断たれる願い ―2


 行く当てもなく廊下を歩く。窓から差し込む日差しが半身だけを熱く照らしている。廊下を吹き抜ける風が無ければ蒸し焼きにはもってこいの環境なのかもしれない。私の気も知らないで照り付ける日差しにいつもとは違う不快感を覚えた。


 中庭に続く廊下を抜けて外へ出る。気温は室内と大して変わらず、さっきまで涼しい保健室にいたせいか背中に嫌な冷や汗が滴るのを感じる。ちょうどよく日陰にあるベンチに腰を掛けてわきに薬の入った紙袋を置いた。


 初めて魔法らしきものを使った時、周りの誰よりも私が一番感動していた。自分にもこんな不思議な力があるんだ、って。だからこの学院に入学が決まったときも期待に胸を膨らませていた。


 でもふたを開けてみれば、初めて魔法が使えたのはたまたまで、実際にはまともに魔法が使えるほどの魔力は私には無かった。夢にまで見た学院での生活を一日目にして断たれた時にどうすればいいのかわからなかった。あれだけ感動した魔法が周りのみんなは自由に使えて、私には全く使えない。みんなも同じ子供のはずなのに、私だけ独り取り残されているような気分だった。


 この袋の中に今の私の生命線が入っているとは到底思えない。笑えない冗談でも言われている気分だ。でも、事実としてこれが無ければ私はただの人間でしかなくなる。それを考えだすと、一度は鳴りを潜めた感情がここぞとばかりに勢力を増して、私を飲み込もうと画策し始める。話す相手もいないこの状況じゃ完全に飲み込まれるのも時間の問題なんだと思う。


「リィちゃん?」


 背後から突然声がして振り帰った。日の照っている場所にあの子が本を抱えて立っていた。今一番合いたくないあの子が。


「やっぱり。どうしたのこんなところで……泣いてる、の?」


 言われてハッとして目頭をぬぐうと、確かに光る粒が手についていた。暑さのせいか、単純に私がどうかしていたのか、そんなことに全くに全く気付かなかった。


「泣いてなんかない。何も用がないならさっさといなくなってよ」


おかしなことを言ってるって自分でもよく分かってる。でも、これ以上近づかれて私の本心に気づかれたくない。今の私がこんなに弱っているのが知られ得たらなんて言われるのか分かったものじゃない。


「確かに用はないけど……でもリィちゃん」

「それ以上近づかないで!」


レイが一歩踏み出そうとしていたところを寸前で止める。ちょうど校舎の陰から日向に出ようとしていたところだった。近づかないで、今はそれしか考えられない。こんな私を知られたくない、私の頭の中を巡ってるそんな思いでいっぱいで。

「でも……」

「そこから出てくるようだったら容赦しない」

 私は右手をレイの胸元に向けて伸ばしていた。すでに手のひらには魔力が集中しつつある。長ったらしい言葉を紡がなくても、勢いに任せてここにある魔力を放てばいとも簡単に魔法が放たれる。無防備のままなら多分ケガは免れない。


「違うよ。そんなつもりじゃない。ただ、たまたま通りかかったところだったから、話でもって思っただけで」

「話すことなんかない。大体、私は最初からあなたと慣れ合うつもりもない」

「でも……私は」


先を聞く前に私の手から魔力の塊が放出される。闇の属性をまとった魔力は宙で瞬時に形を変えて無数の針のようになって飛んでいく。反射的に腕で顔を覆ったレイをかすめるようにして、背後の壁や柱を砕いて突き刺さった。それから少し遅れてレイの腕や腹部から真っ赤な血がにじむのがわずかに見えた。


「これが私の答え。あんたがなんて言おうと、なんて思おうとこれは変わらない」

「違うよ。私、そんなつもりじゃないよ。だって」

「友達だから、なんて言うつもり? 何度も言わせないで。私とあんたは友達でも何でもない。これ以上何か言うつもりなら次は外さない」


 レイがまるで小動物みたいに怯えていた。拳を握ったその手は小刻みに震えている。何か言いたげにレイは何度も口を開けては閉じてを繰り返していた。


「私はこれだけ言ってるのに、そこまで固執するのか私には分からない。なんで、どうして。何度だって言ってるでしょ。私たちは友達なんかじゃないって」

「私だって分からないよ。なんでリィちゃんはそんなことを言うの? 私にとってはこの学院でできた初めての友達なんだよ。それなのに、友達じゃない、だなんて」

「あんたが己惚れて勘違いしてただけじゃない!」

「そんなことない、そんなことないよ!」


 二人してだんだん声が大きくなっていく。


 ちゃんと考えてから私は何か喋ってるわけじゃない。奥底の方で抱えてるものをただレイにぶつけてるだけ。言葉の力で一方的に私の気持ちを押し付けているだけだ。ほとんど暴力と変わらない。


