夜に吐き出す ―3

「今日……レイに会った」


 呟くようにリリィは声を絞り出した。真実を知られる恐怖はそこには無い。ただそうするべきなのだというリリィ自身にも逆らえない強い想いが送させていた。


 僅かに耳に届いたその声をティアは黙ったまま聞いていた。これから語られるであろうリリィの言葉がティア自身が求めたものなのかは分からない。しかし、何も邪魔せずその先を聞くべきなのだと自らそうした。


「レイは、私のことを友達だって言って……でも、私はそうじゃないって跳ね除けて。それなのにレイがいなくなってくれなくて。それで……それで…………傷付けた」

「リリィちゃん……」


 リリィがようやく吐き出した想いは泥のように重く澱んでいた。そしてリリィ自身もその中に居た。


 泥が覆い被さって見えなくなっていくリリィの姿を前に、リリィに届くような言葉をティアは思いつけなかった。


「レイの傷は全部私がやった。レイがそれを隠したのも私のせい。私がこの手でやった……」


 俯いたままリリィは両手を見つめる。親友を自ら傷付けたその手は泥がまとわりついて原型を見据えることもできない。拭っても振り払っても重苦しい泥はちっとも無くならない。それどころか徐々に厚みを増して次は手首にそして腕へと徐々にリリィを飲み込もうとしていた。


「本当、なの?」


 ティアの声がリリィへと向かう。リリィの言葉が真実かどうかなど最早どうでもよかった。ただ目に見えて沈んでいくリリィをどうにかして引き留めなくては、そんな気がしていた。


「嘘なんかじゃない。私がやった…………こんな風にッ!」


 リリィがもう一度両手で拳を握ったかと思えば、漆黒の魔法がティアの顔を掠めて背後に消える。


 軌道を辿るとリリィがティアの方へ手のひらを向けていた。


「リリィちゃん!」


 ティアが声を上げるのと同時に今度は体の両脇に三つずつ、そして正面からティアを貫くように複数魔法が放たれていた。


「……っ!」


 咄嗟に両手を胸の前に突き出すと身体中から魔力を集中させる。瞬時に時計回りに集約された魔力がティアが言葉を紡ぐまでもなく厚い氷の壁となって立ち塞がった。


 壁の向こうで魔法が弾ける音が鳴った。それを合図にティアの魔力が形を変え始める。


「果て無く届く魁の風よ。我が意に沿いて渦をなぞり流線を翔けろ————旋流閃せんりゅうせん


 指先に集めた魔力を目の前の氷壁に圧し当てると、分厚い氷が円柱状にくり抜かれて回転を始める。ティアが再度魔力を込めると十本の円柱が螺旋を描くようにリリィのいる方向へ飛び出した。


「————烈火れっか


 しかし飛来する円柱を予期していたのか既にリリィの手から魔法が放たれた後だった。二人の間で逆回転の螺旋同士が衝突し、勢いよく蒸気が上がる。足元の草に水滴を残して膨れ上がった熱波が広場を抜けていった。


 少しして霧が晴れると、先ほどまでの場所にティアの姿が無かった。手に溜めた魔力はそのままにリリィが左に振り向くと、視線の端に動く影を捉えた。すかさず魔力を変換すると言葉を紡ぐまでもなく闇夜に紛れる刃を放つ。


 動きを先読みされ放たれた魔法は完璧に逃げ道を塞いでティアの喉元へと向かっていた。しかし、寸前で眩い光が当たりを包むと、刃の先を受け止めるように光の球が浮遊していた。月明かりに照らされていた広場に現れた光はリリィの魔力を優しく包み込むと静かに対消滅していった。


「リリィちゃん」


 リリィの右に回ったティアが声をかけた。しかしリリィは俯いていてその声に振り向こうとはしない。


「リリィちゃん、やめようよ。こんなこと」

「やめる? 何をやめるって言うの。今さら無くしたものが返ってくるわけでも、欲しかったものが手に入るわけでもない。全部捨ててきた私にはこうやって何もかも拒絶することしかできない」

