夜に吐き出す ―2
「ところで話は変わるんだけどさ、レイはどれくらい私の話をティアにしてたの?」
「リリィちゃんの話? うーん……最近は名前がちょっとだけ出てきただけだったし、一年生の時は仲良くしてもらってたんだろうなって思うんだけど、よく覚えてないなあ。でもどうして?」
「ううん、私はレイと仲が良かったときによくティアっていう同郷の親友がいるって話を聞かされてたの。頭が良くて優しいんだ、って。だから逆はどうなんだろうって思っただけ」
「そんなふうに言われてたなんてちょっと恥ずかしいかも」
うっすらとした月明かりしかない中で、それでもはっきり分かるほどティアが頬を赤らめる。自分が知らない場所で自分のことをどう話されているかなど知る機会は滅多にないため、つい口角が緩んでいるようだった。
「でも私もレイちゃんからリリィちゃんのことをたくさん聞いてたはずなのに全然覚えてないなんて、逆に申し訳いよ」
「そんなこと気にしなくていいわよ。私からすれば自分の知らないところで自分の話が変に広まることの方が恥ずかしいから」
「そうなんだ。でもちょっと気になるかも」
「気になるって、私の話が?」
「うん。レイちゃんってば私以外に積極的に友達作ろうとしないから、レイちゃんの友だちの話はすっごく気になるな」
言葉に引っ張られるようにティアがリリィとの距離を詰める。一人分空けていた空間はすぐさま無くなった。ある種威圧するような、期待を孕んだ言葉と眼差しが向けられると、そのあまりの勢いに反面リリィは上体を逸らせた。
「圧がすごいってば」
咄嗟に両手でティアを静止すると、リリィはそのまま押し返すようにティアを元の位置まで戻した。
「ご、ごめん。でもリリィちゃんのことだけじゃなくってレイちゃんと二人の時の話とかは本当に気になるよ」
「今日初めて会ったっていうのに、あんたってやけに警戒心が薄いのね」
単純に驚きを多分に含んだ視線をティアに向ける。
リリィからしても探りを入れたいことはあったが、いきなり踏み込んだ話をしようとは思っていなかった。しかし、ティアの言動はこちらに気を遣いながらも懐に潜り込んでくるような抜け目の無さをリリィに感じさせた。
ティアが本当のことを知らないといえばそれまでだったが、それでも初対面の相手がどういう人物なのかを大して知らないうちにここまで距離を詰めるのはいささか軽率なのではないかという印象をリリィに与えた。
「そうかな」
「仮に私がとびきりの悪人だとしたら、今相当危ない状況なのかもしれないのよ?」
「もしもリリィちゃんが悪い人ならそうかもしれないけど、少なくともリリィちゃんはレイちゃんの友達でしょ? そんな人が悪いことするわけないよ」
「だから初対面だって言ってるじゃない」
今度は呆れを吐き出すかのように大きなため息がリリィの口から溢れた。この調子ではティアに何を言っても無駄なのだろうと諦めが見え始める。
リリィが善人なのか悪人なのかはさて置いても、リリィから不必要にレイについての話をするのは慎重になっていた。
「もうかなり昔の話だからレイとのことはあんまり覚えてないの。そりゃ同じクラスだったことなら少しは覚えてるけど、どんな話をしたかとか一緒に何してたかまでは全然」
呼吸をするかのように、リリィの口から簡単に嘘が出た。いつのまにか心臓の鼓動は安定して息も楽になりつつある。しかし、その見た目とは裏腹に嫌というほど頭の奥底の方から込み上げてくる記憶たちに強引に鍵を掛けて、リリィはそれを足蹴に隅へと追いやった。
「そうなんだ」
残念そうな表情を露わにしてティアが項垂れる。今日こうしてリリィをの元を訪ねたのはもちろん悩めるレイのために他ならない。しかしそんな大切な親友とそのまた親友の話が気にならないといえば嘘になる。本来の目的が空振りに終わったことは残念だったが、それはそれとして興味深い話が聞けると思い過度に期待を向けてしまっていた。
「なんか忙しないわね」
目を輝かせて迫ってきたと思えばシュンとして残念がる姿など小動物を彷彿とさせる。尾でもついていようものなら動きの緩急についていけないかも知れない。しかし、そこまで過度に落ち込まれると流石のリリィも申し訳なさを覚えた。
「残念だけど覚えてないならしょうがないよ」
表に出ている態度や表情からして無理矢理捻り出したような言葉がティアから返ってきた。