 レイが次に発する言葉を考えてるみたいだった。何を言われてももう私の気持ちは変わらないのに。無意味なやり取りを無理やり終わらせるにはこうするほかない。私はもう一度手を前に出すと魔力を胎動させた。


「早くここからいなくなって。じゃないと……」

「じゃないと、どうするっていうの」

「これをあんた目掛けて撃つ。今度は確実に」


それだけ忠告してもレイはその場から一歩も動こうとしない。それどころか、絶対に動かないって決意を固めたようにも見える。ここから見えるレイの瞳には薄らとしずくを溜めていた。


 もう後には引けない。魔力がその形を変えて魔法に変わろうとしている。後は数行程度の言葉を紡ぐだけで、解き放たれた私の魔力がレイを襲う。


「本当に退くつもりはないんだ」

「たとえリィちゃんのお願いでも絶対に嫌だ。分かってもらえるまで、話してくれるまで私はここから退いたりしない」

「何度も言ってる。話すことなんて何もない」


 何を言ってももう無駄なんだとようやく私の中で諦めが付いた。今この手の中にある魔法を解き放たなければ今この状況は変わらない。こうでもしなきゃ変えようがないんだ。でも、こんな簡単なことで済むのならもっと早くこうしていればよかった。手に凝集した魔力を握りこんで私は言葉を紡いだ。


「絡め、閉じ、焦がせ。緋の獄を以て我が渇きを為せ!――――烈火れっか


 手の中で急激に魔力が膨らみ始めて端から炎が噴き出す。勢い良くこぶしを前に突き出すのと同時に、圧縮された魔法が解き放たれた。


 手のひらに現れた魔法陣から属性をまとった魔力の塊が溢れ出す。意思を持っているみたいに相手を閉じ込める魔法。完全に決まれば私が魔力の供給をやめない限り、レイがこの魔法から逃れることは難しい。


 授業でもそう習ったし、実際に私もそう思っていた。ましてレイ程度がこの魔法に対抗しようとしても無駄なのに。けど、その予想は外れてたちまち私の魔法がかき消された。それもたかが無詠唱で済む基本魔法に。


 一瞬でレイの手元で膨らんだ魔力が球の形で現れた。基本魔法とは言ったけど、まさかレイの身長よりも大きな球が現れるなんて思いもしなかったから、私も少し驚いた。バカみたいに燃費の悪そうな使い方だけど、学院の魔力ランプを壊すだけの魔力があればむしろ気にならないのかもしれない。もしくはそれしか選択肢が無いってだけなのかもしれないけど。どちらにしても私の放った魔法は、レイの魔法に飲み込まれてあっさりと消滅してしまった。


「閃光の凍てつきは鋭敏さにかけて無比の刃と成せ!――――雹閃はくせん


 それでも、私はそれを見て続けざまに魔法を編んでこれを放つ。細く鋭く圧縮された氷の閃光は出力だけの雑な魔法を貫通して、そのまま術者を貫いた。目の前で煌々と燃える火球の裏側で小さな悲鳴とともにレイの倒れる音がした。


 中庭に吹き込んだ風が私の汗と一緒に支えを失った火球を噴き流していく。燃えていたはずの魔力の塊は、徐々に小さくなってやがて空気に溶けていった。後には何も残っていなかったけれど、崩れ落ちた柱とその前に生徒が倒れている光景は傍から見ればただ事じゃないって思われるに違いない。


