記憶と禍根 ―2
「もー、何回やってもちっともダメだよ」
「そんなことないって、今のは惜しかったじゃない」
「でも、ほんのちょっとだけ火の粉が出ただけなんだよ?」
「だからいいんじゃない。それをもっと大きくできれば立派な魔法になるわよ」
数時間後、レイとリリィは実技の授業で広場に出ていた。ペアを組んで各々魔法の練習をするというものだ。しかし、周囲の生徒らが初級の魔法を完成させようとしている中で、レイは未だに基本魔法すら満足に扱えないでいた。
「身体の中で魔力が動く感覚なんて全然分かんないよ。なのに先生に聞いても魔力の流れを感じ取れ、って教科書と同じことばっかり」
「基本魔法でも他の魔法でも魔力を集めるまでは一緒なんだからしょうがないわよ」
「それができないんだからどうしようもないよぉ」
泣き言を漏らすレイがその場で膝を抱えてうずくまった。単純に魔力を集めて属性を与えるだけの極々簡単な魔力操作だけで済む基本魔法は、基本とあるだけあってそれ以降の魔法の基礎となる部分が多い。仕組みも単純な分他の生徒らは入学してすぐに基本魔法を完璧にマスターしていた。
基本魔法が習得できないまま夏季休業に入ったのはクラスでもレイとリリィだけ。既にクラス中にその事実は広まり、必然的にレイとリリィは揃ってできない側の生徒として組まされることになっていた。
「夏休みの間もティアに見てもらったりしたんだけどな……なんでできないんだろ」
膝から顔を上げたレイが自身の両手を交互に見やる。不出来ながらも幾度と説明された順序をその通りに再現したつもりだったが、結局はいつものように不発に終わった。夏季休業が始まる前と後でなんら進歩の見れない自分の腕前に嫌気がさしていた。
「何か原因があるはずよね、調べたりしたの?」
「そりゃあいろんな人に聞いたりしたし、苦手だけど図書館にも行ったんだよ?」
項垂れるレイは今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。どうして自分はこうもうまく魔法が扱えないのか、ここ最近はそんな考えがずっと頭の中を巡っている。
「ティア……って前に言ってた同じ部屋の友達のこと?」
「うん、同じところから来てる私の友達。実技も勉強も得意だから練習見てもらおうと思って。でもリィちゃんみたいにちゃんとした理由なんて分かんなかった」
「うーん、他にも先生に聞いたり図書館で調べたりしたんでしょ? 私の病気だってすぐに分かって薬だって用意してもらえたんだし、ここで調べて原因が分からないなんてあり得ないと思うけど。本当にちゃんと調べたの?」
「ちゃ、ちゃんと調べたよ」
リリィからの疑いの言葉にレイの瞳がさらに震える。リリィのように原因さえわかればなんとか解決策を講じることができたのかもしれないが、その手掛かりさえも掴めないレイには前提として無理な話である。
「それでも理由が分からないなんておかしいわよ。レイのやり方が甘かったとしか思えない」
「そんな……私だって頑張ったのに」
「だって現に成果は出てないわけでしょ? それに単純に練習量が足りないだけかもしれないじゃない」
「それだって一杯練習したもん。でもできなくて……」
「私はこの夏休みで基本魔法はできるようになった。でもそれは前々から沢山練習したおかげよ」
そう言いながら肩のあたりでリリィは手のひらを上に向けると、瞬時に紺色に淡く輝く魔力の球を作って見せた。前までできていなかった闇の基本魔法だったが、今のリリィには片手間でできるほど簡単なものになっていたらしい。
それを一瞥するとレイは再び自身の両掌に目を落とす。自分とリリィとで何が違うのだろう、同じように魔法が扱えず、同じ授業を受けて、同じ練習をしてきたはずだった。
二人の間で明確にそれを分けていたのは、リリィがこの夏の間に手にしたという解決策だけ。レイにも簡単に手に入るような、そんな解決策があればリリィのように自在に魔法が扱えたはずだ。どうしてそれが自分にはないのだろうと考えると同時にリリィのそれがどうしても羨ましく思えた。
「私、リィちゃんが羨ましいよ。ちょっと見てない間に魔法が使えるようになってて。それもその薬のおかげなんだね」
