箱に閉じる ―2


「扉開けたら部屋の中が真っ黒なんだからそりゃびっくりするだろ」

「うぅ……面目無いです」

「まあ、自主的に練習すること自体はいいんだけどな? もうちょっと気を遣って安全に配慮してだな」

「その言い方だとまるで私がわざとやったみたいじゃない」


 ルクスの意地悪な対応にレイが煤で汚れた顔で詰め寄る。あまりの圧に気圧されたルクスが慌ててそれを宥めた。


「悪かったよ、悪かったってば。だから凄むのだけはやめてくれ」

「珍しく私がやる気出したっていうのにそんな言いがかりは酷いじゃない」


 腕を組んでレイがそっぽを向いてみせる。しかし本心では怒りなどよりも、また失敗してしまったことに自体に落胆する気持ちの方が何倍も大きかった。


「だからこうして謝ってるじゃないか。お詫びとしてこれやるよ」


 ルクスが左手に持っていた紙袋をレイに差し出した。レイが視線をやると、ルクスが持っていたのは表に食堂の看板の印が押された紙袋茶色の紙袋だった。ありがとう、と形だけの気の抜けた礼と引き換えに紙袋を手に取ると、底の方から暖かさが滲んでくるのを感じた。


「何これ、見た感じ食堂の何かっぽいけど」

「腹減ってると思って軽食貰ってきたんだ。これならこことかでも食べれるだろ?」

「わあ、ありがとう。ちょうどお腹空いてたところだったんだ」


 今度こそ気の籠った礼を言うのと同時にレイが袋を開ける。中には作り立ての携帯食が入っていた。


 早速その中から一つを取り出すとそのまま口へと運ぶ。味はともかくとして、じんわりと広がる温もりがそのまま身体に染みるようだった。


「しかし、そんなんでもよく旨そうに食べるよな」

「本命はあのカレーとかが良かったけど、今は何か食べれるだけで十分幸せだよ」


数口で携帯食を頬張って口の中を空にすると、レイはすぐさま二つ目を取り出す。訓練場で一人でいたときとはうって変わって終始にこやかな表情だった。


「あのカレーったって無茶言うなよな。持ってくるまでに匂いでどうにかなりそうだ。でも、そんなに腹減ってたのか」


「お昼から何も食べてないからね。お腹も空くでしょ」

「ならなおのこと晩飯抜くべきじゃなかっただろ。怪我して医務室行ってたんだろ? そっちの方は大丈夫なのかよ」

「うん!?」


 ルクスの言葉に反応して一瞬レイが跳ねたかと思うとすぐにむせ返した。前屈みになって咳を繰り返すレイの背中を慌ててルクスがさすり始める。


「おいおい、大丈夫かよ。そんな慌てて食うから」


 飲水のひとつもあれば良かったのだがあいにくそんな物は無く、しばらく誤嚥した携帯食と格闘してようやくレイが落ち着きを取り戻した。


 突然のトラブルにレイの息は上がり、額に汗も滲ませてまるで走った後のような疲労感が湧いてきていた。


「いやぁ、びっくりしたぁ」

「びっくりしたのはこっちのセリフだろ。一体何に驚いたらそうなるんだよ」

「さ、さあ? 私にも分かんない」


 汗を滴らせて明後日の方向を向いたレイが不自然に誤魔化して見せた。ティアにしか話していたかったはずのことを何故かルクスの口から問われたことに驚いた、などと正直に言えるわけもなく、変に話題が広がるのを懸念して多くは触れなかった。


 三つ目の携帯食に手を付けずにレイは紙袋の口を閉じ始める。再度折り目をつけるようにきっちり口を畳むと封を元に戻した。


「もういいのか?」

「うん。小腹も埋まったし、それに早く始めないと」


 そろそろ訓練場内も綺麗になっているはずだ。夏季休業も半ばに差し掛かっていよいよ秋が迫っている中、レイに残された時間はそう多くはない。今のレイにできることが少ないとしても、できることを多くするためには一分一秒が惜しかった。