「ちょっとやそっと頑張ったところであんたは何にも変わりはしない。何やったって無駄なだけよ」

「無駄なんかじゃないよ。今もこうして、ほんの少しだけど魔法を使えるようになった。あの時までの私じゃない」


 崩れた瓦礫に足を縺れさせながらレイが立ち上がる。腕に加えて新しく肩のあたりにも赤いシミが滲んでいた。


「たかが基本魔法だけでしょ? そんなの入学したての子だってできる。試験のためか何なのかは知らないけど、そのためにあんたが努力するのなんて無駄だって言ってんのよ」

「じゃあ、見ててよ……私の今までの成果を」


 そういうとレイは言葉を紡ぎ出す。


「絡め、閉じ、焦がせ。緋の獄を以て我が渇きを為せ!」


 私がさっきやったものと同じ詠唱だった。だからこそそこまで警戒なんてしてなかった。私だけじゃなくて誰もがよく使うような魔法だし、その対処法だっていくらか知ってる。


 そんな知り尽くした魔法でも、使用者の能力をよく知らないのは誤算だった。レイが使う魔法なんて基本魔法ぐらいで、その他は失敗する物ばかりだと思っていた。だからどれだけ魔法が使えるのかなんて分かるわけがない。でも、だからこそさっきの基本魔法を見たときに警戒しておくべきだった。


 レイが付きだした手には私の時とは比べのものにならないぐらい大きな魔法陣が現れていた。魔法陣の大きさだけじゃない。普通の魔法を使っているだけなのに、余分に集まった魔力が体から漏れ出している。それも目で見てわかるほど。恐ろしくゆっくりで、それでも桁違いな規模の魔法が完成しつつある。それを見て恐怖を感じないわけがない。知らない間に私の手と足の震えが止まらなくなっていた。


 あとは魔法の名前を呼ぶだけ。それだけで、あの規格外の魔法陣から見たこともない規模の魔法が飛び出してくる。ゆっくりと回り始めた魔法陣を前にしても、やっぱり私の手足は動き方を思い出してくれない。本当は氷属性の魔法を編んで目の前の化け物を打ち消すべきなんだろうけど、委縮して手足を動かすどころか思考もままならないみたい。魔法の名前が呼ばれるのをただその場に立って見ていることしかできなかった。


「――――烈火れっか!」

 レイがその名前を叫んだ瞬間、膨らんだ風が一気に押し寄せる感覚と同時に目の前で大きな火花とそして黒煙が爆発した―――――


 ひとしきり灰の中の煙を吐き出した時にはだいぶ時間が経っているような気がする。あたりに漂っている煙の残りも風がどこかに運んだみたいで、ようやく視界も鮮明になりつつあった。


「あ、あれ? また、失敗したみたい。あはは……」


少しずつ姿が見え始めたレイが、また壁に打ち付けられたのか瓦礫の上に倒れて笑っていた。この状況で、だ。


「……本当に腹立つ」

「え」

「あんたのそういうところが本当に腹立つって言ってんの! 失敗したら笑って誤魔化して、反応に困ったら笑って誤魔化して。何にもまともに向き合わないでそうやって笑ってれば済むとか思ってるその態度が癪に障るのよ!」

「そ、そんなつもりじゃ」

「またそう言って逃げようとするじゃない。あの時だって笑い話で勝手に済ませて。私が思いだって知らないで。相談した私が馬鹿だったみたい。あんたのそういうところを知ってたら、初めから話そうとなんてしなかった」


 私の中で何かタガが外れるような気がした。自分に後がないってことが関係しているのかもしれないけど、自分の置かれた状況に真剣に向き合おうとしていないレイを見ていたら、今のこの思いをぶつけずにはいられなかった。


 いろいろと吐き出しながら同時に、何故か私たちが入学したての一年生だった時のことを思い出していた。レイと初めて会った時のこと。何か特別な理由があったわけじゃないけど、お互いの境遇を知ってか知らずか、奇妙に魅かれ合うようにして私たちは知り合った。けど、今はあの時のことなんて嘘みたいに私はレイを忌み嫌って避けている。


「嫌いだった。あんたのこと私はずっと……ずっと大っ嫌いだった」


 レイは何も言わない。俯いたままで、表情も見えない。ただ、拳だけは固く握って、何か言いたそうにしていて。本心を思いっきり吐き捨てたはずの私は、何故か胸が締め付けられるように痛い。


「……ごめんね。リィちゃんがそう思ってたなんて、私全然知らなかった」


 レイの声が震えていた。でも、私が求めていたのはこんな謝罪なんかじゃない。だけど、私は自分自身が何を欲しがっているのかさえ分からない。この後どうしていいのかも分からない。私は何もかもが分からなかった。


「私、戻るね。邪魔しちゃって……ごめんね」


 そういったレイは、泣きながら笑っていた。どうしてそんな顔をするの、なんて聞けなかった。でも、それだけ言ってレイは暗い廊下に消えていった。


 その後ろ姿が見えないのは、私がずっと陽を見ていたからなんだろう。

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