「そんなことないわよ。確かに私の病気に効く薬を準備してもらえたからっていうのもあるだろうけど、この夏休みの間に沢山努力したんだから」
「でも結局はその薬が無かったらリィちゃんは今でも魔法が使えないんでしょ? キッカケが見つけられてよかったね」
リリィにかける言葉と一緒にレイの口からため息が溢れた。羨ましいと思う気持ちは少しずつレイの中で大きくなっていたが、それと同時に仮にリリィだけの解決策と同じものがレイに与えられたところで意味などないことはよく分かっていた。
「どういう意味よ、その言葉」
「どういう意味って、すぐに魔法が使えるようになって羨ましいなって。今の私には無理だから」
「私がやってきた努力を無駄だって言いたいの」
視界の外でリリィの声が震えていた。生活を共にしてきたレイだからこそ、そこに含まれた感情がすぐ読み取れた。だからこそレイの言葉にそんな意図など無かったことを弁明する。
「そ、そんなつもりじゃないよ。ただ本当に羨ましいってそう思っただけで」
「それでも、私の努力は結局薬のおかげだって、そう言ったじゃない!」
リリィの張り上げた声に反応してレイの身体が一瞬跳ねる。リリィがレイの目の前で大声を出したのはこれが初めてだった。
初めて見る親友の姿にレイは当惑していたが、考え自体は至って明瞭でそれが正しいと思っていた。今のレイには単純にリリィにとっての薬のようにキッカケがないだけで、それさえあれば自分にも魔法が使えるはず。反対にキッカケがどこにも無いのならいくら努力をしようとなんの役にも立たない。
しかし、レイの中では正しかった考えも外に吐き出した途端、リリィにとっての否定の言葉に豹変していた。
「薬のおかげなんかじゃない、私が今まで努力してきたからよ。努力なんて何にもしてこなかったあんたになんか……私の気持ちなんて、何も……何も分からないくせに!」
リリィの矛先は正面にレイを捕らえていた。その手に魔力を集めて魔法を紡げば、未だ練度の低いリリィの魔法であってもいとも容易くレイを傷つけることができる。そしてそれをするだけの理由がリリィにはあった。
レイからの返答を待たずに瞬間で編まれた魔法は基本に則った至極単純なものだったが、レイとリリィの近すぎるその距離を切り裂いて消え去った。
自身が放った魔法が消滅するのを見てリリィは数歩後退る。感情の勢いに任せて放った魔法が初めて人を傷つけた。今のリリィにとって懸命な努力の末に手に入れた念願の力は、所詮他者を傷つけるだけの危険な手段にしか過ぎないことを目の前で思い知らされた。
「努力だったら、私だっていっぱいしたもん。朝起きてから夜中まで本も読んだし、練習だって沢山やった。何もしなかったわけじゃないよ。それなのに…………リィちゃんだって、私のこと何も知らないじゃない!」
今度はレイの方がリリィに両手を向けた。まともな魔法すら完成させられないレイの手だったが、その見た目はリリィの物となんら変わりはない。そこからも自分がそうしたように他人を傷つける魔法が放たれるのだと考えると言い得ぬ恐怖がリリィを覆った。
手を向けたまでは良いとして、レイ本人もまさか本当に魔法が出るもは露とも思ってはいなかった。しかし、レイが目を瞑り、雫が滴るのと同時に確かに真紅に輝く魔法陣が手のひらに現れ出る。
レイの意思とは関係なくその魔力を強引に吸い上げると、魔法陣は反時計回りに回転を始める。次の瞬間には高密度に圧縮された線状の魔力がリリィの頬を掠めて空を貫いていた。
予想だにしない、見たこともない魔法に気圧されたリリィは力なくその場に尻餅を付いた。意識は確かにあったものの、恐怖の感情でぐちゃぐちゃに掻き乱されたリリィの精神は正常に物事を考えられる状態になかった。
一方で、もとより魔法を編む感覚など知らないレイにとっては何が起きたのかすら分からないでいた。ゆっくりと瞼を開け、涙で濡れた空色の瞳で何が起きたのかを理解しようとする。しかし、目の前で倒れている親友と何事かとこちらに視線を向ける生徒たちの困惑した視線が向けられるばかり。当然何も理解することもできず、慌てて立ち上がると何かに追われるかのようにその場から走り去ることしかできなかった。
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