「でも、そんなこと誰も望んでないよ。私もレイちゃんも……それにリリィちゃん自信だって」

「あんたに何が分かるの。振り返ることもしないで傷付けて、拒んで、それなのに手を伸ばそうとしてた。でも私にそんな資格は無い」


 リリィの声が震えていた。怒りも悲しみも漏れ出した負の感情は、その全てが不器用で矛盾したリリィ自身に向けてのものだった。


 友達などではないと力尽くで退け、拒絶したものをいつまでも目で追っていた。そうするべきだと何度も自分に言い聞かせて、決して振り返らないようにと心に決めていたにもかかわらず。


「やり方が間違ってたことなんて私が一番知ってる。あの時私がもっと考えて行動していれば、違う未来になったのかも知れない。だけどそうしなかった今がこれなの。私の傲慢な自意識のせいで、全部を捨てなき ゃここまで来れなかった……たかだかこんな結果のために、私は全部を捨てたの」


 力の抜けたリリィの声が掠れて宙に消えた。


 後悔と自責が幾重にも脳内を駆け巡る。その度に矛盾した感情がリリィの首を締め上げた。


「私はもう後戻りすることができない。だからこのままこうして何もかもを拒んで跳ね除けて、独りで行くしかないの!」


 ティアが声をかけようとしたが、それよりも先にリリィの手の中で魔力が膨張した。頭上で淡い光を湛えている月のように、リリィの身体から漏れ出た魔力が薄紫色の光を放ち始める。


「リリィちゃんやめてよ。私はこんなことするために来たわけじゃない」

「そう、レイのことを話しに来たのよね。なら私には不要なものよ。無事でいたいのなら早くこの場から離れることね」


 リリィの魔力がより一層光を増す。学院で度々行われてきた実技試験でもここまでの量の魔力が胎動しているところをティアは初めて見た。それだけの量の魔力をリリィが稼働させられることに驚きを感じたが、それ以上にそれが脅しの類なのでは無く、このままではそれが実際にリリィの手から解き放たれるのだと言うことを肌で感じられた。


 そして、目の前で今まさに紡がれようとしている魔法を完璧に防ぐ術をティアは知らなかった。


「宵闇に潜む純なる性よ。汝の望みは我が術にあり。我が望みは汝の力にあり。我が術と汝が力をもってしてその秩序を崩落せしめろ————崩解ほうかい!!」


 しかし長年培ってきたセンスなのか、単純に生命の危機を感じた本能によるものなのか。何も意識せずとも多量の魔力が既にティアの身体を巡っていた。リリィが最大級の魔法を放とうとしていた間際にティアの魔法が間に合ったのはまさに奇跡的なタイミングだった。


「境界は我が手にある。世界の秩序は我が手にある。何人も干渉しえない絶対の令は我が手にある。故に、故に、故に、あらゆる全を繋ぎあらゆる全を受容する————繋界けいかい!」


 リリィの手から放たれた純粋な魔力の塊がティアの元へと到達する。一方、その刹那の時間の中、ティアの手元で展開された絶界の魔法が空間を薙ぐ無法な力を真っ向から撥ねた。


 衝突から間を置かずに周囲は飛び散った魔力の欠片に埋め尽くされる。術者の手元を離れ供給を経たれてもなお、それぞれの魔力は互いに反発しあってその度に淡く光を発する。僅かな光はやがて空間を包む輝きへと変わり広場を幻想的に照らし出した。


「リリィ……ちゃん、私はそれでもいいと思う。初めから上手くいくことなんてない。捨てたのならもう一回拾いに戻ればいい」

「あんたに何が分かるっていうの、そんなこと口だけなら簡単に言える。私が捨てたものは、戻ったところでもうそこには無いの!」


 リリィの手の中で魔力がさらに膨らんだ。それに呼応するように絶対のはずの障壁が歪み始める。境界で散る魔力の花は一層激しさを増し、また煌々と輝きも大きくなっていった。


 永遠とも思える均衡が徐々に傾きつつあった。リリィが力尽くで魔法の出力を上げれば対応してティアもその強度を上げる。しかし元より受けに徹していたティアの魔法ではリリィから一歩遅れた対応しか取れなかった。それゆえに僅かなズレから綻びが生じ、それが次第に全体へと波及するまでにそう時間はかからなかった。

 広場を包む光は直視できないほど光度を増して二人の目を焼く。だからこそ、ティアの魔法を突き破ってもなおリリィは攻撃の手を休めることはなかった。遮るものがなくなった魔力の渦は、地面を抉り取りながら直進し、力の供給が切れた先の魔力から少しずつ霧散して消えていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る