路を曲がる ―2
部屋を後にして廊下に出ると、窓の外は既に夜の帳が落ち始めていた。すれ違う生徒らは一日の予定を終えて部屋に戻ろうとする者だけでなく、レイたちのように早めの夕食に向かう生徒も散見された。
「レイちゃん、今日の午前中はずっと何してたの?」
ティアが左側を歩くレイに問いかける。その時ちょうど頬にも傷跡があるのが目に入った。まだ痛々しく色づいており、それほど時間が経っていないことが窺えた。
「午前中は読み終わった本を図書館に返しに行ってたよ。ついでにまた面白そうな本があったから何冊か借りてきたんだけど」
「じゃあ、怪我したのはその後でしょ? 見た目以上にレイちゃんに大事が無かったのは聞いたけど」
「またその話? さっきも言ったけど大丈夫だって。それよりも借り物の本を傷つけちゃいけないと思って投げ出さないようにする方が大変だったんだから」
「そんなことしてるからケガするんじゃない。借りた本を傷つけないのもそりゃ大事だとは思うけど、レイちゃんが怪我しちゃ意味ないじゃない」
「あはは、次からは両方気を付けるってば」
渇いた苦笑いの後でレイの歩みが少し早まった。それを応じてティアも歩を早める。ティアの位置からはレイの表情が見えないようになった。
前を歩くレイの後姿は、一見いつもと何ら変わりない。それだけを見れば、どことなく歯切れの悪いレイの言い分も単純にティアの杞憂に過ぎず、本当にただ本をかばって転んだだけなのではないかと感じられる。
それからしばらく会話はなく、両党を抜け校舎に入るまで二人とも無言のままだった。
寮棟と校舎をつなぐ渡り廊下に差し掛かると、あらかた日の沈んだ空が顔を覗かせていた。遠くの空だけがわずかに薄紫色に染まり、反対の空は深い藍色に染まり始めている。校舎の陰からはわずかに三日月が出ていて静かに地上を照らしていた。
「ねぇ、ティア」
急にレイが後ろを振り返ってティアを呼ぶ。
「どうしたの? 急に」
「やっぱり私医務室に行ってくるよ。今になってちょっと傷が痛くなってきちゃって」
レイがシャツの上から自身の腕をさすって見せる。ティアが部屋で見たときにいくつか傷跡があり血が滲んでいたところだ。
「う、うん。それは大丈夫だけど」
「だから晩御飯もルクスと一緒に食べてきてよ。私、今日はあんまりお腹空いてないからさ」
「え、いいの?」
ティアが目を丸くして聞き返す。レイの口から食事はいいなどという言葉が出てくるとは予想外にもほどがあった。
「うん、先に訓練場に行って場所取ってるから、二人は後からゆっくり来てよ」
「でも、レイちゃん毎日のご飯だけが楽しみだって言ってたのに……」
「流石に私もそんなことまでは言わないでしょ。でもお腹空いてないのは本当だからさ、二人だけで晩御飯行ってきてよ、ね?」
「レイちゃんがそこまで言うなら、いいけど……」
それじゃあ、とだけ言い残し、ティアの返答を待たずにレイは医務室の方へと廊下を走って行った。窓から差し込む月明かりが暗い廊下を駆けていくレイの姿をいつまでも照らしていた。
「行っちゃった……やっぱり、レイちゃん何かおかしかったよね。あんな風に言ってたけど、自分からごはん抜きだなんて今までなかったもん」
残されたティアが一人首を傾げる。親友のこれまでのぎこちない言動も、夕飯を抜きにして何か別のことを優先するという通常では考えられない行動がその怪しさを裏付けていた。だが、指摘する当の本人は既に廊下を曲がっていってしまった。仮に目の前で言えたとしても、何かしらの理由を付けてはぐらかされるのが関の山だろう。だが、裏で何かを抱えていることは揺らぎようのない事実としてティアの中で悶々と燻ぶるばかりだった。
親友はいつか自分からその悩みを打ち明けてくれるだろうか。レイの姿が見えなくなった後もティアはその後を追うように廊下を見つめていた。いつまでもどこまでも寄り添おうと決めた親友が、自分の手を離れていってしまうのではないかという言い得ぬ不安とともに、何か行動を起こさねばならないと使命感も感じた。
とはいえ、レイ本人に感づかれては元も子もない。まずはこのことをルクスに話そうかと考える程度で留めておいた。後ろ髪を引かれる思いは強いままだったが、ティアは仕方なくルクスの待つ食堂の方へと足を延ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます