問題はないとティアは思っていた。しかし蓋を開けてみれば、成果は芳しくないと言うのだから驚かずにはいられない。
「まさかそこまで気にしてなかった薬学で躓くとは思わなかったな。薬学なんて魔法を扱う分にはほとんど関係ないってのにさ」
「それはこっちのセリフだよ。まさか何も手付かずの状態で行こうとしてただなんてびっくりしたんだから」
「だって卒業試験だぜ? 魔法に関する知識だけが範囲だと思うだろ」
「そうは言っても学院の授業で習ったことなんだから、試験に出るかもしれないし、そうでなくても復習ぐらいしとくのが当然じゃない」
ティアを置き去りにしてレイとルクスの間で次々と思い出話が展開されていった。やれ基本的な薬草の名前ぐらい全部暗記しておけだとか、調合器具の名前なんてどれでも同じだろうだとか。確かに内情をほとんど知らないティアからしてみても、ルクスが初歩的なところで躓いていたことが窺い知れる。
「大体、調合ごとに混ぜる回数が厳密に決まってるのがおかしいだろ。そんなのちょっと多かったり少なかったりしても変わんないって」
「そう言って実際適当にやって失敗したんじゃない。あの後後片付けだけで相当時間かかったの忘れたとは言わせないんだから」
あまりのやり取りにティアが口を挟む間もなかった。ティアもたまに顔を出していたとはいえ、二人がそれだけのことをやっていたとは露も知らないでいた。口論の節々でルクスの口から出てくる薬学の諸知識たちに、ただでさえ座学が苦手なルクスに相当量の知識を詰め込んだことが容易に想像できる。
しかしそれだけやっておきながらも不安だと言わしめるほど完成度は良くないのだろう。筆記試験は実技試験の後で実施される予定だったが、それまでにどれだけ仕上げられるかは時間の問題だった。
「で、でも、不安って言ったって実技の方で相当失敗しないと成績に響くこともないんだし、そんなに気負わなくてもきっと大丈夫だよね」
二人のやりとりが僅かに空いた隙間にティアが入り込む。無理矢理にでもこうしなければ、いつまで経っても蚊帳の外に置かれたいたことだろう。
「それは二人だったら、の話でしょ? 私の場合実技で何があるか分からないから筆記もちゃんとやらなくちゃ」
「そうそう。十戦やって仮に一勝しかできなかったりなんてしたらとんでもないからな。相当筆記の結果がよくなかったら下手すら卒業目前に留年の可能性も視野に入れなきゃな」
「ちょっと、一番怪しい人を前にしてそんなこと言わないでよ」
レイがルクスを横目で睨む。レイ本人が一番気にしていることだったが、しかしルクスの言うことも否応なく正しかった。
学院はあくまでも魔法を扱える生徒を輩出することを大きな目的として掲げている。そんな中で実技の成績が全く振るわないレイは一番卒業から遠いと言えるだろう。実際は実技と筆記の点数を総合して最終的な結果が発表されるが、学院の目的と照らし合わせれば、筆記ばかりができて全く実戦で役に立たない生徒を学院の箔をつけてまで卒業さないことは暗に示されている。レイが安心してここを卒業するためには、少なくとも二勝程度は確保しなければ話にならないだろう。
「筆記試験も確かに大切だけど、今一番気にしてるのは実技の方なんだから」
「でもレイちゃん、ようやく自由に魔法が使えるようになってきて、少しはみんなと張り合えるようになってきたんじゃない? きっと試験も大丈夫だって」
「そうは言っても……結局まだ基本魔法しか、できてないし」
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