徐に立ち上がると組んだ両手を頭上に向けてティアが大きく伸びをする。すらっと伸びた背筋とそれに伝う淡く淡麗な髪がリリィの目を奪う。
「それじゃあ今日は帰るよ。夜分遅くにありがとうね、リリィちゃん」
「本当に、もう良いの?」
暗に自分のことを探りにきたのではないかと勘繰っていたリリィからしてみれば、あっさりと引き上げようとするティアの行動は拍子抜けするものだった。どんなことを訊かれてもそれをどう掻い潜ろうかとしていた分、そのギャップは大きい。
「うん。本当に今日のことも含めてレイちゃんのこと何か聞ければ良いなって思っただけだから。それにリリィちゃんの邪魔しちゃ悪いだろうし」
「邪魔だなんてそんな」
ただ月を見て当てのない考え事をしていただけに、ティアの存在が邪魔だったとは毛頭思っていなかった。訊かれた内容自体は警戒するものだったことには違いないが、それでもリリィを現実に引き戻すにはそれぐらいが丁度良かったとも言える。
「それにそろそろレイちゃんのところに戻らなきゃ。待たせてるしね」
じゃあ、といってティアが校舎の方へと戻ろうとしていた。出てきた時は背後からだったのに帰る時は正面の方へと向かうのか。そんな疑問が頭をよぎったが、それよりも「ねぇ」と無意識のうちにティアを呼び止める方が先だった。
「どうしたの?」
不思議そうにティアがリリィの方を振り向いた。
一方でそんなつもりではなかったリリィは、自身の呼び止めの言葉に困惑していた。
しばらくリリィが言葉を選んでいる間もティアは黙ってそれを待っていた。早く本当のことを話せと催促しているようでリリィは忘れかけていた息苦しさを思い出さずにはいられなかった。
何度も言葉を選んでは喉元で止め、また選び直してを繰り返す。ようやく決まった言葉も喉が渇いて上手く発せられるからは定かではなかった。
「ねぇ、ティア。友達、って何だと思う?」
絞り出した言葉は何の脈絡もなく、リリィが想像していたものとは異なる思惑を持っていたティアにしてみれば、意味不明のものに感じるのかも知れない。
しかしティアはリリィの言葉を訝しむこともなく、僅かに笑みを表すと迷わずに言葉を紡いだ。
「友達、か。そうやって改まって聞かれると私もなんて言ったらいいのかよく分からないけど、どうしても忘れられない、大切な繋がりのことを友達って言うんじゃないかな。私はそう思うよ」
言い終わるとティアはことさら笑顔を向ける。その言葉はおそらくレイのことを想ってのものなのだろう。ティアにとってはその存在がレイなのであり、ティアの言う、忘れられない大切な繋がりが、レイとの間には固く結ばれているはずだ。
「そう」
眩しいほどのティアの笑顔をリリィは直視することができなかった。呆れるほど単純で、それゆえにこれ以上ないほど純粋な想いがリリィの方を向いていた。それを前にして自分から答えを求めたはずのリリィからは芯のない言葉しか返せなかった。
「でもそれって私だけじゃなくってリリィちゃんだって同じのはずだよ」
「私も?」
「うん。どう表現するかは人それぞれ違うかもしれないけど、相手を大切に想ってそう接することに違いはないはずでしょ? だってリリィちゃんもレイちゃんの友達なんだから」
本人を前に何度も否定して見せた言葉がティアの前ではじんわりと身体に染み込むように感じられた。
「大切に想って、大切に接する………………じゃあ、やっぱり違う」
だからこそ、そんな想いがリリィの中で明確な形を持った。
「え?」
「あんたの言うことが本当で、それが友達だって言うのなら……レイと私は友達なんかじゃない」
「な、何、言ってるの。リリィちゃん」
もう既にティアの顔から笑みは消え失せていた。その代わりに戸惑いが地面を伝って足元から這い上がり、全身を覆っているようだった。
俯いたリリィの表情は全く窺えない。しかし先ほどまでの穏やかな感情などそこには無かった。ただ誰かを嫌悪するような、悲しい感情がリリィから発せられているようだった。
「言葉の通りよ。友達なんかじゃない。私にとってレイは友達なんかじゃなかった」
リリィの拳が固く握られる。複雑に感情が混ざり合いいつの間にか真っ黒に染まっていた。
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