断たれる願い ―1

 教室ほど空調の設備が整っていない寮の部屋は、窓を開ければ外の灼熱のような空気が勢いよく部屋を満たすし、かといって窓を閉め切ればまるで蒸し焼きにされているみたいな感覚になる。要するに、学生の日がな一日を過ごす環境としては最悪ってこと。仮にも学生に与えられたわずかなプライベートな空間だっていうのに、これじゃあ部屋を出て学院のどこか人目の付く涼しい場所で過ごせって言われているみたい。


 もしも氷魔法が得意な生徒がルームメイトにいれば話は別なのかもしれないけど、あいにく私の適正は闇で、頼みの綱のルームメイトは火の適正。これでもかってぐらい夏との相性は最悪。こんな環境の中で課題に追われていた去年までの夏休みはどうかしてたんじゃないかとすら思う。


 って感じるのは本当に何もない日だけで、用事があってそもそも一日中部屋にいないような日は別。今日みたいに魔力動作の空調が完備されている保健室で検診を受けるっていうならそんなの関係ないから。壁も天井も置いてある棚とか、なんに使うか分からない検査の魔道具だって端から端まで白銀で揃えられてる保健室なら、視覚からも熱さなんて感じないまま過ごせるに違いない。


「やけに涼しげな顔をするんだな、リリィ。これから大事な検診結果を聞くっていうのに」

「寮の部屋に比べたらこんな涼しい部屋なんて天国みたいなものですよ」

「そういう意味で言ってるんじゃないって、お前ならわかってくれると思ってたんだがな」


 そう言って目の前で頭を掻いている先生には、私たち生徒の気持ちは分からないんだ。どうせ毎日こんな快適な部屋で暇をむさぼっては好き勝手やってるはずなんだから。


「自分のことですから、もちろん健診結果は聞きますよ。なんのために時間を取ってもらったと思ってるんですか」

「そう思うならもうちょっと真剣そうな態度で臨んでだな」


 言われなくたって私はいたって真面目だ。まして自分の体のことなんだから、文字通り他人事じゃない。


 机の上に広げられている書類はおそらく私の検査の結果。横目にちらっと見たけど、ほとんどなにを書いてあるかは分からなかった。やけに枚数があるのはそこまで詳しい検査結果なのか、それとも全く関係のない書類まで混じっているのか。この先生ならどっちかと言えば後者の方があり得そうなのが怖い。先生はそこからゴソゴソと目当ての書類を探し始めた。


 真剣に臨め、なんて説教じみたことを言うぐらいなら前もって準備ぐらいしててもいいのに。でもこんなことを言ったらまた怒られるような気がする。


「あった、あった。これがついこないだの検査の結果な」


 見せられた一枚の紙は、上の方に私の名前と、その下にはこれまで何度か見せてもらったことのあるようなグラフとか図が書いてあった。けど、素人の私からしてみれば何がどうなのかはさっぱり分からない。


「毎回思うんですけど、なんて書いてあるんですか? 私にはさっぱり」

「だろうな、専門の知識がなきゃ分からないだろう」

「バカにして面白がってるんですか」

「してない、してない。そんな怖い顔で観るなって」


 膨れた顔の私に先生が続ける。先生の表情が険しくなって声のトーンが低くなるのを感じて私は身構えた。


「まぁ、なんだ。結果から言うと、あまり状態が好転してるとは言えない。今も薬の効果があるときだけ魔法が使えてるみたいだが、一度効果が切れればしばらく魔力が自由に扱えなくなる。薬効が出てるのも丸一日程度で短いしな」

「やっぱり、良くはないんですね」


 そう言いながら私は項垂れた。良くなっている気配がなかったのは自分のことだから分かっていたつもりだったけど、いざきちんと宣告されると一言ずつが重くのしかかるような気がする。


 入学してすぐ、先天性の病気で私はうまく魔力が扱えないということを知った。適性検査でも碌に魔力ランプは光らなかったし、その後の授業でもクラスでの評価は下の方だった。


 どうにかして魔法が使えるように、って先生たちに相談して、今はいろんな治療法とか薬を試しているところ。どうにか実技試験でもそこそこの結果が残せる程度には症状が緩和されているけど、それも薬のおかげで私本来の力じゃない。そして先生が言うように、一度でも薬を飲むのを忘れれば数日は魔法が使えなくなるほど私の病状は芳しくない。


「これ以上は、もうどうにもならないんですか」

「現状は、だな。学院の伝手で試せる治療法や薬もこの七年間でし尽くしたところだ」

「そんな……それじゃあ私は一生このままってことですか」


 声が震えた。もちろん薬に頼り続ければ今まで通りの生活を続けることができるのかもしれないけれど、それができるのはおそらくこの学院にいれる間だけ。ここを出ていかなくちゃいけなくなったときには、その先魔法の使えない人間として生きていくことしかできない。


 そんなの嫌だ。なんのためにこの七年間努力してきたのか。自分でも何かできないかって必死に調べて実践して、薬が無くても魔法が使えるようになるために頑張ってきた。


「何か、何か方法は。私なんでもやりますから」

「落ち着け、落ち着け。まだ完治しないって決まったわけじゃないだろ。試し尽くしたって言っても学院の息のかかってるところから手に入れたものばかりだ。卒業した後に探せばまだ治療法だって」

「卒業してこの学院から離れなきゃいけなくなったら、私は外の世界で魔法の使えない人間として生きるしかないんです。そんな状態でどこにあるかも分からない治療法を探すなんて、できるわけないじゃないですか!」


 自分でも驚くほど大きな声でそうまくし立てた。先生に当たったところでどうにかなるわけでもないのに。それに、自分でも正直言って無理なことを言ってるって分かってる。


 学院が外にどれくらい影響力があるのかは私にも分からないけど、かなりの方法を模索してくれていたことは今までのことを考えれば簡単に想像が付く。それでも無理だって言うんだから、本当にダメなんだ。仮に探したところで当てもなければ、見つかるなんて保証どこにもない。


「私だってたった一人の生徒であっても苦しんでいる姿は見たくない。だからこの学院で医師をやって、今もこうして方法がないか探している」


 俯いたまま、頭上に先生の声を聴いていた。この状態から前を向く方法を知らない。私の中心で少しずつ大きくなっていくモヤモヤが今もなおこの体を蝕んでいるようで、だんだん息が苦しくなっていった。


「そしてだ、目の前でこうして苦しんでいるリリィのためにこれを話す」


 方法はないってそういったばかりなのに、何を話すことがあるっていうの。単なる励ましの言葉なんて、そう思って私は顔を上げる。


「リリィは賢者って知ってるか?」

「賢者? 何のことですか」


 聞き馴染みのない単語だった。それが私の病を治してくれるものなのかは分からない。だから、やっぱり先生は治療の方法じゃなく私を励ますための言葉を選んでいるようにしか思えなかった。


「賢者っていうのは、そうだな。簡単に言えばこの世で一番魔法の才能に富んだ人のことを言うんだ。賢者が使う魔法は、それこそ奇跡のようなもので、望むことならなんでも実現することができるそうだ」

「望むことなら何でも、ですか」


 何故か得意げに説明する先生の話はにわかには信じられない。そんなすごい人がいるなんて、仮にも魔術の学院に通っているのに聞いたことが無かった。


「世界にはその賢者と呼ばれる人物が複数人存在しているらしい。それを探せるのならリリィの病だって治せるとは思う」

「でもそれ……その人はどこに?」

「それは私にも分からない。何せ私だって聞いただけの話だからな。どこかの国に定住しているとも、旅を続けているとも、はたまた姿をくらませてどこにいるのかも分からないとも言われてる。だが、存在するかも分からない治療法を探すよりも、どこかには必ずいる賢者を探す方が確実だと思わないか」

「その賢者って人たちが本当にいるなんて分からないじゃないですか。魔法に深く関係している人たちのことなのに、私はこの学園の中でそんな人がいるなんて聞いたことありません」


 先生の言っていることが本当なら、本当にそういう人を見つけられるのであれば、確かに病を治すってことは実現できるのかもしれない。でも、どこにいるかも知らないのならありもしない治療法を探すのと何の変りもない。結局私には残された時間が無いことも変わらないし、実現の可能性も限りなく小さいものなんだろう。


「それは、なんというか。ここの方針って言うのか」

「分かんないです。都合のいい夢物語ならもっと歳の低い子たちにするべきです。今の私が聞いたって意味なんて無いです」

「嘘みたいな話だがこればっかりは本当なんだ。私だって実物を見たわけじゃないし、にわかには信じがたいことなのも分かるが、実在はするんだ」

「じゃあそんなのどうやってそんなの証明するんですか!」


 今先生に対して文句を言ったってしょうがない。でも胸のあたりを内側から締め付ける行き場のないこの感情はどうすればいいの。どこかに吐き出してしまわないと大きく膨らんで、いずれ私自身が破裂してしまいそうだった。


「……そうだな。そういわれたら反論のしようがない。思い付きでしゃべった私が悪かったよ。すまないな」

「いえ、私もなんだかよく分からないまま大きな声を」

「でも、少なくともリリィが卒業するまでは最大限私としても支援はするつもりだ。他に何か方法がないかまた調べてみるよ」

「すみません。ありがとうございます」


 いったん落ち着いて気持ちがゆっくりと沈むのと同時に、私の中から覇気というものが抜けていくような気がした。今まで病状が好転していないと言われても、まだ時間があるから、ゆっくり治していこう。そう自分に言い聞かせていた。今すぐには無理かもしれないけれど、時間をかければいつかは治るんじゃないかって、今思えば根拠もなく楽観的に物事を見すぎていたのかもしれない。


「とりあえず、今月分とそれから来月の分の薬は渡しておくぞ」

「はい……ありがとうございます」


 そう言って私は茶色の紙袋を二つ受け取った。どちらにも最近ずっと飲んでいた粉薬が入っているんだと思う。一時的に体内での魔力生成を促してくれる薬だそうだ。今はこれ無しじゃ碌に魔法も使えないようになってしまう。まるであの子みたい。頭の中で顔まで思い浮かぶのに、いつものように嫌悪感すら湧いてこなかった。


 薬の紙袋を受け取ると私は保健室を後にした。単純に声を張り上げた反動なのかあれ以降先生と目を合わせて話すこともできなくなってしまった。俯いたまま保健室を出ようとした時、先生に「お大事に」と申し訳なさそうに言われたことが余計に私の心に強く影を残していった。


 誰かみたいに、私にもあと数える程度しか時間が残されてはいない。どうしようもない事実とどうにかしたいという自分の想いが混ざり合ってどうにかなりそう。無意味によく頑張れる、だなんてよく人に言えたものだ。誰がそんなことを言ったのか。自分のした言動が今の私の状況を言い表すにはぴったりだった。

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