路を据える
「その後はどうなったのか私もよく知らない。そのことで先生に呼び出されることもなかったし、それ以降リィちゃんと話せなくなっちゃったし」
天井を見上げたまま視線をピクリとも動かそうとしないレイは、相変わらず無気力そのものだった。嫌な記憶を思い出すのに精一杯だと言えばそれまでだったが、明らかに生気が感じられない。絞り出した声も今にも消え入りそうなほど弱々しかった。
「それで最近までずっと仲が悪いままだったのか」
それまで黙ってレイの話に耳を傾けていたルクスは口にする言葉を選んでいた。これほどまでに無気力で沈んだレイの姿を初めて見て困惑もしていた。一連の出来事が一体レイにどれだけの影響を及ぼしたのだろう。経験のないルクスにはどれだけ考えを巡らせようとも到底理解し得ないことだった。
「最近まで、なんかじゃないよ。もう一生、ずっとこのままなんだと思う」
ぼーっと天井を見つめるレイの瞳はここではないどこか遠くを見据えているようだった。
「俺は、お前たちみたいに後引くような喧嘩とかしたことないけどさ、すれば良いんじゃないのか? 仲直り」
「私が最初に傷つけたんだよ? そんなの許してくれるわけないよ」
「でも今までそうしてこなかっただけじゃないか。許してくれるかどうかなんてやってみなきゃ分かんないだろ」
「ううん、ルクスが知らないだけで今まで何度もやろうとした。今回みたいにキッカケを見つけて話しかけようとした。でも無理。声をかけることもできなかった」
あの出来事の後でレイから初めてまともに声をかけた時ですら、拒絶されるだけで話などできなかった。そんな状況で仲直りをしようなどと、試すまでもなく土台無理な話だ。
「でも、やろうとしたまでで実際に試したわけじゃない」
「違う」
「何が違うんだよ。行動で拒絶されたってだけで、本心をリリィの口から聞いたわけじゃないだろ」
「リィちゃんの気持ちなら試さなくたって分かる。それにリィちゃんは、もう私のことを友達だとは思ってないって、そう言ってた」
大嫌いだと心と腹の奥底から告げられた、そのたった一言だけで十分だった。
レイに向けられた魔法と言葉はあの時と何も変わっていなかった。ならば当時既に終わった関係なのだ。今さら何をしようとその事実は変わりようがない。
「それに……もう嫌なの。リィちゃんにこれ以上迷惑をかけて、嫌われたくない。今日だって、辛くて苦しくて。そんな思いをするぐらいなら……もう諦めたい」
悲痛な思いを乗せたレイのか細く弱々しい声が漏れる。
七年かけても魔法が使えないのはまだ我慢ができた。いつか、本当にいつの日か少しでも魔法が使えるようになるかもしれないと未来に希望が持てていたから。結果的に今こうして少しずつだが実を結びつつある。
しかし、あの時から変化の兆しがないリリィとの関係に、これ以上不用意に足を踏み入ることになんの意味があるのだろうか。傷つけられて苦しい思いをすることなど目に見えているのに、それでも執着する理由がどこにあるというのか。どんなに都合の良いように考えてもレイには到底分かりようもなかった。
「レイにとってリリィってのはたったそれだけの存在だったのか? 今まで何をやってどんな思いをしたのかは分からないけどさ。本当に大切なものだったらそう簡単に諦めがつくものなんかじゃないだろ」
「私だって前みたいな関係に戻れるように精一杯努力した……でも結果がこれなんだよ。報われない努力を、私は後どれだけすれば良いっていうの!」
荒らげたレイの声が部屋に響く。何も知らないルクスに当たったところでなんの意味もないのは百も承知だった。それでも今までの努力でなんの成果も得られていないその事実があの時と同じ感情を呼び起こしていた。
「努力したからって、必ず成功につながるとは限らないだろ」
「そう、だよ。だから私の努力なんてなんの意味も無かった」
「違う、そうじゃない。努力したから成功するんじゃない。成功するまで努力するから努力は報われるんだ」
レイの後ろ向きな言葉をかき消すかのようにルクスが続ける。
「辛くて苦しくても努力するんだよ。なんの苦労も無しに手に入るものなんて、それこそなんの意味もない。もっと努力して、もっともっと苦しんで、そうやって初めて実現するもんだろ」
「私に、これ以上苦しめって……そう言ってるの?」
そんな言葉をかけないで欲しい。よく頑張ったと努力を認めて欲しい。もう十分だと言って休ませて欲しい。先の見えない道に立たされてもう随分と時が経った。これ以上何を頑張れば良いというのだろうか。言いたいことは山ほどあるというのに、それを口にするだけの気力もそんな資格もレイには無かった。
「ああ、そうだ。まだ足りてない。辛くても、苦しくても、何度躓いても、そこから立ち上がらなきゃいけない。そうじゃなきゃ手に入らないものに、お前は手を伸ばしたんじゃないのか」
部屋を覆い尽くしていた沈んだ空気をルクスの言葉が払い除ける。
しかし、その中でレイだけは相変わらず沈んだまま天井を見上げていた。
「私にはもう無理だよ。ずっと遠くの方には見えてた。だからずっと歩いていけばいつかはたどり着けるのかもしれない、ってそう思ってた。でももう先には進めないの。もう歩けなくて……もう立てなくて。進みたいのに、手を伸ばしたいのに、それもできなくて……」
震える声と共にレイの頬を雫が伝った。どんなに希おうとも一向に近づけない遠くの光は、それどころかレイの元をただただ離れていくばかり。歩き疲れ、残されたレイはその場に倒れ込むことすらできずにただ立ちすくむしかなかった。
「何のために俺やティアがいると思ってるんだよ」
白い天井しかなかったレイの視界にルクスが映り込む。いつもの表情で、沈んだレイを見下ろしている。対するレイはその視線に耐えきれずに顔を背けて腕で覆い隠した。
「ダメだよ。これは私だけの問題なんだから……私が一人でどうにかしなくちゃ」
「そんなわけないだろ、辛くて苦しいんだったら誰かを頼れよ。努力ってのは一人だけでやらなきゃいけないもんでもないだろ?」
「でも……」
「でも、一人じゃなかったから、今少しだけ前に進めてるじゃないか。レイの魔法はちゃんと形になってたぞ」
でも、でも、でも、と繰り返すたびに言い訳ではなく、溢れ出した涙が止まらなくなっていた。
今までの努力でなんの成果も得られなかったわけではない。今こうしてほんの小さな魔法がレイの手の中で紡がれている。光までは途方もなく遠かったが、それでもレイですら知らぬ間に一歩を踏み出していた。
「できるのかな……こんな、こんな私でも」
「できるかどうかじゃない。できるまで努力するんだよ。だから、今ほんの少しだけど魔法が使えてるんじゃないか」
わざわざ聞くまでもなかった。辿り着けない道のりを遠いと感じるのではなく、振り返った道のりをここまできたのだと感じていたい。過去に遠いと諦めていた場所まで、今はその途中にいるのだ。
もう一度上を見上げるレイにルクスが手を伸ばしていた。何も言わずにレイはその手を取る。今までならそうするのにどれどけ言い訳を吐いてきただろうか。数えることもできなくなった無数の逃げ道に目を呉れることもなくレイは立ち上がる。涙で視界はぼやけていたが、目指していた光はその分幾重にも輝きを増していた。
もう一度歩き出せる。もう一度光を追いかけていける。そう感じさせてくれたルクスの言葉たちは辛く、厳しく、しかし優しくレイの背中を押してくれていた。
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