 ルクスが先に部屋に戻りレイが後に続こうとした時、ルクスと一緒にいるはずのティアがいないことに気付いた。


「そういえば、ティアは一緒じゃないの?」

「ああ、そういえばあいつ用事があるって言ってどっか行ったな」

「そうなんだ、急にどうしちゃったんだろ」

「ま、そんな長くかかるわけでも無いだろうし、そのうち来るだろ」

「だといいんだけど」


 ルクスに促されるようにレイも部屋の中へと戻る。親友の急な用事とやらが気になったが、今この場にいない人物に聞くわけにもいかなかった。


 部屋に戻ると煙は綺麗さっぱり無くなっていた。これも訓練場の設備のおかげだと考えるとなかなかのものである。


 部屋の中央まで進むとルクスがレイの方を向き直って問いかけた。


「さてと、最近の調子はどうだ? そろそろ初級の魔法は出来そうか?」

「ううん、さっき見た通り。魔法陣が出るところまではできるのにそこからがさっぱりで」

「進捗はあんまりか」


 基本魔法をある程度マスターしたレイの目下の課題は実戦で扱えるような魔法を覚えることだった。


 初級に限らず魔法はただ属性を纏った魔力を球として出現させる基本の物とは異なり、様々なイメージに合わせて形状を変化させながら魔力を編む必要があった。


 もちろん教科書に書いてあるような堅苦しい言い回しを多用した説明ならレイにとっては何度も読み返した文言である。しかしいざそれを実践する時になると、魔法が編み上がる直前で魔力が暴走して制御できなくなっていた。


「イメージはちゃんとできてるんだよ? 教科書とか他にも本で調べたり、先生とかに聞いたようなものも試してみて結構自分でも納得いってるつもりなんだけど、全然上手くいかなくって」

「直前でバランスでも崩れてるのか」

「完成間際に邪魔されるような感覚さえなければ上手くできると思うんだけど」

「前から言ってたやつだよな。魔力が逆流してくるみたいな感覚だったか?」

「うん、でもそんなこと聞いたことないし、全然分かんないよ」


 レイ以外にも魔法や魔力の扱いが拙い生徒は少数ながら存在している。しかし、レイの抱えている原因は他に類を見ない物だった。必要とされる魔力量が足りないわけでも、詠唱が間違っているわけでもなく、魔力自体の扱いが不出来なわけでもない。ただ魔法が発動する間際に覚えの無い魔力がそれを妨害してくるような感覚だけがあった。


「本当に最低限の魔力だけでやってみても……」


 レイが右の壁に向かって両手を伸ばして魔力を奔らせる。今度は焦らず慎重にごく僅かな魔力だけを手元に集めた。


「絡め、閉じ、焦がせ。緋の獄を以って我が渇きを為せ————烈火れっか


 魔法陣が現れ出でるのと同時に言葉を紡いで魔法を発動させる準備は完璧に済んだ、はずだった。一時は正常に魔法陣が時計回りに回転を始めたかと思うと、次の瞬間には思い描いた魔法ではなく激しく火花が散った。


「きゃっ!」


 火花の散る破裂音と強烈な光が一瞬で小部屋を満たした。咄嗟に目を瞑った二人だったが、瞼上からでもその激しさを感じずにはいられない。


 次に目を開けると壁の一角には黒く焦げ付いた跡が残っていた。魔法が暴発したレイは状況が飲み込めずに手を引っ込めて唖然としている。


「さっきとは違う暴走、か。怪我ないか?」

「うん、びっくりはしたけど他はなんともないよ」


 ルクスの言葉に返答しながらも、レイの目線は自分の衣服と同じように煤で黒く染まった壁に釘付けになっていた。


 また失敗した。言葉にこそ出さなかったが、レイの中でその言葉が重みを持って鎮座していた。


「もう一回やってみるか。今度は少しずつ魔力の量を少なくするようにやってみてくれ」

「うん」


 立ち上がったレイは先ほどと同じ場所に手のひらを重ねて向ける。体内を巡る魔力の量を徐々に減らして魔法を編む。しかし結果は試してみるまでもなくレイでも容易に想像がつく。不安定な魔力で魔法を編んだところでまともな魔法は発動しない。それでも魔法陣を出現させるとレイは言葉を紡ぐ。


「絡め、閉じ、焦がせ。緋の獄を以って我が渇きを為せ————烈火れっか


 先ほどと同じように時計回りに回転した魔法陣から間を置かずに激しく火花が散った。今回は目を焼くような光は出なかったが、結果的に壁の黒ずみを一回り大きくするだけにとどまった。


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