長蛇と誹り ―2
二人が待機列へと向かうのを見送ると目の前でタイミングよく空いた四人掛けのテーブル席を見つけて腰を落ち着ける。
二人がどれぐらいで戻ってくるだろう、と待機列の方に目をやるが、しばらくは戻ってこれないように見える。
こんな時ちょうどいい暇つぶしがレイの手元にあった。食堂にくるまでの廊下で配られていた学院紙だ。名も知れない有志の生徒が毎月発行しており、学院内での情報流通を目的にイベントごとの告知やら、果てにはニッチなファンでも付きそうなゴシップの類も取り扱っていた。
行事毎の告知なら他でもされており、まして噂話に関しては大して興味も湧かないはずが、そんな学院紙に今日はどうしてか不思議と手が伸びていた。
「何か面白いことでもあるのかなって思ったけど、やっぱり卒業試験がどうのこうのって。今一番見聞きしたくない話題なんだけどな……」
忘れかけていた陰鬱な気分がレイの中で焦りとともに湧き上がってくるのを感じる。一面には担任から再三説明された実技試験の詳しい内容や細かな規則について書かれていた。
『一試合は三十分で行われ、その間にギブアップを申し出るか保護カプセルが起動すれば負け扱いとして黒星が記録される。保護カプセルから展開される超強力な保護障壁は七重の球状に展開され、どのような魔法を以てしても傷付けることすら困難である。このシステムにより卒業試験のみならず学期末試験における実技科目での生徒の安全が保障されている』
保護カプセルというのは学園で使用されている戦闘訓練用の保護魔法装置のことで、つまめるほどのカプセルの中に複雑かつ多重の陣があらかじめ圧縮されている。そこに少量の魔力を流すだけで中身が展開される。
汎用性もさることながら比較的低コストで量産できるということもあり実技試験だけでなく授業においても生徒同士の戦闘訓練が度々おこなわれる学院には大量に配備されており、都度大変重用されていた。
そもそも授業ですら戦闘訓練をしたことがないレイはあいにくこの装置の世話になったことはないが、このカプセル導入後に学院内における試合などでの二次被害を出したことが無いとされていた。さらにその記事の下には続くように長々と反則行為などの注意事項が一覧にまとめられていた。そのほとんどがこれまで何度と耳を塞いで受けて流してきた実技試験と同じのもののため今さら確認するまでもなかった。
無意識にため息が口を出た。何か自分に有益なことでも載っていないか、などと淡い期待を持っていたわけでは決してない。しかし試験という文字を見るたびにこれまで幾度となく起こしてきた失敗が頭をよぎり、不安と焦燥に駆られる。またダメなのではないか、何をやっても無駄になってしまうのではないか。頭の隅でレイ自身が知らない自分がそう囁いてくるような気がした。今まではティアやルクスがいたからこそ考えずに済んでいたが、一度一人になるとどうしても思い出しまう。
「でも、せっかく二人も付き合ってくれてるわけだし、それに最後の夏休みぐらい精一杯気合い入れて訓練しなきゃね」
小声で自身にそう言い聞かせた。こんな状況でも背中を押してくれている二人がいるからこそレイは今踏ん張っていられる。本人たちのこともあるというのにレイのために時間を割いてくれている二人には決して頭が上がらない。二人の時間とこの恩を無下にしないためにもレイが今ここで諦めるわけにはいかなかった。
「今さら試験の対策なんてしたって無駄なんじゃないの?」
突然聞き馴染みのある声がした。それはもちろんレイの内側からのものではなく確かに背後から。振り返ると女子生徒が一人。レイを見下ろすようにして立っていた。
「リィちゃん」
リリィライト・ソケート。透き通るようなその金の髪は上階から差し込む光で余計に輝いているように見えた。
今でこそ幼馴染のティアと一緒にいる時間が、リリィはレイが学院に入学して初めてできた友達だった。クラスが別れ疎遠になった今でもレイはその存在を忘れた頃など一度もない、レイにとってリリィとはそれだけの存在だった。
しかし、レイの想いとは反対に、今のリリィの言葉尻にはどこか棘が感じられた。
「無駄、だなんて……そんなことないよ。今度こそ結果を残せるように頑張ってるんだから」
健気に反論してみせるレイだったが、それがやせ我慢であることは一見して分かりやすいものだった。
一方で反論は予想していなかったのかリリィの顔が一瞬曇る。
「毎回できないっていうのに、無意味なことをよく頑張れるわね。私なら耐えかねて早々にここを去ってるところね」
今のレイを嘲笑うかのようにリリィは言って見せた。リリィが発する言葉からは悪意が混じっていることがありありと分かる。何気ない会話のように投げかけられる言葉たちがレイが感じている不安を的確に突いてくるようだった。
しかし、レイからはそれを指摘しようとも疑問に思うこともしない。それを言ったところで状況がどうにかなるわけでもなければ、変に弱みをあらわにするようなことは今はしたくなかった。
「基本魔法もまともに使いこなせないあんたがどうやって試験に合格できるなんて思ってるわけ? いい加減さっさとやめなさいよ。下手に悪あがきされても目障りなんだけど」
この場にいきなり現れたリリィにここまで言われる筋合いはない。しかし、今も不安でしょうがないレイの心を刺激するのには十分すぎる言葉たちだ。
「私のことよりも、ところでさリィちゃん、お昼はまだ? 席も一つ余ってるし、もしよかったら一緒に――――」
「は? 私がそんな慣れ合い見たいなことするわけないでしょ。無能の分際で気安くなれなれしい真似しないでよ」
でも、とレイがどうにかして絞り出した言葉を睨みつけて一蹴すると、踵を返してリリィは食堂の奥の方へと消えていった。彼女が去った方へ今できる精一杯の笑顔を向けたままのレイだけがその場に不自然に取り残される。笑みは次第に引きつり、しょぼくれたものに変わっていく。別にリリィが誘いを素直に受けなどと期待していたわけではない。しかし、こうもバッサリと切り捨てられるように言われた経験が無いレイにとってはあまりにもよく効いた。
無能、無意味。これに限らず、いつからか陰でそう言われるようになった言葉たち。できないレイ自身を指すにはちょうど手ごろなのかもしれない。いつの間にか刺された感覚もマヒして痛みも大げさに感じなくなるほどにレイの心は痛みに鈍くなっていた。しかし普段なら今さら気に留めることもないナイフたちが今日は一段と鋭く感じた。
いつまでレイのこの不安定な心は持つのだろうか。いつか何の音も兆候もなく崩れ去ってしまうのだろうか。そうなったとき、ティアやルクスたちは崩れ朽ちたその残骸を拾ってはくれるのだろうか。リリィたちはそれを見て指さし笑うだろうか。様々自問してみたところで答えを出してくれる便利な自分はどこにもいなかった。
意味もなく手元の学院紙に目を落とす。近々あの講師が退職予定だとか、代わりに入ってくる講師の前歴や肩書はどうだとか、相も変わらず有益な情報はどこにも載っていない。それどころか文字を意味あるものとして追うことすらできているのか、レイ自身にも分からない。
例え無意味な情報でも今は無理やりにでも集中して見入るほかなかった。哀愁がレイを支配しようと勢力を急速に拡大させていることが分かった以上、それに抗うように気を紛らせていたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます