長蛇と誹り ―3
「レイちゃん、お待たせ」
盆の上に三人分の料理を乗せたルクスとティアが戻ってきた。レイの位置からでも例が頼んだ例のカレーが見えている。
「さっきよりも人の数増えてるみたいだね。席が取れててよかったよ」
「ギリギリセーフって感じだな」
レイの右隣りにティアがそしてルクスがその正面に座った。ルクスが運んできた盆からそれぞれの前に料理が移される。レイの前にはもちろん香辛料の香りが辺りに漂うカレーが来る。
「レイちゃんどうしたの。何かあった?」
待ちに待った好物が目の前に運ばれてきたというのに、浮かない表情をしているレイの顔を覗き込んでティアが様子を窺う。いつものレイに見られる溌剌な笑顔がどこかに消えているような気がした。
「え、あ。ううん。何でもないよ。ごめんちょっとぼーっとしてて」
「ならよかった。なんだかあまり元気なさそうに見えたから」
「どうせ腹が空いてただけだろ。早く食べようぜ」
ルクスに急かされるようにレイは手元にあった学院紙を折りたたんで制服のポケットに無造作に突っ込んだ。
慌てていつものように取り繕っては二人に心配かけないように振舞ってみせていた。沈んだ気持ちを二人に悟られるわけにはいかないのだが、本当にばれていないのかと思うと冷ややかな汗がレイの背筋を伝った。
「二人とも同じやつみたいだけど、それで足りるの?」
「うん、私たちあんまり動いてないからレイちゃんほどお腹空いてないんだ。それに私結構これ好きなんだ」
ティアたちが注文したソバは何の変哲もなく、量も決して多いとは言えない。メニューによれば魚で出汁を取っているとかで見た目こそ地味ながらもそこそこの人気を誇っているらしい。
「しかし本当にそれ食べるんだな」
目の前に運ばれてきたご馳走を早速レイが口に運ぼうとすると、箸でカレーを指さして怪訝そうな表情を向けてルクスがそう言った。ルクスの疑い深そうな視線がレイの口元まで差し掛かったスプーンと皿を往復しているのが分かる。同時にまともな人間が口にするものではないと抗議しているようにも見える。
「ちょっと。人が好き好んで食べるものに文句なんて言わないでよ」
「って言っても米が付いても辛すぎて誰も頼まないことで有名な激辛カレーだぞ。それをさらに辛くしてネギまで増やしてさ、食べる食べないの問題以前に正確な味なんてわかんなくなってるだろ」
「そんなことないよ。辛さにはそれなりの理由があるし、ネギにだってちゃんと役割ってものがあるんだから」
ルクスの言うようにこのカレーは学院内でも群を抜いて不人気メニューだ。しかし、それでもメニューとして存在しているということは、少数ではあるがレイのように熱烈な愛好家たちが存在しているということ。過去不人気の波にのまれ消えていった料理は数多くあれど、レイたちが入学する以前からこのカレーが姿かたちを変えずに食堂のメニューの一角に名を連ねているという事実に間違いはない。
そもそも数少ない癒しとなりうるこの料理をそんな不審物を警戒するような目で見られることはレイにとって不本意極まりなかった。
「辛さの中にもちゃんとした味と繊細なうまみが凝縮されてるの」
「もはやなんでそんなに辛い物食べて平気でいられるのかわかんねえよ。我慢するので精いっぱいだっていろんな奴が口を揃えて言ってるぞ」
「この辛さがいいんじゃない。濃厚で奥深いカレーの旨味を辛さがいいアクセントとして引き立ててるんだって」
「それを普通の人間のレベルじゃアクセントとは言わないんだよ」
「レイちゃんの好みだから否定するわけじゃないけど、私も心配になってくるよ」
隣に座っているティアですら訝しげなことを言い始めた。唯一の味方として頼りにしていた親友にまで好物を理解されないレイのこの気持ちは行き場を失ってしまった。
確かに一般的に言えば多少は辛い物の部類に入るこのカレーでも、それはあくまで少しであって度し難いまでの暴力的な辛さではない、とレイがどうにかして二人に説明したところで到底通じることはない。これまでの反応を見れば明らかだった。
「第一、味だけじゃなくって匂いだってすごいじゃないかそれ。ここまで何人の生徒に不審がられたことか」
「そんなに酷くなんか――――」
レイが言いかけた瞬間、丁度ルクスの背後を数人の生徒が通った。もれなくその全員がレイの手元に一瞬怪訝そうな視線を送るとそのまま立ち去ってしまう。
「そんなに、酷いかな。これ」
「ちょっとだけね」
控えめに伝えるティアも内心はルクスの意見に完全に傾倒していた。ティアもルクスも辛いものが苦手というわけではない。二人ともソバには欠かさずトウガラシを振り、カレーの甘口も数年前を境に卒業した。
しかしこの激辛カレーはこれまでの常識を大きく逸脱したものを持っていた。漂ってくる微量な香りだけで周囲の人間らの鼻腔が強烈な辛さを敏感に感じ取り喉が痛みを訴えるほど。これでは食欲増進どころかそもそも食事処ではないやりすぎの部類だと言える。それこそ、これを好物だと言い張って嬉しそうに頬張るレイの内臓が心配になるほどに。
「そんな……こんなにおいしいのに」
一口大ほどのスプーンにコメとルーを掬うとレイはそれを口へと運ぶ。ルーがした先に触れた瞬間に深いコクとスパイスの香りが口いっぱいに広がる。それを後から追いかけるように辛みが刺激として押し寄せては次の一口、またその次と息をつく間もなくおかわりを催促してくる。この繰り返しがたまらなく好きだとレイは二人に力説しようと試みたが、やはりどちらも聞き入れてくれそうにはなかった。
「この後はどうしようか」
ティアがそれまでの談笑の流れを遮るようにして話を始めた。その頃には既に三人とも各々の料理を食べきりそうなところまで差し掛かっていた。
「そうだな……午前中の様子からしていきなり実践レベルのことは無理そうだからもっと基礎から――」
レイが追加でルーにトウガラシを追加したところだった。それを見てティアとしゃべっている途中だったルクスの口が一瞬止まる。
「おい、人が大事な話をしている最中だぞ。トウガラシはやめろ」
「ごめん……ちょっとにしとくね」
追加で二度三度と手首を振るとレイはケースをテーブルわきに戻した。それを確認してルクスが咳払いをすると、右手に持った箸を指示棒に見立てて話を再開する。
「さっきも確認したけど、今後のレイの課題は二つだ。まずは魔力のコントロール。これは基本魔法で訓練しよう。繊細な魔力制御をどんな状況でも完ぺきにこなせるように感覚として身に着ける。そして二つ目が根本的な技術の改善だ。これは呪文を詠む速度だったり手を使わなくても思った場所に魔法を出したりとかな」
ルクスの言葉と同時にレイは訓練場での出来事を思い出した。突発的に暴走が起きたことでレイの制御を離れた魔力が今でも脳裏に焼き付いていた。
これからどんな魔法を扱うにしても、そもそも魔法としての形を成して自由にコントロールできないのであれば話にならない。理屈としてはその重要性も理解しているというのに、レイが一番苦手としているものだった。
「この後もう一回訓練場戻って早速午後から始めるぞ」
ルクスの声にレイもティアもうなずく。それと同時にこれ以上身辺に被害が出ないようにと心に誓って気を引き締めた。
レイの器が綺麗になると三人は席を立つ。食堂の壁に掛けてある時計は午後一時を回ったところだった。依然として食堂内は満員の状態でしばらく席も空く様子はなかった。
「レイちゃん、今度医務室に健康診断しに行こうね」
「なんで今? 別に何も異常なんてないよ」
「お前の胃にいつ穴が開くのかティアも気が気じゃないんだろ」
「何それ。心配しすぎだよ」
二人の度が過ぎる心配に不意に笑みがこぼれた。好物のものを食べて健康を害するわけがない。確かに同じものを食べすぎるのはたとえ体に良いものでも良くないとはよく聞く。しかしそれならそうと言ってくれればいいのに、レイはそう思ったが、二人はどうも聞き入れてはくれなさそうだった。ただ、ティアがそう心配するのならそれでもいいか、と頭の片隅ではそう思った。
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